本「人生しょせん運不運」
2025 12 22 (art25-0815)
古山高麗雄の「人生しょせん運不運」(草思社、2004年刊)を読みました。この作品は、幼児から戦争体験を経て戦後までの記憶をたどろうとの構想で、2001年6月から始まった雑誌の連載記事だったようですが、著者が急逝したため、それまでの記事をまとめて一冊の本にしたものです。したがって、回顧録は中途、軍に招集される前までになります。
著者は、1920年(大正9年)8月に朝鮮新義州で生まれています。1942年の秋、21歳で入隊していますから、幼児から21歳までの回顧です。凡夫の父も、1920年生まれです。そして、1941年に入隊しています。1月生まれですから、21歳での入隊です。さらに、著者は2002年3月に、81歳で死去しています。凡夫の父は、2000年1月に亡くなっています。80歳になったばかりでした。著者と父は同じ時代に、ほぼ同じ年月生きたことになります。この本を読みながら、ついつい若かりし日の父を想像してしまいます。凡夫は、戦後生まれですから、戦前の父を見たことはないのですが。
人生はしょせん運不運だそうです。
『あの両親の子として生まれたのも私の運というものだと思います。あの旧植民地の小さな町に生まれて、あの町で育ったのも、私の運というものだと思います。私が大正9年に生まれたのも、父が宮城県の出身であることも、すべて運。後日、戦場へ送られて、なんとか生還はしたものの、何でもすぐ、運だ、星だ、しゃない、と思ってしまう人間に変わって、私はそう思うようになりました』
父母も偶然の所産であり、祖父母もそうであり、とありますから、運は偶然と読み解いてもよいかと思います。この運、あるいは偶然ゆえに、親を選ぶことができません。
運/偶然によって、著者は、医者の家に生まれます。新義州中学校を卒業。高校入試に受からず、親元を離れて、2年間東京市ヶ谷の城北予備校(1987年廃校?)に通い、1940年、三高に合格します。入学するも、講義に出ず、翌年退学。京都から東京に移り、1942年入隊。親元を離れてからずーっと、80円の仕送りがあったそうです。無為徒食の生活を送り、仕送りのほとんどを遊郭通いに使ったそうです。
裕福な家に生まれ育ったボンボンと言ったところです。金銭的には何不自由なく育ったのでしょう。親元から離れても、80円の仕送りとは、リッチです。
同じ時代に、小さな農家の家に生まれ育った父はどうしていたかと言えば、必死に働いていたと思います。祖母30歳の時、祖父が亡くなり、長男である父は、7歳で一家の大黒柱的な役割を担うことになったようです。弟3歳、妹1歳でした。父は働きづめで、上の学校に行けなかったと聞いています。さらに、19歳のとき、村落の大火事で家が焼失しました。21歳で入隊するまで、働きどおしだったと思います。
どんな家に生まれてくるのか、確かに偶然/運です。それにしても、当時、父はどう思っていたのか、聞いてみたいと思います。生前、父の労苦に思い至ることはありませんでした。逆に、お金に細かい人だなーと、思っていました。