三里塚
2020 01 13 (art20-0202)
ちょとした思い付きで、ぶらっと出掛けた話の4つ目です。この話は未整理ですので、ここでは、概要を記します。
三里塚闘争は、1971年の2月に第一次、そして9月に第二次行政代執行が実施され、作業員・機動隊と空港反対同盟・支援党派が激しく衝突しました。その様子は、マスメディアで盛んに取り上げられました。それが一段落すると、三里塚闘争はマスメディアで大きく報道されることがなくなり、ちょっとした攻守の謬着状態が続きました。
1973年、大学2年生のとき、三里塚闘争ってどうなっているのか気になり、ちょっと見てくることにしました。単なる好奇心です。リュックに替え着を詰め込んで、千葉県成田市へ向かいました。
三里塚地区をブラブラしていると学生風の男に呼び止められて、集会所風の建物へ連行されました。そこで、来訪の目的をリーダー風の男に伝え、アレコレ話していると、なんのはずみか、援農を行うことになりました。特に、異存はありませんでしたので、紹介されたO農家へ行きました。O農家には2人の先客がいましたから、凡夫もすんなりと受け入れられました。2人の先客は某セクトから派遣された学生運動家の卵?でした。
O農家は、広大な畑地を所有し、多種類の野菜を栽培していました。O宅に寝泊りして、ラッキョウの収穫作業を手伝いました。その間、セクト派遣の学生運動家の卵?は何度か交代していました。セクトを異にする学生運動家の卵?が同居している構図はなかなかおもしろいものでした。ラッキョウの収穫が終わり、凡夫は引き上げることにしました。3週間程の滞在でした。滞在中、楽しみは三度の食事でした。品数、量ともに豊富で食べ放題でした。加えて、夕食にはビールが付き、皆で食卓を囲み賑やかな食事でした。
立ち去る時に、凡夫がセクト派遣の援農ではないことが分かったのか、帰りの交通費をいただきました。