今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

こりゃ適わん

2020 01 20 (art20-0204)
世の中には "おそろしく出来る人" がいます。小学、中学、高校、大学(院)、実社会へと世界が広がっていくと、そうした人に出会うことになります。その出会いは、時には、自尊心の喪失につながります。決して愉快なことではありません。

「こりゃ適わん」と感じた最初の出会いは、中学校に上がる前です。
小さい時から野外で遊んでいましたから、運動能力はそれなりにありました。小学校の高学年のころ、短距離走はいまいちでしたが、800m走は得意種目で、郡の競技大会に学校代表で出場したりしていました。小学校では誰よりも速く敵なしでした。中学に上がる前だったと記憶していますが、町内の3つの小学校の対抗競技会が開催されました。3つの小学校は羽合、長瀬、宇野小学校で、それぞれ浅津、長瀬、宇野地区にありました。そこの卒業生は羽合中学校に入学します。その競技会の種目800m走に、凡夫は羽合小学校の代表として出場しました。トップでゴールするだろうと考えていましたが、結果は、長瀬小学校のN君がダントツのトップでゴールしました。凡夫は、大差をつけられての2位でした。前を走るN君に付いていこうと頑張ったのですが、とても付いていけるようなスピードではありません。途中で、あきらめました。凡夫がどんなに練習を積んでもN君に勝てるような気がしませんでした。N君に完敗、「こりゃ適わん」の一言です。この体験が尾を引いたのか、中学に入ると運動クラブを敬遠し技術クラブに入りました。

次の出会いは、高専入学後です。
前回のブログで、中学の時、数学がよく出来たことを書きました。他の科目が出来ない分、数学が得意であることが一つのプライドだったのだと思います。数学の能力に秀でていると自負していました。ところが、このプライドは、高専に入学後、学年が上がるにつれて崩れていきました。
高専の数学は、高校の数学と大学の教養課程の数学を混合したようなものです。1年目は基礎数学、2年目は微分積分に線形代数が加わります。3年目は空間ベクトル・行列と確率統計学、そして、4,5年目には応用数学を学びます。盛り沢山の項目を短期間で学ぶため、授業の進行は早く、急速に難しくなります。学年が進むにつれて、凡夫はアップアップ状態になりました。しかし、A君は何の苦も無く理解を進めています。これには、驚きました。こちらが、四苦八苦してどうにか解いている問題をいとも簡単に解きます。「こりゃ適わん」と思いました。懸命に勉強してもA君と肩をならべることはできないと感じました。凡夫が自負していた数学的能力は、たかが高専レベルの数学にすら通用しないことが分かりました。A君を知って、プライドを崩した学生は凡夫だけでなく、他にもいたと思います。高専に来ている学生の多くは、凡夫のように中学の数学がよく出来たでしょうから。

余談ですが、高専を4年の夏に退学した凡夫にとって、大学に入り、教養課程の数学は何の苦もなく理解できました。授業内容の多くが、高専で学習したことでしたから。むろん、単位評価は "優" でした。

世の中には出来る人が沢山います。精一杯奮闘努力すれば、その人達と肩を並べることができます。しかし、精一杯奮闘努力しても、肩を並べることができない “おそろしく出来る人” がいます。早い時期に、そうした人がいることを知ったことは、凡夫のその後の人生によい意味で影響を与えているものと思います。

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