本「耳袋」
2020 11 30 (art20-0294)
この数日、新型コロナウイルスの感染者数の増加が2,500あたりで止まっているようにみえますから、これからは減少していくだろうと期待できます。ただPCR検査数が45,000前後で留まっていることがちょっと気になります。感染者数の増加の止まりがPCR検査能力のリミットの反映でなければよいのですが。しばらく、要経過観察です。さて、この数日は雨天が続き、家でごろごろしています。こんな時は、本棚を物色して面白そうな本を抜き出しては、読みふけります。既読の筈ですが、よくしたもので、読んだ内容をぼぼ忘れていますから、それはそれで楽しめます。
根岸鎮衛原著、長谷川正春訳の「耳袋」(教育社新書、1980年刊)には、素朴な、かつ面白い話が載っています。この本は、随分前にどこかの古本屋で購入したものです。
ウィキペディアによりますと、この本は〈江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行の根岸鎮衛が、佐渡奉行時代(1784-87)に筆を起こし、死の前年の文化11年(1814)まで、約30年にわたって書きためた全10巻の雑話集。公務の暇に書きとめた来訪者や古老の興味深い話を編集したもので、さまざまな怪談奇譚や武士や庶民の逸事などが多数収録されている〉とあります。
訳者による解説も、「耳袋の世界」と題し、本の最初の二十数ページにわたり記載されています。著者の経歴やら人物像、執筆の動機、文体、はては、著者に関する伝説やらを知ることができます。
筆者のことはさておき、どのような感じの話がおさめられているか、2,3話本からコピペします。
【人魂】(巻6の一話)
ある人が葛西というところに釣りに出かけたところ、釣竿などの所にたくさんぶよという虫が集まってきた。これを見て、かたわらの老人は、「このあたりに人魂が落ちたのだろう。そのためこの虫がたくさん集まってくるのだ」といった。このことを私の知人に話したところ、この人がいうには、やはり明け方に出かけて釣りをした時に、人魂が飛んできて近くの草むらに落ちた。どんなものが落ちたのかと、そこへ行き、草などをかき分けてみると、泡立ったものがあって臭かったが、まもなくぶよとなって飛んでいってしまたということである。「老人のいったことも嘘ではない」と知人は語った。
【鬼僕】(巻4の一話)
柴田何某というお勘定役を勤めた人が、美濃の国の土木工事のご用で、先年その地へ行ったとき、出発前に1人の下僕を雇って召し連れたところ、誠実にそばで雑用などをしていた。
ある夜、旅宿に泊まったときに、真夜中と思われるころ、夢ともなくその下僕が枕元へやってきて「私は人間ではありません。もうりょう(水の神)といわれる者です。奉公の途中でありますが、やめるお許しをいただきたい」と願ったため「やむを得ない事情があれば、いとまをやらなければならないが、その事情を聴きたい」と答えた。すると、その下僕は「私の仲間の者は、順番に死人の死骸を取ることになっているが、このたびは私の順番に当たって、この旅宿の村から一里ほどさがった、百姓何某の母の死骸を取ることになっています。ゆくえをいわずに参りますのもどうかと思い、申しあげました」といい残してどこかへ行ってしまった。
つまらない夢を見たと、気にもかけずに寝てしまい、翌朝、起き出てみると、その下僕のゆくえは分からなかった。たいへん驚いて、例の一里あまり下がったところの何某の母のことを聞くと「今日葬式を行ったが、野辺送りの途中、黒雲が立ちのぼって空をおおい、棺の中の死骸は失われてしまった」とその土地の者が話したのを聞いて、ますます驚いたということである。
短いながら奇妙な話です。こうした怪奇な話が多いのですが、中には、落語のネタのような話もあります。
【不思議に得たお金】(巻7の一話)
安永のころ、梅若七郎兵衛という能役者がいた。彼は小笠原何某という家に心安く出入りを許され、かわいがらていたが、大変な貧乏の上一年もの間病気であったため、年の暮れになっても餅をつくこともできず、夫婦で一緒に使っていた一枚の衣類までも質にいれるほど困りはてていた。
暮れも12月26日になって「もうすぐ春(正月)になるというのに、こんなあり様でいるのはなんとも情けない。小笠原家へお伺いすれば、年ごとにお歳暮として三百疋(疋は銭10文)づついただけることだから、伺ってみよう」と思いたって、ボロではあるが小袖を着て、裃は近所の人に借りて、小笠原家に伺った。すると「よく来てくれた」といって迎えられ「ご主人様もお目にかかるとおっしゃるだろう」といって、酒などをふるまってくれた。やがて酔いがまわってきたころに、いつものお歳暮をいただいたので、七郎兵衛は「しだいに困窮して、今年は餅もつけないほどであり、いただいたお歳暮でなんとか年を越そうと思います」と話した。小笠原家の主人はこれを聞きつけてお目どおりを許され、さらに「それはそれは気の毒なことであろう。困っているのであろう」とお言葉をかけて下さった上に、金三両をお歳暮とは別に下さった。七郎兵衛は、本当に生き返ったような気持がして、その嬉しさは言葉では表せないほどであった。
お礼の言葉を幾重にも述べて帰路につく途中、どこの町であったてあろうか、どぶに立って小便をした。さあ妻を喜ばせようと家に立ち帰り、まずお歳暮の3百疋を渡し、さて三両の金を捜すとどこへ行ったのかみつからない。最初小便をしたところに落としたのだろうか、ほかの場所に落とした覚えもない。七兵衛は引き止める妻を振り返りもせず、飛ぶようにしてその小便をしたどぶに行き、きたないことを忘れて捜し回った。すると、付近の人たちが集まってきて「何をしているのですか」と尋ねるので「こういう次第だ」と事情を説明すると、同情してあかりをさげたりして、あたりを一緒に捜してくれた。そうしているうちに、どぶのなかから二両拾いだすことができたので、人々に厚く礼を述べて帰ろうとすると、人々は「もう一両も捜しだしたらどうか」というので、七郎兵衛は「いやいや二両だって捜しだせないところをこうして捜しだすことができたのですから、この上、夜を徹して捜してみても、なんの得るところがありましょう」といって家に帰った。
帰ってから、妻にこういう訳だったと事の次第を話すと、妻は喜び「まず足を洗いなさい」というので、足を洗い、帯をといて衣類を脱ぐと、この着物の破れ目から三両が小笠原家でもらったままそっくり出てきた。いただいた三両は落とさず、落としたと思ってどぶで捜し回って拾って得た金は、別の金だったというわけである。