本『クララとお日さま』
2021 7 15 (art21-0354)
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」(早川書房、2021年刊)を、土屋政雄の訳で読みました。この本は家内の紹介で、家内は新聞のどこかに載っていた記事をみたようです。ノーベル文学賞受賞第一作とか。久しぶりに、面白い本に出合いました。AI (artificial intelligence、人工知能) 搭載の人型ロボットのクララが、AF (artificial freind、人工親友)として病弱な少女ジョジーの家で過ごすことになり、ジョジーと親密になっていきます。クララと暮らす母親にとって、クララの入手にはある意図がありました。それは、娘のジョジーが死んだ後にも、ジョジーを存続させることです。クララに課せられた任務は、ジョジーの一挙手一投足をよく観察・学習して完全に模倣できるようになることであり、ジョジ―に成り代わることです。
学習することはAIの得意技なのですが、ここで、問題になるのは、身体の動きはともかく、「心」の有り様と動きです。そうした「心」を学習できるかどうか。疑心を抱く父親ポールに対してクララは答えます。
「じゃ、ちょっとほかのことも聞こう。これはどうだ。君は人の心というものがあると思うか。もちろん、単なる心臓のことじゃないぞ。詩的な意味での『人の心』だ。そんなものがあると思うか。人間一人一人を特別な個人にしている何かがあると思うか。仮にだ、仮にあるとしたら、ジョジーを正しく学習するためには、単に行動の癖のような表面的なことだけじゃなくて、ジョジョーの奥深い内部にある何かも学ばないといけないだろう。ジョジーの心を学ぶ必要があると思わないか」
「たしかにそうです」
「とんでもなく難しいだろう。君の能力はすごいんだろうが、それでも追いつかないんじゃないか。いくら巧妙になりすましたって、他人に成り代わることはできまい。心を学ばねば、心を完全に習得しなければ、現実問題として絶対にジョジーにはなれないと思う」
「ポールさんの言う『心』は、ジョジーを学習するうえでいちばん難しい部分かもしれません」とわたしは言いました。「たくさんんの部屋がある家のようだと思います。でも、AFがその気になって、時間が与えられれば、部屋の一つ一つを調べて歩き、やがてそこを自分の家のようにできると思います」
「だが、君がそういう部屋の一つにはいったとしよう。すると、その部屋の中にまた別の部屋があったとしたら?その部屋にはいったら、そこにもさらに部屋がある。部屋の中の部屋の中の部屋・・・きりがないんじゃないのか。ジョジーの心を学習するというのは、そういうことになると思わないか。いくら時間をかけて部屋を調べ歩いても、つねに未踏査の部屋が残る・・・」
わたしはしばらく考えて、こう言いました。「もちろん、人の心は複雑でないわけがありません。でも、限度があるはずです。ポールさんが私的な意味で語っているとしても、学習することには終わりがあると思います。ジョジーの心は、たしかに部屋の中に部屋があるような不思議な家かもしれません。でも、それがジョジーを救う最善の方法であるなら、わたしは全力を尽くします。成功する可能性はかなりあると信じます」
「そうか」
[p311-313より]
部屋の中にある部屋を開けて、さらに、その部屋のなかにある部屋を開けて、さらに、その部屋のなかにある部屋をあけることを繰り返すことで、人の「心」が学習できるものであろうか。そのような学習で、ジョジーを愛する全ての人のために、ジョジーを存続させることができるのであろうか。
幸いなことに、ジョジーはある出来事をきっかけに健康を取り戻します。数年後、すっかり元気になったジョジーは大学へ行くために家を去ります。クララのAFとしての役割は終わります。
廃品置き場に捨てられたクララと久しぶりに再会した店長(かつてクララをジョジーの母親に勧めた人)との会話。
「でもクララ、『ジョジーを継続する』ってどういう意味なの?」
「店長さん、わたしは全力でジョジーを学習しました。求められれば、全力で継続していたと思います。でも、結果が満足いくものになっただろうかと問われると・・・。それは、完璧な再現などできないということより、どんなにがんぱって手を伸ばしても、つねにその先に何かが残されているだろうと思うからです。母親にリックにメラニアさんに父親・・・あの人々の心にあるジョジーへの思いのすべてには、きっと手が届かなかったでしょう。いまはそう確信しています、店長さん」
「そう。でも、クララ、実際には最高の結果になったのね?よかったわ」
「カパルディさんは、継続できないような特別なものはジョジーの中にないと考えていました。探しに探したが、そういうものは見つからなかったーーーそう母親に言いました。でも、カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中でなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。だから、カパルディさんの思うようにはならず、わたくしの成功もなかっただろうと思います。わたくしは決定を誤らずに幸いでした」 [p431より]
未来はともかく、今は、AIの学習能力の届かないところに人の「心」を置いてくれていますから、ちょっと、安心できます。しかし、その到達不可の原因が察知されているとすれば、その到達はいつの日か成し遂げられるでしょう。
しかし、人の「心」の生長が解読されなければ、ある時点のジョジーは存続できても、本当の意味での、共に生長していく、ジョジーの継続はできないと思います。こちらは、そうそうできることではないでしょう。