老いと定年退職
2023 8 31 (art23-0576)
日中は暑くて外に出られません。8月末日だと言うのに、今日も暑くなりそうです。屋内で過ごします。さて、老いと定年退職の話です。黒井千次の「老いのかたち」(2010、中公新書)は、老いについてよく書けていると思います。この本は、読売新聞の「時のかくれん坊」に連載されたものだそうで、著者が73~77歳の作品です。70歳直前の凡夫はその年齢にまだ達していませんが、日頃感じていることを代弁しているような感覚を覚えます。
しかし、感じていることがすべて代弁されている訳ではありません。著者の経歴をみると、1970年に勤めていた富士重工業を退社して作家活動に専念しています。1932年生まれとありますから、この時著者は40歳前です。従って、勤労者が60~65歳で経験する定年退職とは無縁です。
多くの勤労者にとって、定年退職はちょうど老いに足を踏み入れる頃にやってきます。それまでの何十年もの間帰属していた会社や組織から解放されて、肩書のない一個人になります。この状況で、老いは始まります。
朝、目覚めると、今日は何をしようかと考えます。そこに一切の拘束と制約はありません。好きなことを好きなように決めるだけです。そして、決めたことに従って、一日を過ごすことができます。誰に気兼ねすることもなく、気ままに。老いの始まりは、こうしたものです。
実際、定年退職後、ここに移住して、家庭菜園と木工工作を始めてみると、そのことが実感できました。作りたい野菜、トマト、ナス、ピーマン、キュウリなど、を作りたいように作れます。果樹もしかり。柿とプルーンの栽培、ポポー、梅、キウイフルーツは苗木から育てています。また、ミカン畑を造成して温州ミカンなどを栽培しています。やりたいようにやっています。木工工作も同じです。作りたい物を作りたいように作っています。作業に気が向かない日は、うだうだと、メダカや金魚の世話をしたり、本を読んだり、音楽を聴いたり、TVを観たりしています。
そうした日々を送るうちに、老いが進行しています。体が固くなりました。元々、固かったのですが、ますます、固くなってきました。朝起きると、まず、体をほぐします。また、筋力が落ちてきました。鎌や鍬を扱う手や腕に、中腰作業中の足や腰に疲れを感じます。物忘れが多くなりました。ちょっと前に使った工具を何処に置いたか思い出せなくて、やたら捜し廻っています。
こうした心身の衰えをかかえながら生きていくのですが、日々、気ままに過ごせる状況が起こり得る支障や不具合を軽減してくれます。何事も、急を要することはありませんから、ゆっくりやれます。そして、疲れたらいつでも止めれますから、身体への負担を最小限にできます。
老いのなかで楽しく生きるには、老いの始まりと定年退職の時期を合わせることで、ゆとりを持たせることだと思います。退職して自分を会社や組織から解放し、好きなように暮らせる状況のなかで、老いを迎えることです。
先日のブログ (ゴム長靴と足の痛み 2023 8 21 [art23-0573] ) のなかで『60歳で定年退職して、残りの10年間を自分の時間として、好きなことをやりたいようにやって、気儘に暮らすことが道理だと思います』と書いた主意はここにあります。
凡夫の場合は、10年間ではなく、もう数年、このまま行けそうです。