それがカミキリムシの幼虫であることを知っていること
2019 12 02(art19-0193)
湖畔公園を歩くと、いたるところに切り株が目に入ります。切り株の大きさから、結構大きな樹木であったことが分かります。公園の管理上、樹木の過密化による生育被圧を避けるため、あるいは腐朽や枯損した樹木を取り除くために切断された樹木の根元部分です。切株も数年たつと腐ります。あるものは、足でつつくと、崩れます。崩れた切り株のなかに、白っぽい虫がいました。前胸部が異様に大きく、強靭な大顎が際立っています。気味が悪く、最初に見た時は、ぎょっとしました。帰宅後のWeb検索で、カミキリムシの幼虫であり、どこにでもいる虫と分かるまで、きみ悪さは続きました。しかしながら、次に出会ったときは、ぎょっとすることはないでしょう。
見たことのない物を前にしたり、経験したことのない出来事を前にすると、パニックになります。ウィキペディアによりますと、パニック (panic) とは、「突発的な不安や恐怖(ストレス)による混乱した心理状態、またそれに伴う錯乱した行動を指す」とあります。
しかし、一度でも見ていたり経験していると、パニックを回避できます。また、類似した事物を知っていると、パニックに陥ることが少なくなります。ここに勉強する意義があると思います。人が直接見たり経験することで身につく経験知は限定的で、それをもって、長い人生で遭遇するであろう数限りない未見未経験の変事を対処することはできません。しかし、類似した事物を知識知/形式知として身につけることはできます。また、経験豊富な高齢者から直接話をきくことで、経験知に裏打ちされた知識知を蓄えることもできます。知識知を充実させること、これが勉強です。
知識知が必要なことは、ちょっと考えれば分かります。子供は、怪我や病気、喧嘩やいじめ、さぼりや引きこもりなど、いろいろ事態にみまわれます。子供の親は、そのつど、適切な判断を迫られ、どう対応すべきかを問われます。このとき、よく似た事態に関する知識知が役立つ筈です。パニックに陥ることなく、冷静な判断と行動を可能にします。
生き続けること自体が初体験の連続です。いろいろな出来事が押し寄せてきます。オロオロすることがないように、死ぬまで、勉強を続けざるを得ないなーと思っています。