今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-生命研の特研員(その2)

2020 02 17 (art20-0212)
生命研で学ぶことができた分子生物学的解析は、凡夫が大学院の時に、いつかは手掛けてみたいと思っていたものです。大学院では、細胞分裂時の染色体の動きを光学顕微鏡や電子顕微鏡を用いて追いかけていましたが、手法的に観察の域をでるものではなく、染色体全体の動きは分かるのですが、内部でどのような分子がどのように変化しているか分からず、歯がゆい思いをしていました。分子レベルの解析ができる分子生物学的手法は、そのような問いへのアプローチを可能にするだろうと考えていました。生命研でその解析技術を教わり習得できたことは、その後の凡夫の研究人生にとって、強力な持ち駒の一つとなりました。

解析技術は、研究員のTさんやNさんから、また、研究助手の方々から教わりました。研究助手は、研究員の指示下で実際の実験をこなす人で、多くの経験があり何でもこなせるようにみえました。凡夫のような “ど素人” に実験手技を教えることは、たいへんな労力と忍耐がいったことでしょう。なにせ、ピペットマンを使ってμL量の溶液を扱うのは初めてでしたから。「XX君は、まったく経験がないそうだが、やっていけるのだろうか」と内々で語られていたそうです。ベテランの研究助手の I さんには、実験技術だけでなく、皆で使う試薬や器具の管理・整頓のやり方を、大声で叱責されながら叩きこまれました。生命研を退所する頃にはしっかり身についていたこれらのことは、その後の研究人生に大いに役立ちました。今思い返すと、3人の特研員の中で凡夫が一番叱られたような気がします。しょっちゅう叱られるので、これまた、教室で評判になっていたようです。

よく叱られることに関連して、ある日、Kさんから「XX君は、僕に敵意をもっているのか」と、問い詰められました。何のことか分からず、話を聞いてみますと、どうも、凡夫が廊下ですれ違いざまに挨拶をしないので、相手は無視されたと感じ、変じて反感や敵意でも持っているのではと勘ぐっていたようです。これは全くの勘違いで、凡夫は廊下をぼーと歩いていることが多く、相手が誰であるかを認知していないだけのことです。すれ違ってから、アレッ今の人は知っている人だったかなと。凡夫の説明を聞いたAさんは、腑に落ちないようでしたが、少なくとも、反感や敵意をもっていなことは納得してくれました。

廊下をボーと歩く習癖は生命研を去る頃には無くなりました。無くなった要因の一つは、研究員の N さんに、サッサと歩くように指導されたことです。Nさんは、なにをするにも速い人でした。歩く速度はもとより、話す速度、実験の速度、理解の速さ、読み書きの速度等。頭の回転が速く、さすが東大出は違うものだと妙に感心しました。そんな N さんにもいろいろ教えていただき、感謝、感謝です。
もう一つの要因は、分子生物学で用いられている解析方法の特性です。結果が出るのが早く、次から次へとすべきことが出てきます。これらをこなすには複数の実験を同時並行的に進めざるを得ません。そうすると、更にすべきことが増えます。とても忙しい世界であることが分かりました。Nさんのような処理能力の高い人向きの研究手法です。凡夫も、複数の実験を並行して行うように努めました。次から次へと作業に追われる羽目になり、そうこうするうちに歩く速度が速くなっていることに気づきました。そうなのです、分子生物学的分野の研究に従事すると、廊下をボーと歩けなくなります。ちょっと、困ったものです。

3人の特研員は、毎日、付設の食堂で夕食を済ませた後、研究室に戻り遅くまで研究室に残っていました。Mさんは卓球が上手で、食後、時々、へたな凡夫の相手をしてくれました。昼食時の食堂はいつも賑わいます。中村桂子室長の姿をよく見かけました。中村室長は、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されていた人で、ある意味、生命研の顔でした。当時も現在も、講演はもとより、新聞や雑誌で活躍されています。今は、JT生命誌研究館の館長です。

ときどき、休日に洗濯をしました。研究所では、白衣を着ている人はいません。このあたりも、分子生物学分野の特徴なのでしょう。皆さん私服でした。ある日、研究員から「XX君は、毎日、同じ服を着ているが、他の服を持っていないのかね」と言われました。一瞬、何のことを言っているのか分かりませんでした。服から悪臭が出ているのかと思いましたが、どうも、そうではなく、同じ服を毎日着てくることに物申しているようです。周りを観察してみると、皆さん、同じ服を次の日に着ていないことが分かりました。凡夫も、それに倣って、服を替えるように努めてはみたのですが、服自体をあまり持っていませんからどだい無理な話で、しばらくすると、同じ服を毎日着ていました。幸いなことに、2度目の指導的お言葉はありませんでした。思うに、周りに若い女性が沢山いましたから、女性の手前の親切心から出た言葉だったのでしょう。なにはともあれ、洗濯する物は、同じ服を着ていたこともあり、一週間分とはいってもそれぼどの量はありませんでした。

生命研での2年間は、分子生物学の解析手法を身につけることができて、とても有意義でした。しかし、それ以上に、凡夫のその後の人生にとっての意義は、そこで家内に出会い結婚したことです。1人ではなく2人で歩むことになりました。最初は熊本行きです。

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