今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

本『凍』と、オルカ登頂

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先日、登山家夫婦、山野井恭史と妙子の ”オルカ” 初登頂のビデオを観る機会がありました。これは、2008年にNHKテレビで「夫婦で挑んだ 白夜の大岩壁」のタイトルで放送されたものです。"オルカ" とはグリーンランドのミルネ島にある高さ 1,300mの大岩壁のことで、山野井恭史が海の王者シャチにちなんで、"オルカ" と名付けたそうです。登頂日は2007年8月6日です。木本哲氏も同伴しました。

ビデオは、クライミングの様子だけでなく、夫婦の日常生活も映しています。恭史氏には、両手の薬指と小指、右足の全ての指がありません。これは、2002年、標高7,952mのギャチュンカン北壁の登攀で下山中に雪崩にあい、凍傷で失ったものです。また、妙子氏の両手の指はすべてありません。これは、1991年、標高8,481mのヒマラヤ・マカルーの登頂後の下山中に嵐に巻き込まれて、凍傷で第二関節から先を失った上に、ギャチュンカン北壁の登攀時の凍傷で、さらに指の付け根近くまで失ったそうです。また、足の指8本がありません。

夫婦は奥多摩の借家で暮らしています。夫婦の頭の中には登攀のことがデンと鎮座しているようで、日常生活も山登りを基軸にして動いているように見えます。室内の壁一面につけられた無数のホールドにとりついてクライミングのトレーニングしている姿が映し出されていました。これだと、ちょっと気が向い時、直ぐに、ホールドにとりつけますから、山に居るようなものです。
妙子氏は、庭の菜園でとれた野菜を使って料理を作っているようですが、指が無い手で包丁や箸を自在に使っているところを見ると奇妙な感銘を受けます。余談ですが、ズボンを上げるのは大変だとか。

このビデオ視聴に刺激されて、沢木耕太郎のノンフィクション作品「凍」(新潮社、2005年刊)を、本棚から取り出して、あらためて読み直しました。これは、夫婦のギャチュンカン登攀を題材にした作品です。

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登頂を終えて下降中、標高7千2百メートル付近で雪崩に襲われ、妙子は50メートルほど滑落してロープで宙づり状態になります。辛うじて一命を取りとめた妙子を救助するため、恭史は懸垂下降します。この時、極度の疲労から視力を失い、目視でハーケンを打つ箇所を特定できなくなります。止む無く、手袋を脱いで素手になり、指先を冷たい岩に這わせて岩の割れ目を探し出し、ハーケンを打ちこみ、それを支点にして下降します。ハーケンを1本打つのに1時間かかり、そして1本を打つたびに指が1本だめになります。左手の小指、左手の薬指、右手の小指、右手の薬指と順番に。どうにか、妙子のところまで降り立ち、2人で下降します。酸素の希薄な高所に5日間もいるのですから疲労は極限状態になり、過酷な下降となります。想像を絶する世界です。その高度では、パルスオキシメーターによる血中の酸素飽和度が50%を切るそうですから、これは、苦しいどころでなく意識障害や昏睡状態に陥り、組織障害も起きます。九死に一生を得て生還した2人ですが、手と足の指の凍傷部は切断することになります。

それから5年目の2007年、夫婦そろってオルカに登頂しました。その様子をNHKのテレビ放送のビデオで観ることができました。1,300mの岩場を登り切り、オルカの山頂に立った山野井夫婦。オルカは、恭史氏に「あー、頂上だね。本当に頂上じゃねえか、まじで」と言わせ、妙子氏に「本当のてっぺんにくるとは思わなかった。・・・、いやー、うれしいな」と言わせました。両手を広げて「ここがてっぺんでーす」と声を出す、うれしそうな妙子氏の顔が印象に残りました。

2人とも、本当に山登りが好きなのですなー。

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