できていたことが、できなくなる
2025 12 1 (art25-0809)
若い頃は、今日できなかったことが、明日はできるだろうと思えました。実際、できたのです。しかし、この歳になると、逆に、今日できたことが、いつか、早ければ明日にでも、できなくなるだろうと思えます。さびしいことですが、これが、歳を取ると言うことなのでしょう。ただ、幸いなことに、心身の衰えに合わせているかのように、できることをやるだけですから、それに気づいて、へこむようなことはありません。
凡夫はここに移住してから、木工と家庭菜園を続けていますが、動作が緩慢になっているようで、作業がなかなか進みません。作業中の自分の姿を録画して見ると、かつて、年寄りの姿を見て、のろのろ歩いているなとか、さっさとできないものかと思ったように、今の自分に向けて、同じことを思うのでしょうか。
しかし、歳を取ってからの作業の多くは、暇つぶしのようなものです。時間が過ぎればよいのです。成果は二の次、あるいは、度外視です。ただ、同じ時間を過ごすのであれば、楽しい作業が望ましいと言えます。各人各様でしょうが、凡夫の場合は、木工と家庭菜園でしょうか。そして読書。読書は作業と言えるか分かりませんが、楽しく暇をつぶせます。
木工は、作りたい物を、作りたいように、作っています。作りたいものが無いときややりたくない日はお休みです。そして、何か作りたいものが浮かぶと休日返上です。どのように作るか、アレコレ思案し、作業に取り掛かります。作ってみて気に入らなければやり直します。試行錯誤。これが楽しいのです。いつまでに作らなければならないと言ったものではありませんから、ゆるりとマイペースでやれます。
家庭菜園もそうです。作りたい作物を作りたいように作っています。いろいろな作業がありますが、この数年は果樹の剪定にはまっています。この枝を落とせば、樹形はどうなるのか、逆に、樹形をこうするには、どの枝を落とせばよいのか、また、着果枝をどう整えるのか、アレコレ思案しては作業を楽しんでいます。なかなか思い通りにはいきませんが、そこが面白いのです。
家庭菜園は生き物相手ですから、ある程度作業の期限はあります。しかし、それはアバウトです。いつ頃までに、はあっても、何日までに、はありません。こちらの都合で作業ができます。
ところで、暇つぶしと言えば、空いている時間を、しかも、忙しい時間の間の空き時間を連想しますから、暇つぶしと言うより、時間つぶしと言ったほうが適切かもしれません。時間つぶしの木工であり、時間つぶしの家庭菜園です。