決勝戦 夏の甲子園
2023 8 28 (art23-0575)
23日、選抜高校野球大会の決勝戦、慶応対仙台育英、をTV観戦しました。8 : 2 で慶応の勝ち。両チームの得点チャンスで、もう一打がなかなかでないので、はらはらドキドキでした。肩入れチームのない凡夫でも、試合そのものを楽しめました。どちらかのチームを贔屓にしていた人は、歓喜と落胆の繰り返しで大いに疲れたことでしょう。ところで、3塁側アルプス席に陣取った慶応の応援には辟易しました。何がいやかというと、高校生だけでなく、大人を含めてそこにいる人全員がマスゲームのように同じ挙動をとっていることです。ぞっとします。気持ちが悪くなりました。
これは凡夫だけの感覚かもしれません。中学生の頃から集団が苦手で、集団でいると落ち着けませんでした。集団の一員であることに不安でした。基本的には、これは、どんな集団でもそうでした。ただ、止む負えない状況では、集団の中にいることができましたから、問題児のレッテルを張られることはありませんでした。もっとも、別のことで、今で言いえば問題児であったようです。できるだけ、集団を作らず、集団に入らず、集団で行動せず、集団から距離を置くようにしてきました。この傾向は、大人になっても変わることなく、おそらく一生ものです。
いい大人が、集団でワイワイやっている姿は気持ち悪いものです。また、いい大人が、仕事以外でもしょっちゅうスマホを弄って誰彼とつながっていることも気持ち悪いものです。仕事中はどっぷりと仕事先に帰属しているのに、仕事から離れても、何か別の集団に帰属したいのでしょうか。帰属することが、そんなに居心地がよいのでしょうか。一人の方が、気楽で居心地がいいと思うのですが。
中には、かつて帰属していた集団をひきずっている人達がいます。会社を定年退職した人達が、同窓会のような集まり会(社友会?)を設けて、ワイワイやっている。これは、もっと気持ち悪いことです。甲子園の決勝戦でみた慶応の大応援団はこれに近いものです。
ともあれ、面白い試合でした。