今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-USA(その4)

2020 03 12 (art20-0219)
子供と家事は家内にまかせ、凡夫は研究に没頭しました。休みの日に、近場の遊び場に車で連れ出す以外、家のことは何もしませんでした。家族が増えた後もそれは変わりませんでした。渡米時、娘は2歳で、2年後に息子が産まれました。見知らぬ土地で、家内は一人で子供の世話と家計のやりくりを担っていたようなものでしたから、大変だったろうと思います。
家内は子供の成長過程を詳細に記憶していますが、凡夫は、ゼロに近い状態です。家内が、いろいろ面白いエピソードを話してくれても「えっ、そんなことがあったのか-」と言うばかりで、思い起こそうと努めても、何も出てきません。今思うに、少しは子育てに関心を寄せて、記憶に刻んでおいてもよかったかなと。家内は、と言うべきか、母親は、と言うべきか、子供に関することだけでなく、いろいろな事柄をこと細かに覚えています。ある意味で不思議な生き物です。それでも、凡夫も、いくつかの出来事は覚えています。

【夜中に誰かが我が家の寝室に入る】
米国で生活を始めて数ヶ月、寝静まったある夜、家内はドアをノックする音を聞いたそうです。怖くなって、掛け布団をかぶってノック音が止むのを待ったそうです。しかし、ノック音は執拗に続き、そのうち、ドアを開けて、誰かが侵入した気配がして増々怖くなり横に寝ていた凡夫を起こそうと体をゆすったと言います。ここからは凡夫の記憶です。寝ぼけまなこに入ってきたのは、懐中電灯の光と、枕もとにたたずむ数名の人影、そして、こちらへ向けられたピストルの銃口らしきもの。同時に、誰かが喋っている声が耳に入ってきました。しかし、寝ぼけ状態の凡夫には、何が起きているのか状況が把握できず、また、何を喋っているのか聞き取れず、しばらく、そのままぼーっと横になっていました。段々目がさめてくると、枕元に立っている人影が1人の警官と2人の住民であることが分かりました。
警官とのたどたどしい言葉のやり取りで、なんとか状況が理解できました。入口のドアが少し開いていることに気づいた隣人は、部屋の中で何かよからぬ事でも起きたのではと思い警官を呼んだそうです。ドアを叩いて、入ってきたのは警官と隣の夫婦でした。単なるドアの閉め忘れで、何事もなかったことを看取した彼らは立ち去りました。その間際、「この人たちは大丈夫だろうか?」との話し声が聞えたとか、聞えなかったとか。ただ、その心配は杞憂だったようで、その後、警察の世話になることは一度もありませんでした。否、一度ありました。ワシントンD.C.のスミソニアン博物館横の路上で駐車違反の切符を切られました。

【僕テニスが出来る、とのたまう】
アパートの敷地にはテニスコート施設が付属していましたので、天気の良い休日は、テニスを家内と楽しむことがありました。テニスは、特研員(ポスドク)として生命研に入所してすぐに、研究員のTさんに誘われて始めました。生命研にはテニス愛好家が多く、連日夕方になると多数の男女がゲームに興じていました。テニスを始める前は、女子供のスポーツだと軽く考えていましたが、実際やってみると、激しいスポーツであることが分かりました。面白くなり、生命研退所後に勤めた熊本の大学でも続けました。ここでは、部活でテニスをやっている学生を捕まえては相手になってもらいました。すこしは、上達したものと自負しています。
さて、家内とテニスを楽しんでいると、コート脇で遊んでいた娘が「オシッコ」と母親を呼びます。テニスを中断して、家内は娘の面倒をみます。テニスを再開するのですが、しばらくすると、娘が「オシッコ」と母親を呼びます。テニスを中断して家内は娘に付き合うのですが、娘の「オシッコ」は、生理的なオシッコではなく、“かまってほしい、いっしょにあそんでよ” のようです。結局、家内は娘と遊ぶことになり、家内とのテニスはここまでとなりました。凡夫は、もう少しやりたかったので、周りに相手をしてくれそうな人を探しました。都合よく、中高生らしい男子がいましたので、「テニスはできるの?、できれば相手になってくれないか」と尋ねると、「僕はテニスができるから相手をします」と、何の迷いもなく、自信満々の返事でした。よい相手が見つかりラッキーと思い、早速、テニスを始めたのですが、とてもとても、テニスになりません。打ったボールがほとんど返ってきません。たまに返ってくるボールは、コートを大きく外れています。早々に、礼を言って、男子とのテニス?を終えました。
荷物を整理し、家族が住むアポート棟へ足をむけながら「さすがアメリカは違うな-。あの程度で、僕はテニスができる、と言えるとは。日本では、とてもとても、そうは言えないな-」などと家内に話すと「日本では、かなりできる人でも、あまりできませんがとか、へたですがとか言うのに」と言っていました。

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