今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

研究生活-製薬会社(その2)

2020 03 23 (art20-0222)
製薬会社勤務の20年間のうち、前半部は外資系の会社、後半部は日本名の会社で、ある意味、外資系と日本の会社の両方を体験したことになります。もっとも、ほとんど研究所に限定されますが。
外資系の面白いところは、浮き沈みの幅が大ききことです。一度沈んでも再起できますから、幅が大きくなるのでしょう。また、所員全員に関わるような重大な決定でも、所員はある日突然知ることになります。

ある会合で、イギリスの研究所に来ていました。ここは、ウイルスと細菌に対する感染症の創薬サイトでした。何か発表があるとかで全所員が集会所に集まりました。たまたま日本の研究所から来ていた凡夫らも加わりました。話の内容は、これこれの日をもって抗ウイルス・抗菌剤の創薬から撤退するといった、謂わば研究所閉鎖の宣告でした。多くの所員は、えっ何、と驚愕し、会場が騒然となりました。そして、質疑応答がしばらく続きました。海外ドラマや映画などで、社員の首切りが突然言い渡される場面は何度も見てきましたが、この閉鎖の宣告には驚きました。

まかり間違えれば、イギリスではなく日本の研究所がその目にあっていただろうと、後日耳にしました。スイスの R本社は、感染症領域の縮小化を決め、イギリスか日本の研究所のどちらかを閉鎖するつもりだったそうです。日本の研究所が生き残れた理由は、成果を出さなければつぶされるといった危機感を所員一同が共有していたからだと考えています。小さな研究所をつぶすのは簡単です。凡夫が入所する数年前に、上層部の人達が R本社に掛け合って、一つの疾患領域を取ってきて念願の研究所を立ち上げたばかりでしたから、奪われてなるものかといった気概があったのだと思います。R本社は生殺与奪の権をもっていますから、ことあるごとに、日本の研究所はよくやっているなとの印象を植え付けるように成果を出し続けることが強調されていました。

凡夫のチームが取り組んだ研究の成果発表は、その役割を果たしたように思います。このイギリスの研究所の閉鎖宣告に先立つこと数ヶ月、当地の研究所で開催された感染症領域の研究成果の発表会でのこと。イギリスのチームが、細菌の全ゲノム配列情報を用いて創薬ターゲット遺伝子を探索する戦略を発表しました。その頃、病原菌の全ゲノム配列の解読が進んでいましたから、ゲノムワイドの創薬ターゲットの探索方式がブームとなっていました。しかし、会場からの質問、“試験管内(in invitro)で選抜した遺伝子が、生体内(in vivo)で創薬のターゲットになるかどうかをどうやって知るのか、に答えることができませんでした。彼らは、in vivoの評価系をもっていなかったからです。会場におおきな落胆を残したまま、演者は引き上げました。その次に登場したのが凡夫です。ゲノム配列情報を用いた抗真菌ターゲットの網羅的探索の戦略を話しました。その中で、ターゲットの候補遺伝子のin vivo評価系(マウス使用)の構築と、その有用性を実際のデータを示して発表しました。これには、会場がうなりました、そして、日本の研究所はよくやっているとの称賛の声を耳にしました。

このin vivoの評価系の構築には紆余曲折があります。構築したin vivo評価系は、病原真菌をマウスに感染させ、体内で増殖させます。その後、病原真菌のターゲット候補遺伝子の発現をONからOFFにします。その結果、病原真菌の増殖が止まり体内から消滅すれば、候補遺伝子は創薬のターゲットになり得ると考える、といった概要です。ところで、マウス体内で病原真菌の遺伝子発現をONからOFFに切り替えるには、遺伝子をプラスミドベクターにのせて、細胞に導入しなければなりません。ところが、当時、病原真菌用のプラスミドベクター系がありませんでした。
凡夫が、最初に着手したのはこの病原真菌用のプラスミドベクター系の構築です。この構築作業を、ターゲット遺伝子の探索プロジェクトに隠れて、こっそりとやっていたものですから、見つかった時、部長に大目玉をくらい、プロジェクトリーダーから外され、1人になってしまいました。しかしその内、選抜したターゲットの候補遺伝子をin vivoで評価することの重要性が認識されるようになると、凡夫がこっそりと構築したプラスミドベクター系の有用性が理解されたようで、チームリーダーに復帰し、チームを率いてターゲットの候補遺伝子のin vivo評価系を構築しました。併せて、創薬ターゲットの探索に邁進しました。

こうしたことが評価されたこともあり(と凡夫は推察しています)、所内と、所外から人を集めて、ゲノムサイエンス部という新部をつくり、部長におさまりました。凡夫、入社6年目、45歳の時です。小さな部でしたが、それでも、ドライのバイオインフォマティクス部隊とウエットの生物学的実験部隊の両輪をそなえていました。3年後の2002年、日本の製薬会社の研究所との統合時に行われた改組で、ゲノムサイエンス部は、天然物化合物グループとIT/IMグループと連合し混成部隊となり、創薬資源研究部と改名しました。凡夫は引き続き部長を務めました。ゲノムサイエンス部は短命でしたが、凡夫にとっては愛着のある部でした。メンバーに恵まれて、小さいながらも、とても機動力と柔軟性に富む理想的な戦闘部隊でした。

2022_flower\b_20200306  


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