本「中陰の花」
2021 12 20 (art21-0399)
下(しも)の叔母さんが亡くなりました。91歳でした。このところ、食べなくなり眠ってばかりの状態だったそうですから、死因は肺炎とのことですが、老衰死といってもよいかと思います。叔母さんちは母の実家です。叔父さんが母の弟になります。定年退職するまで住んでいた横浜から帰省した時、下へ行こうと、家内や子供を連れて、叔母さんちを訪ねていました。10年前に母が亡くなってからも、訪問は続けていました。叔父さんと叔母さんの元気な姿を見ると安堵しました。数年前に郷里に移住してからは、年に何度か訪ねていました。しかし、コロナ渦中、叔父さんに続いて、足元が危なっかしくなった叔母さんも施設に入りました。面会できないとのことでしたから、しばらく会っていません。そんな中、亡くなったとの通知を受けました。
コロナ渦でもあり、葬儀はほんの近い親戚と家族だけで執り行われました。葬儀に続いて、取越法要(49日の法要の繰り上げ)と寺参りがあり、最後に、仕上げの会食を行いました。
仏教では、臨終から49日までの期間を "中陰" と呼び、故人が極楽浄土に行けるかどうかの裁きを受けます。49日目に最後の審判が下されます。故人が極楽往生できるように、7日ごとに中陰供養を行い、満中陰の49日には僧侶を招いて追善法要(49日の法要)行います。
しかし、浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏になる(往生即成仏)と教えていますから、49日の法要はおこないますが、追善の意味合いはなく、故人を偲び、遺族の心を癒し、仏に感謝する場にすぎません。
玄侑宗久の本「中陰の花」(文芸春秋、2001年刊)を読み直しました。著者は、1956年生まれの臨済宗の僧侶です。
“おがみや” と呼ばれているウメさんは、予知能力をもち、自分の死を予言する。進行の止まった子宮癌をかかえながらも、予言通り亡くなる。89歳、自然死に近い死に方で。僧侶・則道はウメさんの葬儀を執り行う。ウメさんの成仏をめぐって、49日の中陰の間に、何か異変が起こるのではないかと、妻・桂子と神経をとがらす。49日の法要を翌日に控えた夜中、妻が4年がかりでよった紙縒りを網目状に貼り付けて作成したシートを何重にも重ねて、本堂の天井から吊るす。それはあたかも、中空に咲いた花のようである。二つの位牌を前に、お経、"施餓鬼" を上げていると、紙縒りの群れが震えるように揺れ出す。そして、ろうそくの炎にも異変が起こる。お経が終わると、隣の妻が微笑んで囁く「成仏やなあ」と。「だれの」との問いかけに、妻は中陰の花を見上げて「だれのやしらんけど」と言う。
二つの位牌の一つはウメさん、もう一つは、4年前に4週間目で流産した2人の子供の位牌です。ウメさんが成仏するとき、その子を連れて行ってくれたのでしょうか。紙縒りの網で掬い取るようにして。二つの位牌を前に上げたお経 ”施餓鬼" は、ふだん顧みられないあらゆる命たちの成仏を祈るお経、とあります。
下の叔母さんは、浄土に行って仏になっているのでしょう。「往生即成仏」と浄土真宗は教えていますから。そうは言っても、もう会えないのは寂しいかぎりです。