果樹の農薬散布
2024 7 1 (art24-0663)
雨天が続き、果樹に農薬を散布することができず困っていたところ、お天気サイトが丸一日の晴れ日を予報しましたので、その日(29日)に農薬散布を行うことにしました。この時期の天気予報は変更が多く、どうなることかと心配していましたが、予報内容に変更はありませんでした。当日、朝早く起きて畑に出てみると、果樹の葉には水滴が付着していました。予報に反し、明け方に雨が降ったようです。下草もしっとり濡れていました。ただ、空が晴れ上がっていましたから、もう雨が降ることはなさそうです。乾くのを待って農薬を散布することにしました。ただ、湿度が高く、無風に近いので、乾くのに時間がかかりそうでしたから、一旦、帰宅しました。
朝食を済ませ、しばらく休んだ後、再度畑に出ました。日は高くなり、強い日射しがふり注いでいました。気温が上がり、また少し風も出てきて、葉の付着水は蒸発したようで目立たなくなっていました。
農薬液を調整し、小型(4L用)の手押しポンプに移して、散布作業にとりかかりました。1時間ちょっとで無事完了しました。高温多湿下での作業となり、全身汗びっしょりでした。
凡夫が子供の頃の話ですが、梨山(梨畑)へ出かけた両親が、農薬散布を終えて、全身汗まみれで帰ってきたことを思い出します。当時、この地区の農家の多くは、二十世紀梨を栽培していました。梨畑は東郷池の向かい側の小山の傾斜地にありました。当時、池の周回道路は引かれていなかったので、梨山(梨畑)へは、発動機付きの小舟で池の向こう岸に渡り、そこから傾斜地を登って梨畑へ行きました。
梨栽培の作業はいろいろありますが、中でも忙しい作業は交配と袋掛けです。短期間で終了させる必要があり、家族総出の作業でした。小中学生の子供も駆り出されます。大きな梨農家は、家族だけでは足りず、助っ人を雇っていました。
一方、きつい作業は農薬散布です。散布回数は多く、4月から8月まで月3回です。特に、梅雨期から夏期の高温多湿下での散布作業はとてもきついと聞いています。ポンプに繋いだホースの束(これが高耐圧用なので重い)を抱えて、傾斜地をアチラコチラと移動して散布するのですから、重労働です。
当時の梨栽培は儲かっていたようです。作業がきつくても、儲かりますから、多くの農家が梨栽培に取り組み、栽培面積は広がっていきました。しかし、梨栽培は親の世代から次へと繋がりませんでした。今では、自家用の梨を栽培している高齢農家が数軒あるだけです。理由はいろいろありましょうが、要は、儲からなくなったからです。何故、儲からなくなったのか。うまいものに群がる ”ハイエナ” がいたからだと思います。農家の稼ぎで生きている ”集団” です。