今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

打吹山

2020 10 05 (art20-0278)
打吹山(204m)の麓に打吹公園があります。1904年に造園された公園で桜の名所となっています。公園内は複数の施設から構成される総合公園で、施設の一つに小さな動物園があります。小動物のサル、ヤギ、ミニブタ、ウサギ、カメ、クジャクなどが飼育されています。中でも、サルは、円形の猿舎の中で、十数頭が生活しています。山陰地方でサルに会えるのはここだけですから、時々、サルをみに公園へ出かけます。今年は1月と6月に出かけました。これまで、打吹公園へは幾度となく足を運んでいますが、公園の南にそびえる打吹山には登ったことがありません。今回、家内と登ってみました。

打吹山には、かつて、山城があったそうです。室町時代に伯耆国の守護山名氏が築いた城です。戦国時代末期になると、羽衣石城主南城氏が支配することになり、城は拡充されて近世城郭風に変わり、山頂の本丸を守護するために二の丸(備前丸と呼称:南条備前守元信が居住したことから)と三の丸(越中丸と呼称:後の時代に、中村氏の家臣山田越中守が居住していたことから)が造設されたそうです。関ケ原の戦いで、南条氏は西軍に組し敗北したことから、城は米子城主の中村氏の支配下におかれた。元和元年(1615年)の一国一城令で城は廃城となり取り壊される。(参照:ウィキペディア)

打吹山に登るコースは、2つあります。(1) 市営陸上競技場を左手にみて進み、相撲場横から登山道へ入り、山頂を目指すコース(1.0 km)、(2) 動物園のヤギ舎横から入り、大江神社を右手にみながら登っていくコース(1.3 km)。

今回、登りは (1) のコース、下りは (2) の逆コースをとりました。
市役所の駐車場に車を停め、相撲場横の登山口から入りました。ゆるやかな坂道で、特に、難所もなく、25分程で、山頂に着きました。ただ、雨こそ降らなかったのですが、あいにくの曇天で、山の中は湿度が高く、立ち止まると藪蚊が襲ってきます。小休止もそこそこに、ひたすら山頂を目指すことになりました。

山頂はちょっとした平地でした。平地を取り囲むところどころに石組みがみられます。かつての山城天守台の石垣なのでしょう。

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平地の北側の一画が少し盛り上がり、コンクリート製の石碑がたっています。そこから、北の方角に倉吉市街が一望できると期待したのですが、視界を塞ぐように木々が茂り、ほとんど市街を見下ろすことができませんでした。がっかりです。枝葉の間隙に目にするものは天神川を挟んだ向かい側の山腹に敷き詰められた無数のソーラーパネルです。
山頂でも、じっとしていると藪蚊が襲ってきます。早々に山頂を後にしました。

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下山は楽ちんでスイスイです。しかし、行けども行けども、二ノ丸跡地がありません。見過ごしたかと思い、途中で、引き返しましたが、見つかりません。引き返した地点に戻り、下山を再開しました。
どうにか見つけた備前丸(二ノ丸跡)広場は、草木が伸び放題で、とても、広場と言える状態ではありません。かなり朽ちかけた木造の看板が、草木の陰に立っていたので、ここが二ノ丸跡であることがわかりましたが、看板がなければ、見逃しかねない地所でした。
 
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しばらく歩くと長谷寺への分かれ道に出会いました。その分岐点にコンクリート製の回廊展望台が建っています。そこから、市街の様子を見て取ることができます。しかし、高度が足りなくて、手前側の市街地が麓の樹木に隠されて見えませんでした。やはり、ベストは高度のある打吹山の山頂から全景を眺めることでしょうか。ここから、打吹公園の動物園までは、数百メートルです。道に落ちていた小さな栗の実をいくつか拾いながら下山しました。
帰路、”夢マート”(農産物の直売所)に寄って、丹波栗を買いました。栗拾いに触発されたのか、家内は栗御飯をつくると言っています。楽しみです。

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