留年(その 2)
2020 01 27 (art20-0206)
ヘルメット学生の多くは、特に何かを目指してやっているのではなく、群れて騒ぐのが楽しいからやっているようでした。衆目を集めるとか、ヘルメット姿がかっこいいとか、といった按配です。学生サークルに近い感覚です。関わっている闘争に話しを向けると、オウムのように、誰もが同じフレーズを繰り返し口にします。しかも、意味や解釈の確認から始めなければならないような具体性のない言葉をつなげて。ちょっとした質問にすら答えることができませんでしたから、多くは受け売りなのでしょう。そんな中にあって、Aさんと、Bさんは違いました。発言や行動の背後に頑とした思想と不動の信念を感じました。その思想は多くの書物を読破・吟味して構築したもののようでした。少なくとも、マルクスやエンゲルスからレーニンやトロツキーをよく勉強していることが分かりました。そして、その思想が、実社会の見分や体験に基づいて構築したものではないことを重々認識している程の真摯さと謙虚さを合わせもっていました。それ故、2人は囲いの内(学生運動)から囲いの外(労働運動)に出ていくだろうと推察できました。しかしながら、2人の思想は凡夫には違和感がありましたから、行動を共にすることはひかえていました。Aさんは、時々、凡夫の下宿を訪ねてはいろいろな話をしてくれました。話の内容を理解できるように、当時、社会思想家の著書を読み漁りました。また、小説では高橋和巳やプロレタリアート文学に読書域をひろげました。
ヘルメット集団の学生とは言葉を交わしていましたが、かといって、仲間になることもなく、不即不離の状態にありました。一人で学生会館あたりをうろうろしていました。会館のガリ版(謄写版)印刷機を使って、自分なりの問題提起用のチラシ(アジビラとは言えない代物で、レポートに近いもの)を作ったりもしました。鉄筆でろう原紙を切り、木枠に原紙をはりつけ、インクを染みこませたローラーを掛けて、一枚一枚、紙に印刷します。ガリ版印刷の操作手順は、中学校の修学旅行のしおり(表紙用の奈良の大仏の描画を担当)を作製するときに習得していました。出来上がったチラシを、食堂前で学生に配り、学生大会の会場(体育館)で参加学生に手渡しました。ちらっと目を通して、ポイでした。チラシの内容は、当時関心のあった農民問題の一面でした。
以下余談です。この時の学生大会だったと思いますが、凡夫は、突然、全共闘系の人に腕をとられて、演壇に連れて行かれました。自治会候補の員数が足りない為、急場しのぎで、会場をうろうろしていた凡夫が引っ張り出されたようです。何か発言することになり、マイクの前に立ち、声を出そうとした時、「誰だあいつは」と叫びながら壇上に駆け上がってきた数人の民青系の学生に取り巻かれ、檀上から引きずり降ろされました。結局、一言も発することができませんでした。両系の学生は結構熱くなっていましたから、これを機に殴り合いになるのかと惧れましたが、幸い、小競り合い程度で収まり大事にはなりませんでした。
入学後、遊びふけていた学生の多くは、2年目の後期授業が終わると、さっさと本学キャンパスへ移り勉強に精をだします。学生会館で知り合ったヘルメット集団の学生の多くも、ヘルメットを会館に残して本学へ移っていきました。
凡夫は本学へ進む気力がなく、実家に帰りブラブラすることにしました。必須科目の単位を1つ落として留年しました。その科目は、講義を受けてレポートを提出するだけで単位がとれます。1年後にレポートを提出し必要単位数をそろえて、本学へ進みました。“ブラブラ遊びはここまで” として、本学では勉学に集中しました。