今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-結婚

2020 02 20 (art20-0213)
生命研(三菱化学生命科学研究所の通称)は、民間の研究所としては珍しく、ポスト・ドクトラル制度を採用し、若手研究者のポスドクを2年間の契約社員として雇用していました。生命研ではそれらのポスドクは、正規社員の研究員や研究支援スタッフと区別して特研員(特別研究員の通称)と呼ばれていました。

博士号を取得したばかりの若手研究者にとって特研員になることのメリットは、整った研究環境(人と物)の中で研究を行うことが出来ることです。しかも、正社員には及ばないのですが、それでも生活には十分額の給料をもらえます。特研員は研究に意欲的に取り組み、結果を論文にまとめて研究業績を増やします。それらの業績をもって、退所後の就職先を探します。
一方、研究所が特研員を採用するメリットは、採用した特研員のなかから、優秀な特研員を正社員として雇用する機会が与えられることです。また、特研員は各出身大学院で使われている実験方法や解析方法を研究所へ持ち込みます。さらに、やる気に溢れ、体力旺盛な特研員の存在は所内を活性化します。

特研員の多くは独身の男性です、このことが、もう一つの研究所の新陳代謝を促すようです。研究所には、“おきて” のようなものがまことしやかに流布していました。いわく[特研員は、退所するときに、所員を連れて出ること]。確かに、この “おきて” に該当する実話を、多数、聞いていました。

“おきて” を守ろうと努めた訳ではないのですが、凡夫も、そうなりました。連れて出た女性は入室したH研究室の研究支援スタッフで、特研員の2年間、いろいろお世話になった人です。凡夫33歳(高専中退、大学留年、オーバードクターをやっていますから、3歳余計に年齢を重ねています)の時、その女性(家内)と結婚しました。

今思い返すと、生命研に勤めていた家内と結婚できたことは、とても、よかったと思います。家内はいろいろな研究者に囲まれて、研究の手伝いをしていますから、研究とはどういうもので、それに没頭する研究者がどういう性質の人間であるかを知っています。凡夫は結婚後も思う存分研究ができましたが、それは、多分に、家内のお陰です。
研究に理解がある人と結婚することは、研究を続けたい人にお勧めできる一事です。そういう意味で、“おきて” に従うことは、それなりの理があるようです。特研員制度を設けている生命研にそうした “おきて” が存続していること、納得できます。

退所前のある日、某茶店で家内に会い「秋田と熊本に大学の就職口があるけど、どちらがいいか」と尋ねたところ、家内の返答は「寒いところはいやだな」とのことでした。ここの次は、熊本へ行くことになりました。

追記:以下は後日談です。凡夫は、家内の返答(「寒いところはいやだな」)を結婚の承諾と受け取ったのですが、家内が言うには、単に、場所の好き嫌いを問われたと思い、寒い所は嫌いなので、そう答えただけとのことです。その日を境に、家内からの承諾の有無がうやむやのまま、ゴールに向かってアレヨアレヨと進みました。思うに、家内の胸のどこかには “?” 印が漂っていたことでしょう。ともあれ、ゴールインしました。

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