今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

読経

2026 2 2 (art26-0827)
先月の末、父の命日に家内と仏壇の前に座り、読経しました。毎年行っていることです、と言っても、ここに戻ってからですから7,8回目となりましょうか。祖母、父母、温泉のおじさん夫婦の5人の命日に、家内と二人で行っています。家内も凡夫も、故人のいずれにも面識があります。祖父は、早くに亡くなりましたから、面識はなく、写真でしか知りません。

読経は正信偈です。正信偈は親鸞聖人が各種の経を基に、本願念仏の教えを論考し、それを7文字の120句の詩句にもとめた偈文です。謂わば、考察論文です。正信偈の前半は、大無量寿経に依拠して、阿弥陀仏の本願と、その名号(南無阿弥陀仏)を解き、後半で、インド・中国・日本の7人の高僧(龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空)の業績や徳を紹介しています。
なお、お経を仏(釈迦様)が説いた教えを書きとめたものとすれば、正信偈はお経ではないのかもしれませんが、習慣的に、お経を読もうといって、正信偈を声を出して唱えています。

ところで、司馬遼太郎は、『街道をゆくシリーズの因幡・伯耆のみち』の中で、因幡の源座という妙好人の話題に触れて、浄土真宗についてこう記述しています。「人間の多くは悪人(聖性を得る能力をもたない存在)であるとし、さらには不信の徒であるとする。阿弥陀如来の本質として(本願として)、それでもなお人間を見すてず、たとえ人間が如来から逃げまわっても追っかけていってことごとく救う」と。
さらに、「親鸞聖人の思想は、人は宇宙の意志(その本質は慈悲)によって、平等に生かされている。そして平等に死ぬ。死んでも、地獄・極楽というような不平等はない」と。

それでもなお人間を見すてず、たとえ人間が如来から逃げまわっても追っかけていってことごとく救う、なかなか平易で的確な表現だなーと、思います。ある種、妙文です。

仏壇の下段に置かれたスナップ写真の父と母は、笑っています。横浜からの帰省時に、玄関通路で写したものです。 父母がそうであったように、家内と二人で、夕食前に仏壇に手を合わせています。

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