今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

5枚の聖徳太子札(その2)

2019 07 04 (art19-0149)
1年前に仕舞い込んだ5枚の聖徳太子の万円札、どこを探しても見つかりません(art19-0148)。ほぼ諦め気分で、「見つけた人がもらうことにしよう」と宣告しました。これを耳にするや、家内が本腰をいれて探し始めました。

家内は、初め、洋間の本の幾つかを手に取り、パラパラめくっていました。そのうち、部屋を出て、廊下の脇に山積みになっている本にあたっていました。しばらくして、「あった」と歓声を上げて、本をもってきました。確かに、本の見返しに2枚の聖徳太子札が挟まっていました。しかし、これは探している5万円ではありません。「あっ、これは違うな」と言いながら本を手に取りました。大学生の時に購入した本です。家内が言うには、凡夫がお金を挟みそうな本を選んで探しているとのことです。そして、この本はピンときた本の一冊であると。この探し方が功を奏したことに驚くと共に、凡夫の習癖が察知されていることにちょっと動揺しました。長く一緒に暮らしているのですから、当たり前と言えばそうなのですが。
探していた5万円ではないことを了知した家内は、廊下に出て、再度、探し始めました。数分後、「また、見つけた」と声を張り上げ、本をもってきました。確かに、本の中ほどに2枚の聖徳太子札が挟まっていました。こちらの本も学生の時に手に入れたものです。先の本と同類の本(専門書)でした。
これもまた探していた5万円ではないことを看取している家内は、前と同じように、部屋を出て、廊下でゴソゴソやっていました。しばらく続いていましたが、3度目の声は上がりませんでした。

家内が見つけた4枚の聖徳太子の万円札は、凡夫が大学生の頃に本の中に挟んだものに違いありません。学生の頃、使う予定のない万円札を本に挟んで保管していましたから、挟んだままになっていたものと思います。福澤諭吉の万円札が発行されたのは1984年(昭和59年)です。その前年に大学院を出て、三菱化学生命科学研究所の特別研究員(ポスドク)になり、福岡市から町田市へ引っ越しました。この時、学生時代の荷物(ほとんどが本です)は実家へ運びました。荷物の運搬は、浅津運送が引き受けてくれました。これは父が依頼したもので、運送用大型トラックが下宿先に横付けされたときは、驚きました。2枚の聖徳太子の万円札が挟まれていた2冊の本は、その時に運び込まれたものでしょう。

1年前に仕舞った5枚の万円札を探そうとして、40年程前に仕舞った4枚の万円札が見つかりました。すっかり忘れていた4万円です。今回、本を手に取ってめくってみなければ、見つかることのなかった4万円です。5万円を仕舞った記憶がはっきりしなかったことで、“新たに” 見つかった4万円になります。こう考えると、とても複雑です。しかしながら、金額的には差し引き1万円のロスです。これからも、5万円の捜索は続き、幕引きとはなりそうにありません。

付記:(1) 見つかった4万円は探していた5万円ではありませんから、見つけた家内のものにはなりません。時機をみて、どこかに仕舞います。(2) 福岡市からここに運び込んだ本は2階にもあります。いつか、こちらの本も調べてみようと思います。更なる万円札の発掘かも。


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