今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

本「この人の閾」の『夢のあと』

2022 11 21 (art22-0495)
保坂和志の『夢のあと』を読みました。これは、1995年に新潮社から出版された本「この人の閾」の中の一編です。

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話は、6月のとある日曜日に、知り合いの女の子と東京から鎌倉へ行って、ちょっと前に知り合いになった笹井さんを訪ねて、3人で、鎌倉を見て歩き回るだけの話です。かつて笹井さんが子供の頃に遊んでいた場所が、今どうなっているかを見てみようと。

鎌倉駅の西口のキオスクで待ち合わせた3人は、そこから由比ヶ浜銀座通りを南西へ下り、突きあたりの広い道路を西へ進み、六地蔵交差点で由比ヶ浜海岸へと続く細い道に入る。途中、かつて、笹井さんがメンコとコマ遊びに興じていた江ノ電の和田塚駅に立ち寄った後、海岸の手前の公園で一休みをする。かつて、ここは広い空き地で、笠井さんは草野球をやっていたところ。
由比ヶ浜を500メートルほど西へ歩き、坂ノ下あたりで、海岸道路に上がり、北上して長谷観音へ。山門手前の駐車場を奥に進み、長谷観音の裏庭のような場所を見学する。ここは、かつての笠井さんの遊び場、今は、日本庭園の造りかけの工事現場様で雑然としている。次に、すぐ近くの光則寺への坂を上る。門の手前は笠井さんが通っていた幼稚園があったところ。かつての園の遊び場は日本庭園の造りかけの工事現場のような見てくれ、そして、園舎は取崩し前の建物風。笠井さんに「おれの見て回るところが、次々となんにもなくなっている。もう、絶句しちゃうよね」と言わせる。

1993年6月から2013年11月までの20年間、横浜市栄区に住んでいました。栄区は鎌倉市に隣接していますから、鎌倉へは幾度となく行きました。多くは大船駅に出て電車で鎌倉へ行きましたが、時には、栄プールに出て、そこから歩いて山に入り天園ハイキングコースを辿って鎌倉へ行きました。ある年の大晦日の深夜、家族全員で、懐中電灯を手に、山を越えて鎌倉天満宮へ行ったこともあります。

この作品は具体的な地名・固有名詞で語られているので、土地鑑がある読者は、臨場感を覚え、3人が見て回っている姿をリアルな情景として脳裏に浮かべることでしょう。そして、日常の、どこにでもありそうな会話が聞えてきます。すこし、理屈っぽい感はあるものの、十分楽しめます。

しかし、かつてあったものが、なにもかもなくなっている今を見て、
「夢のあとみたいだ」という感想を言いたくなって声に出すと、「なんかさあ、『夢のあとみたい』とか言っちゃうと、それで、何か言ったような気になっちゃうけどさあ。でも、本当はそういうのって、何も言ってないのとおなじことじゃない」と笠井さんに言わせる。
ここには見てきたものをうまく言うことの難しさ、があります。言葉にするには、見てきたものに対して誠実であることが求められる。言葉一つでも、なかなか大変です。


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