今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

本「おどろでく」の『大字哀野』

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歯周炎による顎の腫れを自力で抑え込むため、この1週間、休養中との銘を打って、部屋でブラブラ過ごしました。と言っても、やっていたこと(木工作業場の改装作業)を中断しているだけのことです。気ままに、サッカー試合をTV観戦したり、音楽を聴いたり、本棚の本、あるいは、アマゾン通販で手に入れた中古本を読んだり、です。

読んだ本の一冊に、1994年7月に講談社から出版された室井光広の本「おどろでく」のなかの一編『大字哀野』があります。会津地方の郷里、大字哀野、の診療所に赴任してきたユダヤ系アメリカ人の父と中国人医師の家系の母をもつ医者、アイヤ氏、をめぐる物語です。母親がつけていた農事暦をたよりに、アイヤ氏が赴任してきた昭和48年から12年間ほどの往時を回想したもの。アイヤ氏のアイヤはニックネームで、喜怒哀楽の折々に大げさなしぐさで、アイヤ!と叫ぶところから付けられたもので、氏は見た目は全く西洋人です。

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米作、養鶏、葉タバコ栽培で暮らしをたてる一家族とアイヤ氏との関わりがアレコレ回想されます、赴任歓迎会に参加した高二の妹ユリは、後に、病院看護師の見習いとなり、アイヤ氏と結婚し子をもうけて、離婚するとか、祖母が土蔵の2階で首つり自殺をするとか、腎臓がんで父が死ぬとか。
そんななかで、同じ会津地方出身の野口英世の母シカの手紙が一部引用されています。Webで全文を調べました。シカの手紙の日付けは、1912(明治45)年1月23日。手紙を受け取った英世は、1915(大正4)年に15年ぶりに帰国し、母との再会を果たしたそうです。

おまイの。しせにわ。みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかたのかんのんさまに。 さまにねん。 よこもりを。 いたしました。
べん京なぼでも。 きりかない。
いぼし。 ほわこまりをりますか。おまいか。きたならば。もしわけかてきましよ。
はるになるト。 みなほかいドに。 いてしまいます。 わたしも。 こころぼそくありまする。ドかはやくきてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにもきかせません。それをきかせるトみなのまれて。しまいます。
はやくきてくたされ。 はやくきてくたされはやくきくたされ。 はやくきてくたされ。 いしよのたのみて。 ありまする。にしさむいてわ。 おかみ。ひかしさむいてわおかみ。 しております。 きたさむいてわおかみおります。みなみたむいてわおかんておりまする。
ついたちにわしをたちをしております。 ゐ少さまに。ついたちにわおかんてもろておりまする。なにわすれても。 これわすれません。
さしんおみるト。 いただいておりまする。 はやくきてくたされ。 いつくるトおせてくたされ。
これのへんちちまちてをりまする。 ねてもねむられません。

この感動的なシカの文体が物語のなかで、効果的に使われています。

土蔵の2階で首つり自殺をした祖母は、田畑デ身体ヲ動カセナクナッタ百姓ハ死ナネバナラナイとの「情」を頑なにもつ、凛々たる誇り高き百姓であったとあります。はやく死ぬことを願望していた祖母は、野口シカが毎年夜籠りした中田の観音様にも、詣でていたようで、「はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ」と連呼し、楽に死なせてくれるという観音様の功徳を心待ちにしていた。また、祖母は、自殺の一週間前、アイヤ氏の診断を受け、終わると両手を広げて頼んだ。
いっしょのたのみて。ありまする。にしさむいてわ。おかみ。ひかしさむいてわおかみ。しております。きたさむいてわおかみおります。みなみさむいてわおかんでおりまする。おせてくたされ。楽に死ねるクスリをまちておりまする。どうか楽に死ねるクスリを。
しかし、アイヤ氏は、祖母の願いを、奇妙なユダヤカバラの祈りのような奇態なゼスチャーを放出することで拒んだ。そのゼスチャーは、東西南北の四方に次々に向いて頭を地につけて身を投げ出す、氏があみだした祈祷法である。にしむいてわおかみ。ひがしむいてわおかみ。きたむいてわおかみ。みなみむいてはおかみ、である。


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