木工の作業場
2018 05 30 (art18-0014)
裏の納屋の2階にスペースをつくり、木工の作業場にしています。すこしずつ、工作に必要な機材を集めています。この納屋は、かつては住宅でした。築年は大正7年(1918)。今住んでいる家の建造時(昭和43年 (1968)) に、母屋部がそのまま敷地の裏手 (西側) に移されました。曳家の様子は、当時中学3年生であった凡夫にも、記憶に残っています。鋼鉄のローラーに乗って家全体が動くこと、驚きでした。中学卒業後、この地を離れて米子で生活を始めましたので、凡夫の育った家は、今住んでいる家ではなく、この納屋の元家になります。
建造時の大正7年、曽祖父49歳、曾祖母46歳、祖父19歳、祖母20歳。その9年後、曾祖母と祖父が相前後して亡くなり、29歳の “ますの” 祖母が3人の子供 (7、3、1歳) を抱えて、家を切り盛りすることになったようです。この家は、祖母41歳時 (昭和14年 (1936)) の上浅津の大火 (全焼16戸、半焼4戸) で、半焼したと聞いています。
家の間取り
玄関の引き戸を開けると土間が広がります。土間の左側の上がり框から8畳間に上がれます。そこから、奥の8畳間と右隣りの二つの6畳間に入れます。二つの8畳間の左手は縁側です。縁側は東向きで、庭をはさんで、道路がみえます。土間の右奥には納戸への入り口があります。そこ中には大小の容器や漬物の壺が並んでいます。仕切り壁の出入り口の右手に、餅つき用の石臼がおかれています。出入り口を通って奥に入ると、右手に台所を、左手に食器棚と食卓をみることができます。台所には竈が二つ並んでいます。竈の向こう側は流しと調理台です。食卓は、コの字型に取り付けられた座板に囲まれています。土足のまま、食卓につくことができます。更に奥には、勝手口があり、西の納屋へ行けます。土間の上がり框の左隅には二階への急な階段がみえます。二階は、廊下に面した二つの8畳間です。
玄関先は広くとってあり、右手には風呂場、その横に作業場兼納屋への入り口、対面にはトイレと物置。初夏になると燕が天井に巣をつくります。ある年には、燕のひなが蛇に襲われていました。
凡夫が5,6歳の頃に、温泉が各戸に引かれ、個人宅温泉風呂となりました。昭和32年に浅津農協の温泉事業が開始されてすぐのことです。この事業は、浅津住民の多年の念願をかなえるもので、温泉旅館組合とのすったもんだがあったと聞いています。また、上浅津中央の十字路交差点の脇(東郷池側)に共同浴場もありました。浴槽が広く、子供にはよい遊び場でした。