本「すっぽん心中」
2022 11 3 (art22-0490)
朝飯前、台所で、干し柿にするため柿の皮を剥いていると、点けっぱなしのFMラジオから、「北朝鮮がミサイルを発射しました。新潟、山形、宮城の人は避難してください」と、Jアラートが流れてきました。ミサイルは太平洋へ通過した。そして、太平洋に落下した。しばらくすると、日本上空を通過しなかった、と。現在のミサイル探知能力、この程度なのですな。発射は探知できるようですが、飛行中のミサイルは探知できず、どこへ飛んでいくのか、大よそのところしかわからないのですな。これでは、一発のミサイルで地上は大騒ぎになりますな。さて、本の話です。
TVドラマを録画して観ています。「エルピス」「ファーストペンギン」「クロサギ」「アトムの童」です。いずれも、ストーリーがはっきりしています。ふりかかる障害や妨害をはねのけて、目標に向かって邁進する。ある意味では、サクセス物語です。結末は予想できるとしても、そこへのアプローチを楽しむことができます。
しかし、なんの目標もなく、また、ふりかかる障害や妨害に対処することもなく、ただただやり過ごすことだけのドラマは楽しめるものでしょうか。窮地から抜け出そうとするでもなく、トラブルを解決しようと行動するでもない。波風に抗うこともなく、ただ波風のなかをただよう。恐らく、サクセスドラマに慣れた人が、そうしたドラマをみると、おいてきぼりをくらい、取り残された気分になるでしょう。そもそも、そうしたドラマは視聴率に縛られているTVドラマとしては成立できないでしょうな。
TVドラマには無くても、小説の世界には、何でもありですから、そうしたものもありそうです。先日読んだ本は、そうした類のものでしょうか。戌井昭人の小説「すっぽん心中」(新潮社刊)です。末尾で、えっ、これで、終わり?
漬物の配送を仕事にしている田野正平は、不忍池のベンチでクッキーを食べているとき、鳩にとり巻かれる。「すごいことになっているね」と、若い女性の百々から声を掛けられる。なんとなく親しくなる。話のはずみで、霞ケ浦へスッポンを獲りに出かけることになる。なんとか、一匹捕まえて、お金に換えようとスッポン料理店にもっていくが、相手にされない。田野は、従妹の所へ行くという百々と別れる。
出会った2人、田野と百々、どうなっていくのかなと期待しながら読み進めていくのだが、何も起こらない。出会いによって、2人の人生が変化することもなく、また、別れた後の生き方に何らかの影響をあたえるようなこともなさそうである。出会いは、2人に何の反応も起こさない。
多くの人の人生は、TVドラマに描かれるような劇的なものではなく、むしろ、この小説のように、変化を求めることもなく、波風をやり過ごすだけのものでしょうかな。