今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩3分で東郷池, 自転車10分で日本海です。 また、ハワイ温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。

浅津小唄

2018 12 10 (art18-0086) 
はわい温泉には、現在、12軒の旅館があります。旅館街は東郷池に浮かんでいるように見えます。千年亭(旧日進館)、望湖楼、東郷館、睦荘、ニュー高橋、ゆの宿彩香(旧浅津苑)、翠泉、羽衣、旅館水郷、民宿鯉の湯、別館湯乃島。

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先日、家内と一緒に、下(しも、下浅津の下)の叔父さん(亡母の弟で90歳)を訪ねました。叔母さん(89歳)ともに元気でした。
叔父さんは、訪ねるたびに、いろいろな話を聞かせてくれます。その日は、「浅津小唄を知っているか」と言い、凡夫が古い記憶を呼び起こそうとしている間に、ギッコラセー、ギッコラセーと節をつけて、歌い始めました。「東郷浅津はよ~、いで湯~の~名所、雪のし~らはぎ、湯~がに~おう~よ」と。
幼少の頃、聞いたことがある歌でした。おそらく、ここ、叔父さんの家で聞いたのでしょう。正月とお盆に、母に連れられて叔父さんの家に行くと、叔父さんの兄弟姉妹が集まっています。和気あいあいとした酒宴で、頃合いになると、誰彼となく、歌っていました。叔父さんの兄弟は芸達著で尺八を上手に吹く人もいます。いろいろな歌を聴きました。母の歌をきいたのも、ここの席でした。
叔父さんは、ゆっくりと浅津小唄を歌い終わると、「お前の家の隣、北村の一義さんが上手だった。三味線を弾きながら、いろいろな所で、歌っていた」と付言しました。

帰宅後、浅津小唄を調べてみました。ちょっと、興味深い資料(湯梨浜町ゆりはま資料室在)がありましたので、ここに抜粋します。
浅津小唄は、昭和9年に生まれた。当時、浅津温泉(はわい温泉の旧名称)には、4軒の旅館(山陰ホテル、日進館、望湖楼、日の出館)があった。温泉地としての知名度は低く、知名度を上げる方策として、小唄か音頭をつくることになった。山陰ホテルの中島守次が歌詞を書き、下浅津の尾崎茂が曲をつけて、浅津小唄が出来上がった。
浅津小唄を温泉地の小唄として広く親しまれるように、北村一義さんを含む数名の人が集まり、三味線や琴の伴奏に合わせて唄い易いようにした(正調浅津小唄)。さらに、北村一義さんのグループは、浅津小唄を、いろいろな場所で披露し広めていった。
昭和9年9月8日、浅津小唄が、松江ラジオ放送の電波に乗った。出演者は、北村一義(琴)、市橋毅(三味線)、中本光輝(尺八)、市橋芳子、大久保美恵子、梅家小町(唄)。
昭和12年12月14日、鳥取放送局の開局記念の席上で、浅津小唄が披露された。この頃はまだ、ラジオの普及率が低く、浅津では大前酒店に一台あった。しかし、放送局の電波に合わすダイヤル操作にてこずり、小唄の最後の部分が少し聞こえただけであったと言うことである。
戦後、浅津小唄に振付けがつき、公民館で踊りの練習会が催されるなどの活動を通して、唄と踊りが、広く親しまれるようになった。

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