自転車帰省
2020 01 09 (art20-0201)
ちょとした思い付きで、ぶらっと出掛けた話の3つ目です。道路地図を眺めていると、大学のある福岡市から実家のある羽合町(現在は合併して湯梨浜町)までの距離は、海岸沿いの道をたどると、500 km 程度です(3号線、福岡-門司間:90 km 191号線、下関-益田間: 150 km 9号線、益田-羽合町間: 250 km)。
夏休みを間近に控えたある日、歩いて帰省しようと、ふと思い立ちました。1日あたり 20 km 歩けば25日の旅です。小型のリュックに替え着とタオル、そして蚊帳代わりのネットを詰め込んで下宿を出発しました。しかし、3日目にしてギブアップです。幹線道の片隅を歩いていると、車が横をびゅんびゅんと疾走します。暑い中、歩いていることが段々バカバカしく思えてきましたので、駅に出て、列車を乗り継いで実家に帰りました。1年生の夏のことです。
翌年、春休みが始まる一週間程前に、今度は、自転車で帰省しようと思い立ちました。時速 20 km で走らせると、25 時間の走行です。2日もあれば、実家に到着すると計算し、早朝に下宿を出ることにしました。
しかし、自転車をもっていませんでしたので、まず、自転車を調達しなければなりません。幸いなことに、近くの自転車屋を覗くと、ロードバイクの中古車が売り出されていました。それを購入し、また、パンク修理道具一式と携帯空気入れも手に入れました。
小型のリュックに、自転車道具と着替えを詰め込んで、計画通り、朝早く出発しました。次の日には、目的地に着くと考えていましたので、とても軽装でした。
3号線を東に走行し、北九州市を素通りして門司市に入りました。関門トンネルをくぐって、関門海峡の対岸の下関市に出ました。下関市から、海岸沿いの191号線に沿って長門市、萩市を通過して益田市に到達するつもりでした。ここまで 240 kmです。12 時間程の走行の予定でしたが、誤算がありました。道は平たんとは限らないと言うことです。結構坂道が多く、走行距離が伸びない割に疲れが溜まりました。結局、その日の内に、益田市に着くことができず、かなり手前の駅の舎内のベンチに横になりました。ここで、もう一つの誤算がありました。3月にしては寒い日で、ベンチに横になっても、殆ど眠れませんでした。寝袋を携帯していればと、寒さに震えながら、何度も悔やんだことをよく覚えています。
翌朝、お尻の痛みを我慢して自転車にまたがり、遮二無二にペダルを踏みました。しかし、昨日の疲れが残り、思ったほどには距離が伸びません。9号線に沿って益田市と太田市をなんとか通過したのですが、出雲市の手前で、力尽き、もう一晩、駅舎のベンチのお世話になりました。その日は、昨夜より、寒さが緩く、少しは眠れました。
3日目、出雲市、松江市を抜けて、米子市に入りました。米子から実家のある羽合町への道は、高専の時にオートバイで何度も通った9号線ですから、よく知った道の強みで気分も軽くスイスイ進みました。そして、暗くなる前に、実家に到着できました。ただただ、疲れました。
福岡への帰路、2週間ほどかけて、海岸沿いに四国を一周しました。気の向くまま各地の名所に寄りながらブラブラ自転車走行です。もちろん、実家へ行くときの駅舎のベンチ泊まりの寒さにはこりましたから、装備には気をつかいました。特に、寝袋は丈夫なものを携帯しました。寝所の多くは駅舎のベンチでしたが、他に、商業ビルの屋外階段の下床、材木置き場の軒先、海岸のボロ小屋など、所かまわず横になりました。いずれも無料の寝所ですから、宿代零円の自転車旅行でした。