今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

仏壇(2)

2021 9 06 (art21-0369)
浄土真宗では、亡くなると浄土に往生し仏になる(往生即成仏)と説いています。これは阿弥陀仏の導きによるものです。仏壇の本尊は阿弥陀仏ですから、仏壇は阿弥陀仏の浄土を表していると言えます。ちょっと手を休めて、浄土で仏になった故人(先祖)を思い追懐する場の一つが仏壇なのでしょう。

仏壇が置かれている床の間の長押には、祖母、父、母の遺影と並んで、温泉のおじさん夫婦の遺影が掛かっています。温泉のおじさんは、祖母の15歳下の弟ですから、大叔父なのですが、おじさんと呼んでいました。父とは7つ年上になります。
温泉のおばさんが亡くなり、4年後におじさんが亡くなりました。おじさん夫婦には子がありませんでした。どのような経緯があったのかは知りませんが、父と母が温泉のおじさん夫婦の年忌法要を行い、遺影を家に飾って故人を偲んでいました。今は、この家に住んでいる凡夫と家内が引き継いでいます。

温泉のおじさん夫婦は、浅津温泉(今の “はわい温泉”)に住んでいました。近いこともあり、子供のころ、年に数回家を尋ねました。おじさんは不在がちでしたが、おばさんが相手をしてくれました。おばさんは品のある物静かな人でした。ちゃぶ台に座り、お茶と饅頭やカステラなどを戴きました。茶器が小さく、叔母さんは、話しかけながらも手を休めることなく、小さな急須にお湯を注いでは小さな湯のみにお茶を入れてくれました。ときには、縁側廊下に座り、庭を眺めながらお茶とせんべいやクッキーなどを戴きました。庭には池があり、庭の向こうは旅館 “浅津苑”(現、“湯の宿彩香”)でした。おじさんが亡くなった後、土地は浅津苑に譲ったと聞いています。

温泉のおじさんは、長年勤めた町議員から助役となりました。3期(12年間)務めた後、一回り年上のおばさんの面倒をみる為に、町長から要請されていた4期目の留任を辞退したと聞いています。それから9年後、おばさんは亡くなりました。
おじさんが19歳のとき、おばさんと出会ったそうです。年齢差もあり、周囲は猛反対だったそうですが、反対を押し切って5年後に結婚(入籍)したそうです。よほどの縁があったのでしょう。

凡夫が大学院を終えて学位記を持ち帰ったとき、父は近くの親戚を集めて祝ってくれました。温泉のおじさんも来てくれました。おじさんは、上の学校へ行かせてもらえなかったと聞いています。大学院まで行った凡夫をどう思っていたのか分かりませんが、学位取得は我がことのように喜んでくれました。

おじさんは、79歳で亡くなりました。その3年前に、『牡牛のひとりごと』と題する自分史を書いて本にしています。いろいろな事件が簡潔な文体で記述されています。その多くは凡夫の知らないことです。身近な人の一生を、こうした形で知ることは悪くないなーと思います。

仏壇にお参りする度に、写真の中のおじさんとおばさんが懐かしく思われます。

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