研究ー大学院
2020 02 03 (art20-0208)
大学院へ進学する年に、所属していた教室の教授が交代しました。定年退職した前任教授の後に、助教授が教授になり後任教授になりました。凡夫は、卒業研究は前任の先生に、博士研究は後任の先生に面倒をみて頂きました。2人の先生は好対照でした。前任の先生から、“研究者にも本物と偽物があること”、そして、“研究はまだ分かっていないことを解明する行為であるが、研究者には、研究そのものを求める人と、研究によって得られる称賛や名誉・地位を求める人がいること”を教えられました。ストローで牛乳パックから牛乳をチューチューと吸いながら、「研究そのものが好きな人は、いつまでも、自分の手を動かして研究をやりたがるなー」と、少し自嘲気味に語っていました。先生は顕微鏡の覗き過ぎで潰瘍を患っていました。「牛乳を飲んでいると、痛みが和らぐのでね」とも言っていました。先生は、定年間際まで、牛乳パックを手元に置いて、顕微鏡を覗いていました。退職後は短大に籍を置いて一人で出来る範囲の研究を続けていました。
後任の先生は凡夫の博士研究の担当教授です。ただ、研究内容と方針に関しては、先生と相談することなく進めていました。その代わり、大学院生のKさんが凡夫の研究の相談役になってくれました。先生はKさんを信頼していたこと、また、凡夫の研究内容がKさんのそれと関連していたこともあり、進捗結果を聴くだけで、指図するようなことはありませんでした。
後任の先生から教わったことは、教室の運営方法と教室員のまとめ方です。研究費をできるだけ確保し、研究環境に気を配り、教室員全員の研究がとどこりなく進むように動いていました。また、先生は、集団で行動することを重視していましたので、全員参加のイベントが頻繁に開催されました。研究も、チームを組み、皆で助け合って進めることを勧めていました。しかし、そんな中にあって、凡夫は自分の課題に一人で取り組んでいました。
年に1,2回、学会で研究成果を発表しました。学会は日本各地で開催されます。発表者の学会参加費(交通費と宿泊費を含む)は教室から支給されました。この費用は教室の研究費の一部で、その捻出は教授の “お金集め” の手腕に掛かっています。発表者全員に毎回支給されましたので、相当な手腕だったと思います。参加費が一部支給されない教室もありましたから、この支給はありがたいことでした。恐らく、前任の先生ではそうはいかなかったと思います。
学会は多数の発表と講演があります。凡夫は、興味のある発表と講演を聴いて、それ以外の時間は会場を抜け出て開催地の観光・名所めぐりを楽しんでいました。教室から参加費用を出してもらっているとは言え、初めての土地には見たいものが沢山あります。その誘惑に逆らうことはできません。時には、一日中、観光に費やすこともありました。教授から「君は、何しにきているのかな」と𠮟言を受けたこともありました。
大学院に進学し2年目(修士課程の2年生に相当する)に、学会で座長の役目が回ってきました。座長は、誰もが認める研究者が務めるものと思っていましたから、これには驚きました。凡夫は、ペイペイの未熟な院生でしたから。
当日の発表会、凡夫は座長席に座りました。発表者はそうそうたる “偉い” 先生方です。座長の役目は、各演者の発表を持ち時間内におさめること、また、発表後、聴衆から質問・意見が出てこない場合、演者に一つ二つ質問し、会場からの質問・意見の発言を促し、会場を盛り上げることです。
座長を担当する発表の2つを除き会場からいくつか質問があり、凡夫から質問する必要はありませんでした。しかし、1つの発表には会場から質問・発言がなく、発表後会場がしーんとしてしまいましたから、どうしたものかと焦りました。恐らく、かなり困った顔をしていたのでしょう。「それでは、私の方から、いくつか質問をしましょう」と、京大のT教授が立ち上がり会場を盛り上げてくれました。これには助かりました。もう1つの発表時には、意を決して演者に質問したところ、それから質疑応答が演者の持ち時間終了まで続き、何とか座長の役目をこなしました。