楽しみ価
2020 11 19 (art20-0291)
楽しい時間を過ごすことに、どれくらいの価値がありますか。その価値をお金に換算するとしたら、どれくらいの額になりますか。それを ”楽しみ価“ と呼ぶことにします。人によって 楽しみ価は異なります。また、同一人でも、年齢や状況によって変わります。定年退職者の話です。この人が、2日がかりで、1日3時間、総計6時間かけて、ある木工品を作った、とします。類似品が市販されていて、その価格は1,000円でしたから、6時間で1,000円相当の木工品を作製したことになります。しかし、材料費に2,000円かかったので、差し引き1,000円相当のマイナスになります。なお、ここでは、作業場の設備費や電動工具類の減価償却費と電気代等は不問とします。さて、この人の行った木工品の作製は割に合う行為でしょうか。
営利目的であれば、割に合うどころか、やるだけ損になります。しかし、労働生産性や原材料生産性などを脇に置いて、“行為の楽しさ” に観点を向けると、様相が変わります。
木工品の作製中、その人が時間を忘れる程夢中になり、大いに楽しんだとすれば、6時間の楽しい時間の過ごし代はどれくらいの金額になるのでしょうか。65歳を超え無職の身であれば、材料費の2,000円を超えるものと思われます。時間あたり300円ちょっとです。時間を忘れる程楽しめたのですから、300円ちょっとは安いものです。そう考えると、この人の行った木工品の作製は割に合わない行為ではなくなります。もし、この人の時間当たりの楽しみ価が500円とすれば、1,000円 (木工品価格) - 2,000円 (材料費) + (500円 (楽しみ価) x 6時間) となり、2,000円プラス相当の行為とみなすことができます。
想像力や空想力が旺盛な人は物が無くても楽しく過ごせるのでしょうが、凡夫のような凡人は、楽しさは何らかの行為に内在している故に、それ相応の物が必要になります。木工の場合は木材であり道具類です。家庭菜園の場合は苗であり肥料や薬剤です。また、読書の場合は本です。今日、物の調達には金がかかります。
そのような出費を考えると、ためらいが生じ、行為そのものを見送ることになりかねません。しかしながら、楽しみ価は、楽しければ楽しい程上がります。行為に必要な物を購入する費用以上の楽しみ価が ”発生” しますから購入費を気にしなくてもよいことになります。
こんな屁理屈の下、凡夫は、木工に使う木材や電動工具を購入してきました。
また、裁縫を一つの趣味としている家内には、楽しい時間が過ごせるのであれば、裁縫に使う生地代は気にしないようにと、忠告?しています。
追記:前回のブログ (art20-0290) のティッシュ箱の作製: 材料の杉板代は50円ほどです。作製に要した時間は、材料の杉板の調整(カンナ掛け)と最後の磨きを含めて3時間ほどでした。