今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-USA(その2)

2020 03 05 (art20-0217)
新生活の準備が大方終わると、あとは家内にまかせて、凡夫はSさんの研究室に通い始めました。研究室には、英国人と数名の米国人のポスドクとテクニシャン、そして日本人のAさんがいました。AさんはO大学の教員で、大学から派遣されてここで研究を行っていました。凡夫は英会話が苦手でしたので、日本語で話しができることはたいへんたすかりました。

同じラボのポスドクやテクニシャンと会話する機会が多くなり、最初はなかなか通じなかった英語がよく通ずるようになりました。お-っ、随分英会話が上達したものだ、と気分をよくしました。ところが、他のラボのポスドクやテクニシャンと話すと思っていたほど通じません。はて、どうしたのか? 分かったことは、同じラボのポスドクやテクニシャンは凡夫のへたな英語に慣れて聞き取れるようになっただけで、凡夫の会話力が上がった訳ではなかったということです。これは、ちょっとショックでした。しかし、過去のある場面を思い起こせば、まあ、こんなものだろうと、得心が行きました。

中学校に入学し、英語を習い初めて2ヶ月程たった頃のある日の授業で、男性の英語教師が言いました。「クラスのなかで、英語の発音が最も悪いのは、XXとAAである」と。XXは凡夫で、AAはお寺の跡取り息子。自分の発音が悪いことは棚に上げて、A君の発音が悪いのはなんとなく分かるなーと、思ったことを覚えています。もう一つ覚えていることは、この英語教師の発音が凡夫にはとても気持ちの悪いものであったということです。A君ではありませんが、お経を聴いている方がずっといい心地です。気持ちの悪くなるようなことはしたくありませんから、発音の練習から、そして英語の勉強からも離れていきました。

それでも、半年ほど経つと、他のラボの人とも話ができるようになりました。これは、発音とかアクセントとか抑揚とかが云々ではなく、単なる “慣れ” だと思います。英語に慣れるというより英語を話す人に慣れたのだと。毎日、地元の米国人や他国からの留学生など、いろいろな人と接することで、話すことが日常になり、段々、話している言語を意識しなくなります。帰国する頃には、普通に英語を喋っていたと思います。

渡米したのが夏でしたからアイスクリームをよく食べました。困ったことに、バニラアイスクリームのバニラが全く通じませんでした。ドライブスルーで車を止め、マイクに向かって「バニラアイスクリーム、プリーズ」と注文すると、バニラが通じないようで、「何のアイスクリーム?」とスピーカーから返ってきます。「バニラ」と言うと「何?」と、「バニラ、バニラ」と、何度連呼しても、「何?」が返ってきます。からかわれているのかなと思うほど、通じませんでした。別の日に、あるいは、別の場所のドライブスルーで注文しても、やはり「何のアイスクリーム?」と返ってきましたから、からかわれている訳ではなさそうです。で、どうしたかと言うと、車の扉から上半身を乗り出してマイクに向かい、声を張り上げて「バニラ」と言うと、「おっ、バニラね」とか言って、受け付けてくれました。
しかし、よくしたもので、しばらくこちらで暮らしているうちに、普通の声で「バニラアイスクリーム」と注文しても通じるようになりました。バニラの言い方を意識的に変えたつもりはありませんから、これは “慣れ” がもたらしたのだと思っています。気づかないうちに変わること、これが ”慣れ” です。そして、変化に気づいた時には変わってしまっています。
ともあれ、これは、家族内ではバニラ事件と称する、笑い話の一つです。

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