今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-製薬会社(その1)

2020 03 19 (art20-0221)
1993年6月、米国から帰国し外資系製薬会社(R社)の鎌倉研究所に入所しました。R社の本拠地はスイスのバーゼルにあり、スイスの他にアメリカに2つ(東と西)、イギリス、ドイツ、日本の5カ国6サイトに研究所を置いていました。数年後これらの海外の5サイトに頻繁に足を運ぶようになりました。それはさておき、6サイトの研究所は異なる疾患領域の創薬にフォーカシングしていました。凡夫が入所した頃はまだ感染症に重きがあり、2サイトで創薬研究を行っていました。棲み分けがはたらき、抗ウイルス剤と抗菌剤はイギリス、抗真菌剤は日本の研究所が担当していました。抗真菌剤とはカビの薬です。ただ、カビと言っても、水虫やタムシのような皮膚表面で増殖するカビではなく、体内で増殖するカビです。何らかの原因で免疫力が低下した時、カビが体内で増殖し深在性真菌症を引き起こします。

入社早々、ある抗真菌プロジェクトを引き継ぐことになりました。前任者の下で、アッセイ系(試験管内で標的分子の生化学反応に起こる変化を分析することで、化合物の生理活性を評価すること)の構築が試行されたのですが、うまく機能しなかったようです。理由は、アッセイに使用する蛋白質を生化学的活性を保ったまま抽出・精製できなかったことにありました。そこで、米国で酵素蛋白質の精製技術を身に着けた凡夫に、お鉢が回ってきたという訳です。しかも、プロジェクトまるごとで、チームリーダーの責務付きでした。このプロジェクトのラショナル(理論的根拠)は、蛋白質同士の結合をブロックするというチャレンジ的側面がありましたから、ブロックできるものかどうか関心がありました。

早速、アッセイ系の構築に着手しました。チーム員を連れて、近場の家畜賭殺場へ出かけ、豚の肝臓を貰い氷冷箱に詰めて持ち帰りました。低温室に駆けこみ、肝臓から調整した細胞溶解液を数種のカラムにかけて目的の蛋白質を精製しました。この時、米国のラボで経験したFPLCを使用しました。このFPLCは、入所前に必要機器としてリクエストしていた機器の一つで、入所後すぐに配送箱を開けてセットアップしたものです。難なく目的のタンパク質が精製できましたので、アッセイ系が構築できました。

構築したアッセイ系でスクリーニング(数万から数十万の化合物を評価して、生理活性の強い化合物を選抜すること)を試みたのですが、期待出来る化合物がみつかりませんでした。蛋白質と蛋白質の結合を阻害する分子を探していたのですが、どうやら、化合物のような小さな分子で蛋白質のような大きな分子同士の結合を阻害することはできないようです。

低分子化合物では無理でも、ペプチドのような高分子ではどうかと思い、すこし試してみました。蛋白質同士の結合部位を予測し、その部位のアミノ酸配列を化学合成、あるいは、大腸菌の発現系で産生して 10 - 15 アミノ酸からなるペプチドを調整し、阻害活性を調べました。調べた十数本のペプチドの中には、あきらかに阻害するものがありましたが、如何せん、阻害活性が高くありませんでした。
ここまでと判断し、このプロジェクトに終止符を打つことにしました。各サイトの首脳陣が列席した進捗会議で報告し、プロジェクト終了の承認を得ました。プロジェクトに参加してくれたチーム員の熱心な働きのお陰で、短い期間で終わることができて、人的・物的リソースを無駄に使うようなことにならずに済みました。

入社早々、このプロジェクトに関わり多くのことを学びました。多種の会議に参加することになり、創薬過程の全体像を具体的に理解できました。しかし、新参者の凡夫には、リーダーの裁量権が大きいこととか、チャレンジすることが肯定されていることとか、失敗もありとか、研究所の方針を感知したことの方が、その後の舵取りに重要でした。総じて、やりたいことが出来そうだという感触を得ました。

2021_flower_20200306  


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