病気が治るとは
2020 10 19 (art20-0282)
昨年末に、肺血栓塞栓症で近くの病院(厚生病院)に緊急入院しました。退院後、薬を飲み続けてきましたが、先週、担当医との面談で、薬の服用を止めて様子をみることになりました。服薬を続けても、今以上に体調が良くなることが期待できないからです。それでも、薬が凡夫には合っていたようで随分快復しました。肺機能を気にすることなく過ごすことができます。日々、畑仕事や木工と家の修理等で身体を動かしています。ただ、肺機能が元の状態に戻っているのかと問えば、答えは、いいえ、です。しかし、そうであっても、今は、病気が ”治った” 状態にあると言えます。“病気が治る” の表現には、患者と医者で違った意味が含まれているようです。患者の言う「先生、治してください」や「先生、治りますよね」での ”治る” は、病気が完全に治ること、そして元の状態に戻ることを意味しているようです。病気が完全に治ったことを “完治” と言いますが、患者の言う ”治る” は、完治と同等です。一方、医者の言う「治りますよ」や「治りました」は病気の症状が良くなり臨床的にコントロールされた状態になること、また、その状態が続いていることを意味しているようです。これは、“完治” ではなく、“寛解” に近い内容です。
怪我や軽い骨折などの場合は、何らかの傷跡は残るでしょうが、元の体に戻ります。また、風邪や単純な腹痛なども元に戻ります。これらは、完治できる病気と言えます。「治った」を、患者と医者の両方で同じ意味で使用できます。しかし、病気の多くはこうはいきません。一度壊れてしまうと元に戻りません。糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病の患者を考えるとわかります。症状がひどくなると入院して治療を受けます。症状が良くなると患者は退院して日常生活に戻ります。しかし、完治して退院したわけでは無く、患者は、服薬を継続することで、血糖値や血圧やコレステロール値をコントロールしながら日常生活を営むことになります。定期的に病院に通い、医者の診察を受けることになります。医者が「治ったので退院できますよ」と言うのは、このように症状が臨床的にコントロールされた状態になったときと聞いています。
肺血栓塞栓症で緊急入院した数日後、医者から、「この状態だと、酸素ボンベを携帯しながらの生活になるでしょう」と言われました。車輪付きのキャリアーに酸素ボンベを載せて、酸素を吸引しながら、ぬっくりと歩けるようになった頃だったので、ショックでした。酸素ボンベ携帯の生活がどのようなものか実感できたからです。これでは、一人で外出することは大変です。これからずーと家の中で過ごすことになるのかと考えると、気が滅入りました。そのような生活でも、生きていられるのだから良かったと考えるべきかもしれませんが、なかなか、受け入れられるものではありません。幸い、その後、肺機能がいくらか快復し、酸素ボンベから解放されて自分の呼吸だけで歩けるようになりました。数日後、退院して自宅療養に入りました。
医者にとって治るとは、肺機能が完全に元の状態に戻ることではなく、酸素ボンベ携帯の生活ができるようになれば、それが治った状態です。故に、酸素ボンベを抱えての退院も、あり得たのです。実際、隣の患者はその類でした。凡夫の場合は、酸素ボンベが必要のない状態まで治って、退院できました。
今、思う様に動けること、このあたりまえのことが、とても、ありがたいことに思えます。お世話になった病院の担当医と医療スタッフには感謝しています。どうもありがとうございます。