老いの姿
2024 6 13 (art24-0658)
凡夫は70歳と半年です。70歳と言えば、長寿の祝いである古希にあたります。古希は、詩聖の杜甫が書いた漢詩「曲江」の一節に由来しているそうです。朝回日日典春衣
毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有
人生七十古来稀
穿花蛺蝶深深見
点水蜻點款款飛
伝語風光共流転
暫時相賞莫相違
「人生七十古来稀」(じんせいしちじゅう こらいまれなり)です。当時、70歳まで生きる人はわずかであったのでしょう。杜甫自身は、ウィキペディアによると、712年に生まれて770年に亡くなっていますから、58歳没です。ちなみに、詩仙の李白は、701-762年で、61歳没です。
このあたりの人は、70歳ではまだ老いとは無縁のようです。しかし、それから5年程たつと、老いの姿が現れてくるようです。
ある日の夕方、日課の畑廻りをしていると、2,3十メートル先の、道沿いの野菜畑に人を見かけました。前かがみで、狭い歩幅で、とぼとぼ歩いています。はて、どこの老人だろうと思い巡らしながら、近寄ってみると、Sさんでした。Sさん宅は近所でもあり、時折話をします。まさか、畑で見かけた ”老人” がそのSさんであったとは。Sさんは、凡夫より5歳年上です。
Sさんの姿勢と歩き方が、この一年で、随分変わってきたことに、家内も気づいていたようです。外から見て、人の老いは、声だとか、顔だとか、頭髪だとか、といった体の一部からの印象ではなく、体全体の雰囲気や動きから看取されるようです。自分で自分の歩く姿を見る機会はありませんから、自分では自分の老いに気づかないことになります。しかし、人からははっきり見えますから、ふとした折に、誰かにこう言われます。「大丈夫ですか」、「席をかわりましょうか」、「荷物を持ちましょうか」、「前に段差がありますよ」、などと。
あと5年程でしょうか。他人から気遣われるようになる前に、やりたいことをやりたいようにやろうと思います。