本「春を背負って」
2023 1 9 (art23-0509)
奥秩父の山小屋を舞台にした笹本稜平の短編小説集「春を背負って」(文芸春秋、2011年刊)を読みました。本棚から引っ張り出して読んでいますから、再読になるのですが、記憶容量の小さい凡夫にとっては、読後10年も経てば、初読のようなものです。奥秩父の山塊、甲武信ヶ岳と国師ヶ岳を結ぶ稜線のほぼ中間から長野側に少し下った沢の源頭にある山小屋 “梓小屋” の主人、長嶺亨。4年前、梓小屋を経営していた父の死後、脱サラして後を継ぐ。新米の小屋主に何かと力を貸す経験豊富な年配のゴロさんこと多田悟朗、そして、縁あって小屋で働くことになった20代後半の高沢美由紀。話は、故あって山に登り、小屋を訪れる登山客への待遇と梓小屋スタッフ3人が抱える諸事情の行方。
山に登る人のなかには、のっぴきならない事情や思いを背負っている人もいる。山に登ることで、また、道中や山小屋で人と関わり合うことで、気持ちがほぐれ、重荷やわだかまりから解放されて、すこしずつ前向きの気持ちが湧いてくる。同じように、梓小屋の3人のスタッフにおいても、それぞれが抱えるわだかまりやしこりがとけていく。
凡夫の登山経験はほんの少しですが、それでも、わかるような気がします。登山は、自分の足を一歩ずつ前に進めて山頂に立つ行為です。この自分の足で登るというプリミティブな行為は、プリミティブであるが故に、確とした充実感を醸し、心身の調和をもたらします。心がリセットされて、歪みやしこりが無くなり、元の真っすぐな心が戻ってきます。そうした心理状態の人達が出会うと、一期一会でも心が触れ合うことがあるのでしょう。復元と再生です。
「自分というトンネルをいくら奥へ奥へと掘り続けても出口は決して見つからない。空気もない光もない世界から抜け出すには外へ向かうしかないんだよ。人のいる場所へ、心と心が触れ合う場所へ」と、亨はいいます。
ゴロさんは言います。
「人生で大事なのは、山登りと同じで、自分の2本の足でどこまで歩けるか、自分自身に問うことなんじゃないかね。自分の足で歩いた距離だけが本物の宝になるんだよ。だから、人と競走する必要はないし、勝った負けたの結果から得られるものなんて、束の間の幻にすぎないわけだ」と。