尾道の三重塔
2018 10 25 (art18-0070)
先日、用事があり、広島へ車で出かけました。山陰自動車道を米子、松江と抜けて、宍道湖の西側(宍道JCT)から松江自動車道に入りました。この道は三次から尾道自動車道につながっています。凡夫ら(家内と同伴)は、三次から中国自動車道に入り、広島北JCTで、中国道から広島自動車道に乗り換えました。広島まで、全長260km、おおよそ3時間半のドライブです。松江自動車道は、初めて通ったのですが、走りやすい道でした。その日は、天気もよく、快適なドライブでした。広島からの帰路、尾道と倉敷に寄りました。倉敷の観光名所は、倉敷川沿いの白壁の蔵と町屋が密集する美観地区、そしてその中にある大原美術館、近隣のアイビースクエア等、すぐに頭に浮かびます。
しかし、尾道の観光名所となると、よくわかりません。映画の撮影が行われたロケ地はいくつか思い当たりますが、”それがなに” といったところです。大学生のとき、自転車で2週間ほどかけて、山陽と四国を廻りました。そのとき、尾道をぶらついた筈ですが、記憶に残っていません。
今回、尾道を訪ねて、寺巡りを楽しむことができました。
まず、駅隣の店に入り、尾道ラーメンで腹ごしらえしました。おいしいラーメンでした。これがよかったのかもしれません。
尾道と対岸の向島に挟まれた狭い海(尾道水道)が大きな川のように東西に走っています。尾道三山が海岸線まで迫り急斜面をつくり、その急斜面にへばりつくように多くの寺が尾道水道と平行に並んで建っていました。複雑に入り組んだ迷路のような路地や坂道を歩いて、寺を巡りました。道は人一人がやっと通れるような狭さです。郵便配達人のバイク走行も難儀そうでした。
もっぱら、建物をみながらのぶらつきです。多くの建物が記憶に残りました。その中から二つ、三重塔を紹介します。
【天寧寺の三重塔】
1388年、足利義詮(室町幕府の第2代将軍)が五重塔として建立。1692年、上部の4重目と5重目を取り除き、三重塔に改修。
最初に見た時、なにか、ぼてっとした、寸詰まりな印象を受けましたが、三重塔として建立したものではないと分かり、納得できました。この塔を、下から見上げるだけでなく、上から見下ろすことができるのは、坂の町ならではの “おまけ” です。だだ、その分、屋根瓦の痛みが目に付きましたが。
なお、この寺には羅漢堂があり、寄進された526体の羅漢像が一同に会しています。それぞれ、独特の表情と姿勢を持ち、見飽きることがありませんでした。
【西国寺の三重塔】
1429年、足利義教(室町幕府の第6代将軍)による建立。
参道を登り金堂広場に近づくと、眼前の建物群の上方に、三重塔が姿をみせました。遠目からも、姿の美しい塔であることがわかります。近づくと、そのことがはっきりしました。ただ、残念なことに、土砂崩れが道を塞ぎ、直下に立つことができませんでした。崩れは、長く放置されているようにみえました。美しい三重塔だけに、惜しいことです。
なお、この寺の山門/仁王門には、草履が多数吊るされています。中には、2m長の巨大な草履もありました。