田植えの記憶(1)
2024 7 8 (art24-0665)
凡夫が住む村落、東側には東郷池、西側には田圃が広がっています。この時期、田圃には稲が整然と植わっています。6月上旬、田植え機で、一ヶ所あたり3,4本植えられた苗が、分げつによって茎数を増やし、今では2, 30本ほどの株になっています。田植え直後の頼りなさそうに見えた株は、どっしりと頼もしくなっています。村落の高齢化が進み、自分で稲を作る人が減ってきました。個人で手に負えなくなった田圃をまとめて、農事組合が稲作を請け負っています。しかし、有志の集まりである農事組会のメンバーにも高齢化の波が押し寄せ、年々、請け負える田圃の数が減ってきました。あぶれた田圃の稲作を外部の民間企業に依頼するようになりました。
民間企業は大型農機を備えています。田植えの時期になると、ハロー付きの大型トラクターを持ち込んでささっと代掻きを行った後、大きな田植え機を持ち込んで、あれよあれよという間に田植えを済ませます。田圃1枚(1反)を半時間ほどで終えます。
凡夫が子供の頃、田植えと言えば、手植えで家族総出の作業でした。田植えの日の作業は、田圃に植える苗の準備から始まります。
朝早いうちから龍神苗田に出かけて、苗代で育てた苗を根ごと引き抜いて束ねます。工型の木製の椅子に腰をおろして、前かがみの姿勢で腕を伸ばし、手を苗の根もとに置き、親指と人差し指で苗を数本ずつつまんでは手前に引き抜いていきます。時々、根に付いた泥をジャブジャブと洗い落とします。左右の手で引き抜き、両手の苗が一杯になったら、併せて藁紐でくくり、苗束をつくります。子供の手は小さいので、手一杯になっただけでは足りず、2回分を一つにまとめて束ねていました。
出来上がった苗束を竹かごに入れてテイラーに積み、代掻き済みの田圃に運びます。テイラーは耕運機に2輪の荷車を連結させた運搬車です。荷台の前方に運転席が付いていました。牽引が耕運機ですからスピードがでません。必要に迫られて、子供も運転していました。田圃に運んだ後、畦から苗束を投げ入れます。
親戚や近隣の人が加わって、田植え作業が始まります。横一列に並び、横に張った田植え紐に合わせて、苗を植えていきます。田植え紐には8寸間隔に赤い玉が付いていて、その玉の所に苗を植えます。田植え紐が移動するたびに植えるのですが、この時、横一列に並んだメンバーが一斉に開始して終了する必要があります。一人でも遅れると、他の人は待たなければなりません。よくしたもので、このあたりの調整はなんとなくできていました。大人の間に子供を入れることで、子供の力量に合わせて、両隣の大人が子供の植える苗の列数(条数)を調整します。また、疲れて、子供のスピードが落ちてきたら、条数を減らしてやります。遅い子供も、早い子供も、それなりに労働力となりますから、田植えは家族総出の作業でした。
(次回に続く)