今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

はわい温泉

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先日、暑い中、倉吉市立図書館に出かけて一冊の本を借りてきました。タイトルは『羽合温泉誌』です。羽合町商工会の羽合温泉誌編纂部がてがけた本で、平成2年の出版です。

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はわい温泉は、かつては浅津温泉と呼ばれていました。東郷池では遠い昔から湖心に温泉が湧いていたそうです。江戸中期の寛政4年 (1792)の『和久島旧跡往来の記』の中に、「東郷池、湖中に温泉湧出る」と記述されているそうです。

面白いことに、伊能忠敬が、文化10年 (1813) に2度目の山陰地方の測量を行っていますが、その時、東郷池の測量も行いました。橋津に2泊(11月17と18日)し、池に舟を漕ぎ出して視察していますが、湖中に湧く温泉のことは記述されていません。温泉には興味がなかったのでしょうか。

慶応2年 (1886)、 浅津村の湯村幸助は、湖上温泉に取り組んだそうです。東郷池の湖中から自然に湧き出る温泉水を孟宗竹を突っ込んで集つめ、湖上に浮かべた舟の4斗樽に温泉湯を溜め浴場とし、温泉気分を味わうと言ったものです。

明治22, 23年頃、村人が、池永の水田に灌漑用水の井戸を掘ったところ、湯が出たので大騒ぎとなったそうです。明治27年頃、幸助が近くの地を掘ってみたところ、湯が出て来て、幸助湯の再現をはかったとか。さらに、船どおしの横を掘ってみたところ、湯が湧出したそうです。旭館と東郷館ができて、浅津温泉はここからはじまったそうです。(一部、羽合町史より)

東郷池の泉源は湖心と湖底、そして東郷池西岸のデルタ地区にあります。このデルタ地区を掘ると、どこでも湯がでてくるようです。
東郷池周辺の温泉地質の調査報告(清水欣一、日本陸水学会の報告 (1968)) には「浅津温泉は、総数28源泉よりなり、それぞれボーリングで温泉水を取得している。ボーリングの採掘深度は、25-70m、温泉貯蔵層は深度25-70m付近の砂層である。湧出温度は43-73℃で、温泉総湧出量は約700m3/day」とあります。

第7図 東郷池周辺の温泉分布図 684-2_hawai-onsen_web


第4図 浅津温泉の地温分布 684-3_hawai-onsen_web

昭和37年 (1962)、温泉組合が創設されました。浅津温泉を集中管理することになり、個人が所有していた既設の28源泉は自然放棄され、新たに掘削して源泉が確保されました。2個所(上浅津と下浅津)に共同浴場が開設され、おいおい組合員宅にも個人浴場が設けられました。すべての村民が自分の家で温泉風呂に入ることができるようになりました。

凡夫が子供の頃には、はわい温泉には23軒程の旅館がありましたが、現在は、12軒です (art18-0086)。


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