準備
2019 12 30 (art19-0198)
ホームページを立ち上げてブログを始めた目的の一つは過去の出来事を書くことにあります。そうすることで、自分なりに過去を整理することになります。同時に、一度書いたものは残りますから、誰かが読みたくなった時に読むことができます。過去を書くこと、これは終末に向けた準備の一つと考えています。
中学を卒業すると米子高専に通うため実家を出て一人暮らしを始めました。その後、大学、大学院、そして、ポスドク、大学勤務、留学、就職 (製薬会社) と、実家から遠く離れて過ごしました。年に2度 (盆と正月) 帰省するようにしていましたが、数日の滞在中、父母の関心は凡夫の家族の暮らしぶりであり、話題はそれを中心に回り、親自身のことを話題にすることはほとんどありませんでした。凡夫も自分の研究のことで頭が一杯で、両親の人生に関心を寄せることはありませんでした。
定年退職後、帰郷し実家で暮らしてみると、時折、祖父母や父母の人生はどうだったのだろうかと考えます。しかし、困ったことに、祖父母や父母の人生が実際どのようなものであったのか、ほとんど知りません。年表をたどれば、大枠の歩みは分かりますが、そこには実体がありません。祖母も父母も大変苦労したことは推察できるのですが。
祖父が若くして亡くなり (1929)、祖母は30歳で3人の子供 (8, 5, 2歳) を一人で育てることになりました。曽祖父 (59歳) は生きていましたが、家族の生計は祖母が一手に担うことになりました。祖母が22歳で祖父の家 (K家) に嫁ぐ3年前の大火事 (1921) で、K家は一度焼失しています。さらに、祖母41歳の時の大火事 (1939) で、再び家を焼失しています。焼け跡地に建てた家は簡素なものであったと思います。戦争が終わった翌年 (1946) 、父 (26歳) は母 (22歳) と結婚しました。祖母48歳です。祖母は早々に仕事を辞めて隠居の身となりました。代わって母が家事一切を引き受け、3人の子供をもうけました。凡夫が中学まで過ごした家は、火事で焼け残った木材が随所に使われていました。かなりボロ家で、当時の写真を家内に見せると、驚いていました。凡夫が中学3年生の時 (1968) 、今の家が建造されました。両親にとって、この家を建てることは悲願だったのだと思います。その費用をよくも捻出できたものだと思います。どれ程大変だったのか実際のところはわかりませんが、一つ分かることは、日常のいたるところに倹約と節約が浸透していました。
気ままに自分の過去を思い起こしてはブログを書いてきました。それらのブログ記事を通読することで自分史のようなものが構成できるのでは、と考えています。自分の死は先のことだと思っていましたが、そうでもなさそうですので、ここしばらくは、できるだけ自分の過去を題材にブログを書いてみようと考えています。現在、気長に、肺機能の回復を待っているところで、趣味の木工工作や畑作業は出来ませんから。
今年は、家内がソテツの ”こも” 巻きを行いました。大晦日から寒くなりそうです。
順番
2019 12 26(art19-0197)
今回のような病気(肺塞栓症)になると、我が身に何が起きてもおかしくない年齢になったのだと思わざるをえません。まだまだ、自分の死去は先のことだと思っていましたが、そうでもなさそうです。
人は誰でも死にます。新聞の鳥取県版の「おくやみ申し上げます」のコーナーには、前々日と前日に亡くなった人の名前が年齢・住所付きで並びます。10-20名前後で、80-90齢が多数です。中には60、70代もあります。
凡夫には姉が2人います。これまで、何をするにも、凡夫が最後で、いつも、姉が前にいました。そのためか、何の疑いもなく、死去する順番も姉が先で凡夫はその後と思ってきました。しかし、日本人の平均寿命は男性81.1歳、女性87.3歳ですから、女性の方が長生きします。そうすると、姉よりも凡夫の方が先に死ぬことになりそうです。これは驚きです。これまで、いろいろ世話になってきた姉に、最後の最後で、また、世話(葬送)になりそうですから。しかし、それが定めならば、その時はよろしく、とお願いするしかありません。
父の死後、母は父と過ごした家で10年間生きました。一人暮らしでした。父と母は4歳違いです。男女の平均寿命の差は 6歳ですから、4+6で10になります。多くの夫婦の年齢差は、3-4歳ですから、夫の死後、妻は10年間程の一人余生があります。
病院のICUベッドに横たわり、酸素マスクに繋がれて、胸痛と息苦しさに耐えながら、「もし、ここで、死んだら、家内の一人余生が長くなるな-。30年間か。とても長いが、家内はやって行けるのだろうか」と、そして、「家内の人生予定表を狂わせることにでもなれば、すまないな-」と、考えていました。
すこし回復した今、家内の一人余生をできるだけ短くするために、できるだけ長く生きようと考えています。もっとも、人の生き死になど、思い通りになるものではないことは重々承知しています。この件、詰まる所、終わってみなければ分かりません。どんな結末になるやら。
退院
2019 12 23(art19-0196)
退院しました。治った訳ではないのですが、自宅で肺機能が戻るのを気長に待つことになりました。
この度の入院は、肺塞栓症によるものです。肺塞栓症は、血栓が肺動脈につまることで起こります。肺動脈がつまると、肺胞へ血液が届かないので肺胞で行われる血液-ガス交換ができません。血中酸素濃度が低下し、呼吸不全を引き起こします。血中酸素濃度が更に低下すると心虚血性障害や意識障害に至る危険性があります。日本人の肺塞栓症による入院死亡率は15%前後といわれており、注意が必要な急性疾患となっているそうです。
朝いつものように新聞を取りに、玄関を出たところ、息苦しく、ひどい疲労感がありました。変だなと思いましたが、数日前からかかっている風邪のせいかなと思い、様子をみることにしました。じぃーとしているとよいのですが、すこしでも体を動かすと息苦しくなり、動悸がします。状態が悪化してきましたので、休日の緊急外来の診察を受けました。CT検査を含め幾つかの検査を受けて、肺塞栓症と診断されました。症状がひどい場合は、胸を開いて肺動脈血を通す術式をとるとのことですが、幸いなことに、酸素マスクを介して酸素を肺へ送ると血中酸素濃度がある程度回復しましたので、開胸手術は逃れました。
治療は、点滴薬による血液の凝固抑制と血栓溶解です。数日、点滴を受けていましたが、効果があまり現れませんでした。この間、ずーと、酸素マスクをしていました。担当医の話では、酸素マスクの生活もありうるとのことでした。酸素ボンベを常時携帯しての生活、あまり想像したくありませんでした。せめて、寝ている間は、そして、トイレだけでも酸素マスクから解放されたいと切に思いました。
点滴薬を変えると、少しずつですが、息苦しさが軽くなってきたように感じました。血中酸素濃度も上がり、数日後には、ベッドに横になっているときは酸素マスクを外せるようになりました。しかし、体を動かす時は、酸素マスクが必要でした。
そして、酸素マスクなしに、トイレへ行けるようになりました。しばらくして状態が安定し、一人でトイレにいけるようになりましたので、退院しました。もはや完全に元の体に戻ることはないでしょうから、とりあえず、一人で身の回りのことができることを目指し、気長に自宅療養を続けるつもりです。
診断時のCT検査によると左右の肺動脈の肺門部が血栓によって閉塞し、造影剤が侵入できず、両肺が白く浮かび上がることなくまっ黒と言うことでした。多量の血栓が飛んできたのでしょう。血栓の出どころははっきりしませんでしたが、一般に、血栓は脚にできた深部静脈血栓であり、これが血流によって肺動脈まで運ばれると言われています。
今回血栓ができた理由として、「1.一週間ほど前から風邪気味で水分の摂取がおろそかになったこと。2.雨天が続き、散歩に出かけることができなかったこと。3.区の会計の資料作りが、〆期日の変更もあり、短時間で作成せざるをえなかったこと。その為、長時間、パソコンに向かっていたこと」が思いあたります。これらの3つの要因(脱水症状、運動不足、同じ姿勢での長時間作業)がたまたま重なってしまったことによるのでしょう。加えて、背景には歳を取ったことがあると思います。だだ、老年の自覚、できそうでできないものです。
入院生活
2019 12 19(art19-0195)
入院した病院にインターネット環境が整備されていないこともあり、ブログの更新が延び延びになっていました。息子がモバイル WiFi ルーターを短期契約し送ってくれましたので、インターネットが使えるようになりました。
入院生活は久しぶりです。23年前、横浜で十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎で緊急入院して以来ですから。入院してみると、いろいろな病人がいることが分かります。外科病室にいますから、手術を受けた患者さんが殆どです。元々糖尿病を患っている人がすくなからずいて、食事の前後に血糖値を検査されています。値によっては、何単位かのインシュリン注射を受けています。糖尿病をもっていると、手術後の回復が遅れ入院期間が長引きます。
製薬会社で癌の薬の研究をやっていましたので、抗癌剤には詳しくなりました。癌が見つかった時、手術によって癌部を完全に摘出できる場合は、手術の適応となります。手術適応患者は生存できる可能性があります。一方、手術が適用されない癌の場合は、放射線や抗癌剤を用いた治療になります。こちらの患者は生存できる可能性はとても低いものです。理由は、放射線も抗癌剤も、完璧に癌細胞を死滅させることができないからです。
病室に、Xさんという患者がいました。凡夫のベッドの右隣です。いつもカーテンがひかれていました。毎日、1時頃に奥さんが訪ねてきました。奥さんは、必要なことを伝えると、長居をすることなく、早々に帰られました。Xさん、数ヶ月の入院だったようですが、同室の患者と談話をすることもなく、終日、カーテンの中に閉じこもっていました。看護師さんには愛想がよいのですが、患者が、患者とあるいは見舞い人と話が弾むと、カーテン越しに「うるさい」の一言を発します。
Xさんは、先週の土曜日に、奥さんの付き添いで退院されました。点滴装置の一式と大量の点滴薬、そして、痛み止めの薬を持って。自宅で、治療を継続することになったようです。一度も話をしたことがありませんので、本当のところはわかりませんが、さきの見えない/見たくない状況にあるのではと推察できます。
消灯後、部屋の数か所から、「痛い、痛い」の声が聞こえます。手術後の痛みです。これらは終わりのある痛みです。そのせいか「痛い、痛い」の声のどこかに余裕を感じます。Xさんも時々「痛い」と小さな声を出していました。こちらの「痛い」は終わることのない痛みです。気が滅入りました。
一閑人でなくとも、そんな痛みは井戸の底にでも沈めることができれば、と思います。
読解力
2019 12 05(art19-0194)
前回、生きていく上で、勉強はかかせないことを書きました。学校では誰かに教わりながら勉強していた多くの人が、学校を出てしまうと誰かに教わる機会を失います。従って、学校を出てからの勉強は、もっぱら自学自習になります。自学自習はテキストを読み理解することから始まります。所謂、読解です。読解と言っても、小説や評論、哲学書を読んで、行間に隠れている本当の意味・意図を読み解くような高度な読解ではなく、単に、テキストに書かれていることをそのまま理解する基礎的な読解です。この読解力は自学自習には必須です。
読解力の話で思い出すのは、新井紀子著の「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」 (2018) です。筆者は、国立情報研の「AI東大ロボくん」開発プロジェクトのディレクターです。AIに文章の意味を理解する読解力をつけることを目指してプロジェクトを牽引する中で、実際の大学生が数学の問題を解けないことが気になり、大学1年生を対象に「大学生数学基本調査」を実施したそうです。それによって浮上してきたものはちょっと衝撃的だったとか。簡単な数学の問題が解けないのは、そもそも問題文が理解できていないのではないのかという疑問。
そこで、基礎的読解力を調査するために、RST(Leading Skill Test)を開発し、小中高生にRSTを実施し調査を進めているそうです。問題は、係り受け、照応、同義分判定、推論、イメージ同定、具体例同定(辞書)、具体例同定(数学)の7区分の問題。どの程度の問題であるかが分かるように末尾に、著書に紹介されている問題例を挙げておきます。単に文章を理解すれば解ける問題です。
さて、調査の結果ですが、結論から言えば、中学生の半数は中学校の教科書が読めていない状況にあるそうです。掲載されているデータをみると、高校生もそうですから、中高生の状況といっても過言ではありません。
AIでも正解が出せる「係り受け」と「照応」の問題は解けるのですが、AIが手も足もでないそれ以外の問題は、正解率が半減します。AIは文章の意味を理解できません。読解できません。「係り受け」と「照応」問題の答は、文を理解している訳ではなく、単に、単語の出現頻度を統計的処理して正解を予想しているだけです。
基礎的読解力を有する人がこの程度だとすると自学自習のできる人は意外に少ないと考えざるを得ません。誰でも出来るものと思っていましたが、そうではなさようです。
読解力に関し、4日付けの新聞に興味深い記事が載りました。[2018年に実施した国際学習到達度調査(PISA:Programme for International Student Assessmen)結果を公表した。PISAは3年ごとに、世界79カ国・地域の15歳を対象にして行われている。日本では、無作為に抽出した183校の高校生1年生6109人が参加した。義務教育終了段階の子供を対象に、読解力と数学的応用力、科学的応用力を測るものである。それによると、「読解力」が前回(2015)の8位から15位に低下した。また、数学的応用力も5位から6位と、科学的応用力も2位から6位に順位を落とした。2006年の低下は所謂「ゆとり教育」によるものであると説明されたが、今回の低下の要因は、特定できないとのこと]
読解力を決定しているものはまだ見つかってないと新井氏は著書で述べています。興味深いのは、読書習慣、得意科目、スマフォ使用時間、学習時間など、読解力と関係ありそうですが、有意な相関性は見出されなかったとのことです。しかし、調査結果から、読解力は中学では向上しているが、高校では向上しないことは明らかだそうです。中学までの読解力が、一生を決定するのでしょう。高校しかり、大学しかり、その後の実社会しかり。
それがカミキリムシの幼虫であることを知っていること
2019 12 02(art19-0193)
湖畔公園を歩くと、いたるところに切り株が目に入ります。切り株の大きさから、結構大きな樹木であったことが分かります。公園の管理上、樹木の過密化による生育被圧を避けるため、あるいは腐朽や枯損した樹木を取り除くために切断された樹木の根元部分です。
切株も数年たつと腐ります。あるものは、足でつつくと、崩れます。崩れた切り株のなかに、白っぽい虫がいました。前胸部が異様に大きく、強靭な大顎が際立っています。気味が悪く、最初に見た時は、ぎょっとしました。帰宅後のWeb検索で、カミキリムシの幼虫であり、どこにでもいる虫と分かるまで、きみ悪さは続きました。しかしながら、次に出会ったときは、ぎょっとすることはないでしょう。
見たことのない物を前にしたり、経験したことのない出来事を前にすると、パニックになります。ウィキペディアによりますと、パニック (panic) とは、「突発的な不安や恐怖(ストレス)による混乱した心理状態、またそれに伴う錯乱した行動を指す」とあります。
しかし、一度でも見ていたり経験していると、パニックを回避できます。また、類似した事物を知っていると、パニックに陥ることが少なくなります。ここに勉強する意義があると思います。人が直接見たり経験することで身につく経験知は限定的で、それをもって、長い人生で遭遇するであろう数限りない未見未経験の変事を対処することはできません。しかし、類似した事物を知識知/形式知として身につけることはできます。また、経験豊富な高齢者から直接話をきくことで、経験知に裏打ちされた知識知を蓄えることもできます。知識知を充実させること、これが勉強です。
知識知が必要なことは、ちょっと考えれば分かります。子供は、怪我や病気、喧嘩やいじめ、さぼりや引きこもりなど、いろいろ事態にみまわれます。子供の親は、そのつど、適切な判断を迫られ、どう対応すべきかを問われます。このとき、よく似た事態に関する知識知が役立つ筈です。パニックに陥ることなく、冷静な判断と行動を可能にします。
生き続けること自体が初体験の連続です。いろいろな出来事が押し寄せてきます。オロオロすることがないように、死ぬまで、勉強を続けざるを得ないなーと思っています。
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