本「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」
2020 11 05 (art20-0287)
郷里に移住し、小さな畑で夏野菜(トマト、ナス、キュウリ、ピーマン/パプリカ)の栽培を3回行いました。この間、野菜栽培のノウハウを学びました。栽培には、植物体の養分となる肥料を用います。肥料には無機肥料と有機肥料があります。無機肥料は、無機物を主成分とした肥料で、工場で化学的に生産 (合成) されたものです。化学肥料とも言えます。一方、有機肥料は、油かす、魚かす、鶏糞、牛糞など生物由来の物質が原料です。
なお、堆肥や腐葉土は植物を育てる養分としては量的に足りませんから、肥料と言うより、微生物の餌と言った方が適正です。餌を得て微生物は活発に活動します。その結果、土壌の物理的性質がよくなります。土壌改良材として働きます。
無機肥料は、植物体にそのまま吸収されますが、有機肥料は一度土壌中の微生物によって分解され無機物になってから吸収されます。そのため、無機肥料は即効性がありますが、効果は長く続きません。一方、有機肥料は即効性はありませんが、効果が持続します。また、有機肥料は、土壌の微生物を活性化させますから、土壌の状態が良くなります。更に、有機肥料には、窒素、リン酸、カリの肥料の3大要素だけでなく、ミネラルやビタミンが豊富で植物体を丈夫にします。
植物体と土壌を考えると、野菜栽培には有機肥料が適していると思われます。数ある有機肥料の中で、凡夫は鶏糞を使用しています。しかし、鶏糞は糞が原料ですから、鶏糞にも問題があります。一つは臭いです。発酵鶏糞はまだしも、乾燥鶏糞の臭いはひどいものです。一度間違えて畑に散布した時に体験しました (art-0228)。もう一つの問題はイメージです。糞に対するイメージです。汚い物といった捉え方です。
かつては、家畜の糞だけでなく人の糞尿(屎尿)が肥料として使用されていました。そう昔の話ではなく、凡夫が子供の頃、人々は長い柄のついた大きな柄杓で便所の糞尿を汲み取り、桶にいれて畑へ運び、作物に施していました。この下肥の利用は昭和30年代中頃まで続いていたと記憶しています。その後、いつの間にか、そうした風景をみることがなくなりました。ちょうどこの頃、天神川のほとりに屎尿処理施設が建設されています。
人が排泄した糞尿が、畑に戻り、作物を育てる、そして、その作物を人が食べるという循環回路(人―>糞尿―>作物―>人)から、糞尿が回路の外へ飛び出し、この循環回路は崩壊しました。回路から飛び出た屎尿はどこへ行ったのでしょうか。そして、そもそも、どうして、人の糞尿が、循環回路から飛び出したのでしょうか。今日でも、牛や鶏の糞は肥料として使用されているのにです。
この辺りの理解に、湯澤規子の本「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」(ちくま書房、2020年刊)が参考になります。しかも新書版ですから、軽く読めます。
以下、関連部分の抜粋です。
『ウンコがかつてのように農地にもどれなくなったのは、ウンコが「汚い」からなのではなく、私たち自身がウンコにふくまれる物質を変化させてきたせいなのである』とあります、ここでのウンコは、下水道に流すもの全体の意味です。
そして、『かつて糞尿を下肥として利用していた時代と比べて、私たちが食べるもの、トイレや台所から下水道に流すものの中には、様々な物質が混入するようになった』と。
更に『人糞尿を含む下水道の汚泥を再利用するには、下水処理場では分解されない有害物質や重金属類が下水に混入されていない保証が無ければならない。しかし、現状ではそれが難しい状況となっているからである』と。
混入物が理由で、下水道の汚泥が肥料として使用されていないのであれば、実に、もったいないなーと思います。