今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩3分で東郷池, 自転車10分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各戸まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた、趣味の木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

木工の作業場

2018 05 30 (art18-0014) 
裏の納屋の2階にスペースをつくり、木工の作業場にしています。すこしずつ、工作に必要な機材を集めています。

この納屋は、かつては住宅でした。築年は大正7年(1918)。今住んでいる家の建造時(昭和43年 (1968)) に、母屋部がそのまま敷地の裏手 (西側) に移されました。曳家の様子は、当時中学3年生であった凡夫にも、記憶に残っています。鋼鉄のローラーに乗って家全体が動くこと、驚きでした。中学卒業後、この地を離れて米子で生活を始めましたので、凡夫の育った家は、今住んでいる家ではなく、この納屋の元家になります。

建造時の大正7年、曽祖父49歳、曾祖母46歳、祖父19歳、祖母20歳。その9年後、曾祖母と祖父が相前後して亡くなり、29歳の “ますの” 祖母が3人の子供 (7、3、1歳) を抱えて、家を切り盛りすることになったようです。この家は、祖母41歳時 (昭和14年 (1936)) の上浅津の大火 (全焼16戸、半焼4戸) で、半焼したと聞いています。

家の間取り
  玄関の引き戸を開けると土間が広がります。土間の左側の上がり框から8畳間に上がれます。そこから、奥の8畳間と右隣りの二つの6畳間に入れます。二つの8畳間の左手は縁側です。縁側は東向きで、庭をはさんで、道路がみえます。土間の右奥には納戸への入り口があります。そこ中には大小の容器や漬物の壺が並んでいます。仕切り壁の出入り口の右手に、餅つき用の石臼がおかれています。出入り口を通って奥に入ると、右手に台所を、左手に食器棚と食卓をみることができます。台所には竈が二つ並んでいます。竈の向こう側は流しと調理台です。食卓は、コの字型に取り付けられた座板に囲まれています。土足のまま、食卓につくことができます。更に奥には、勝手口があり、西の納屋へ行けます。土間の上がり框の左隅には二階への急な階段がみえます。二階は、廊下に面した二つの8畳間です。

玄関先は広くとってあり、右手には風呂場、その横に作業場兼納屋への入り口、対面にはトイレと物置。初夏になると燕が天井に巣をつくります。ある年には、燕のひなが蛇に襲われていました。

凡夫が5,6歳の頃に、温泉が各戸に引かれ、個人宅温泉風呂となりました。昭和32年に浅津農協の温泉事業が開始されてすぐのことです。この事業は、浅津住民の多年の念願をかなえるもので、温泉旅館組合とのすったもんだがあったと聞いています。また、上浅津中央の十字路交差点の脇(東郷池側)に共同浴場もありました。浴槽が広く、子供にはよい遊び場でした。
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ホタルブクロ

2018 05 27 (art18-0013) 
ホタルブクロの花が咲きました。釣り鐘状の花はうつむいています。 目を近づけると、まるで和紙でつくった花のようにみえます。この質感は独特です。名前の由来は、子供が蛍を入れて遊んだことから、あるいは、提灯の古い名前 “火垂る袋” が転じたもの、との説があるそうです。

ホタルブクロの花中から、蛍の光がすけて見えるさまは、とても風情がありそうです。機会があったら一度試してみたいものです。

蛍は、横浜の家の近くの小川(いたち川)でみることができます。この川の上流には ”瀬上の池” があり、瀬上沢は蛍の名所として地元では有名です。毎年、夏が近づくと、瀬上沢はもとより、“いたち川”でも、蛍がみられます。

蛍は京都でもみることができました。定年退職後の3年間、京大病院で、やり残した癌分野の研究を継続しました。京大北部キャンパスの東側、北白川西町にマンションの一部屋を借りて、そこから、自転車で本部キャンパスを突っ切って病院へ通っていました。
住まいのすぐ近くに白川疎水路が通っていました。疎水路の水は、周辺地の傾斜とは逆向きに、南から北へ流れています。人口の水路です。その白川疎水を南側に10分程歩くと、銀閣寺参道の入り口に到達します。このあたりから、さらに南側の1.5km程の水路沿いの道が、”哲学の道” と呼ばれています。観光客で賑わう道です。初夏の夕方になると、蛍をみることができます。光の点滅を、水路のいたるところでみかけました。
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夏野菜の栽培

2018 05 25 (art18-0012) 
定植した夏野菜(トマト、ナス、キューリ、ピーマン)が育っています。保護殺菌剤ダコニールを散布したところ、3日後にキュウリの葉の一部が白化してきました。翌日も、白っぽいままでした。薬害によるクロロシスが起きたようです。散布は指定濃度で行ったのですが、部分的に散布量が多くなったかもしれません。

農薬による薬害は、マニュアル通りに使用すれば発生しない筈です。しかし、作物の生育状態や気象条件によっては、薬による生理障害が発生することもあると思われます。今回のキュウリの薬害は、その例かもしれません。散布後、日差しが戻り高温になったことも影響しているかもしれません。

クロロシス(白化)は葉緑素がぬけている状態で、ネクロシス(壊死)とは違って細胞自体が崩壊している訳ではありませんので、回復する可能性があります。しばらく、様子をみることにしました。
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テーブルの脚(木工工作)

2018 05 22 (art18-0011) 
CADによる製図の容易なこと。どんな線でも引けます。太さ、種類、色。しかも、変更・修正も自在です。

高校の製図の授業が思い出されます。工業専門学校生にとって、製図は必須でした。当時は、“カラス”と呼んでいた製図用の特殊なペン(カラス口)にインクをふくませて、線を描きました。カラス口は、ペン先の形状が烏のくちばしに似ていることから、そう呼ばれています。二枚の薄い金属板を先端部で合わせたもので、先端の隙間は、ネジで調節できるようになっています。太い線には隙間を広げ、細い線には狭くします。インクは、二枚の金属板の間に保たれます。線を描くときは、カラス口を定規にほぼ垂直にあてて軽く移動させます。簡単なことのようでしたが、実際は、なかなか。極めて細い線を均一の太さでひくこと、これが最初の難題でした。紙は、トレース用紙で、半透明の薄紙です。線を細くひこうと、調節ネジを絞め過ぎるとインクの出が悪くなり、カラス口を研ぎすぎるとトレース用紙が切れます。一回目の授業はカラス口の調整のみで終わった記憶があります。何回かの授業で、描きたい線がひけるようになりました。

その後、しばらくして、製図用ペンが登場し、カラス口は使われなくなりました。そして、電子製図です。だれでも、容易に、細い線を均一の太さでひくことができます。しかも、一度ひいた線を変更することもできますから、気楽です。ひと昔前の製図ではそうはいきません。完成が近づくにつれて緊張が高まったものです。ミスをしないようにと。ちょっとしたミスでもやり直しです。開始から終了まで気が抜けませんでした。

電子製図のもつ気楽さは、デザインの幅を広げます。図面を通して、完成品の形状がみえます。図面を変更すると、形状が変化します。変更を繰り返すことで、最適な形状がみえてきます。図面上で変更を繰り返すには、変更自体が容易であることが不可欠です。カラス口を使った製図では対応できません。しかし、電子製図はそれを可能にします。
凡夫は、JW-CADを用いて図面を作成しています。フリーソフトですが、大いに助かっています。

”ホゾとホゾ穴”による接合を用いた簡単なテーブルの脚を作ってみました。金属製は目にしますが、木製もなかなかのものです。
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大船フラワーセンターのバラ園

2018 05 18 (art18-0010) 
横浜在住の、かつての同僚で友人のYSさんからの花便りです。大船フラワーセンターのバラです。フラワーセンターは、家内と連れだって、何度か行ったところです。
勤務していた研究所は鎌倉にありました。大船駅から湘南モノレールに乗り、湘南深沢で下車し、そこから小さな川沿いの道を歩いて通勤していました。大船フラワーセンターは、大船駅の南西に位置し、柏尾川沿いに1km程下ったところにあります。大船駅から歩けない距離ではありませんが、凡夫は、自宅から自転車で出かけました。四季折々の花卉を楽しむことができます。大型のグリーンハウスもあり、いつ出かけてもハズレなしでした。
 
初めてバラ園をみた時の感動が蘇ってきます。YSさん、ありがとうございます。
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畑の復旧

2018 05 17 (art18-009) 
「ばんなりましてな」夕方になると、よく耳にした言葉である。母も、それを、道行く人と交わす挨拶言葉として用いていた。「こんばんは」より、心地よい響きがあった。その母は亡くなり、母が大切にしていた畑が残った。亡くなる数年前、果樹の苗木を植えた。その果樹も、今では大きく育っている。この度の横浜からの転居に伴い、道路側の数本の果樹をかたづけて、野菜を育てるスペースをつくった。夏野菜の栽培に挑戦する。そう、挑戦である。母が生きていれば、あれこれ聞くことができるのだが、それはできない。しかし、ありがたいことに、道行く人から、アドバイスをいただいている。

【今日の作業】
トマトの “あんどん形の囲い” を取り除き、枝を支柱に縛り付けました。あんどん形の囲いは、風よけ、虫よけ効果があると聞き、定植時に設けたもの。確かに、この頃の風は強く、幼苗の倒壊防止には効果がありそうです。また、藁を敷きました。敷き藁の効果は、泥はねと乾燥の防止、および地表温度の調節と聞いています。これだけだと、藁を、畝と平行に敷いても直角に敷いても、同じことのようですので、平行に敷いてみました。もう一つの作業、“芽かき”も行いました。こちらは、一本仕立てとするため、わき芽を摘み取ります。

幼苗ながら、顔を近づけるとトマト特有の匂いがします。これは、トランス-2-ヘキセナールと呼ばれる化合物で、青葉アルデヒドとの別名があります。草や葉の匂いの主成分です。この匂いに抵抗のある人がいますが、匂いの成分が分かっていますから、対処方法はあるでしょう。
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ユリクビナガハムシの幼虫

2018 05 14 (art18-008) 
世の中、変な虫がいるものです。自分の排泄物(糞)を背負って生活しているとは。背負うどころか、むしろ、全身糞まみれです。始めてこの虫をみる人は、虫をみる前に、糞をみることになります。「あれ、葉っぱに糞がついている」と。そして、多くの人は、糞の中にいる虫をみることなく、糞だけをみておしまいにするのでしょう。

凡夫も、もうすこしで、見過ごすところでした、が、長年の研究生活の習性がものを言いました。「どうして、この糞は湿っているのか。どうして、似たような糞が散見されるのか。どうして、葉っぱの切れ端に付いているのか」等の懐疑が。

数本のユリが庭の片隅に生育しています。糞は、ユリの葉についていました。葉の表側にも、裏側にも。糞を取り除くと、中には、薄い橙色のいもむしがいました。ユリクビナガハムシの幼虫です。ハムシの仲間には、変わった習性をもつものが多いと聞きます。自分の糞を背負って生活する幼虫、これはこれで理にかなっているのでしょう。
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ウメエダシャクの幼虫

2018 05 11 (art18-007) 
クサボケ(草木瓜)にチャドクガの幼虫がいると、家内が騒いでいました。庭に降りてみると、枝の先端近くに、頭を上にして体をまっすぐに伸ばした恰好で張り付いています。体表色は黄・黒・白のまだら模様の繰り返し。チャドクガの幼虫によく似ている、が、毒毛虫特有の針毛がみあたらない。毛のない”イモムシ”。テデトール(手で取る)の出番ですが、数が数だけに、ここは、薬剤に頼ることにする。キンチョールを持ち出して噴霧したところ、くねくねと体をひねる。あげくには、枝から離れて、空中に糸でぶら下がる。この糸は口元にある吐糸管から出ているのでしょう。ついには、地面に落下し、そこでも、くねくねと動く。バケツに拾いあつめて、一晩放置して様子をみることにしました。翌日、動きがなく、死んでいました。その数、32匹。 

キンチョールは、合成ピレスロイド系の殺虫剤です。以前は、除虫菊から抽出したピレトリンでしたが、現在のものは、合成品だそうです。ピレスロイドは昆虫類の神経細胞の受容体に作用し、正常な情報伝達を攪乱することで、殺虫効果を発揮する、と、とある教科書は記述しています。

毛のない”いもむし”の正体。どうやら、ウメエダシャクガの幼虫のようです。シャクトリムシらしく、枝に見せかけようと、枝と並行にまっすぐ体を伸ばして動かない姿、妙に納得できました。

芸人はともかく、ある物の形状に自分を似せることはあまり聞いたことがありません。しかし、誰かの姿形をまねることはよくあります。姿形を似せることによって、そう見られたいと心のどこかで思っているのでしょう。あるいは、そうなりたいと思っているのでしょう。凡夫も、一頃、そうでした。
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東郷池 河川監視カメラ

2018 05 06 (art18-006) 

東郷池には、河川監視カメラが3ヶ所設置されています。1時間毎の定点映像をWebに載せています。撮影時にカメラの前に立てば、その姿をWebでみることができます。設置場所は、湯梨浜町上浅津、橋津、松崎です。
Webサイトは、
  上浅津 http://tottori-kasen.info/togokamiasozu-h24.html
  橋津 http://tottori-kasen.info/hasidu.html
  松崎 http://tottori-kasen.info/togo.html

松崎の監視カメラは、松崎駅前の船着き場に設置されています。かつては、ポンポン船が、この船着き場から出航して、松崎の東郷温泉と対岸の浅津温泉(現、羽合温泉)を結んでいました。松崎駅で下車した観光客は、ポンポン船に乗って、はわい温泉を訪れていました。はわい温泉側の船着き場は、望湖楼と日進館(現、千年亭)を繋いでいる小橋の南側にあり、ちょうど、足湯が設けられているところが、かつての乗り場でした。湖中のポンポン船は、それ自体が絵になる風景でした。朝方と夕方の赤味がかった空模様は一層の風情を添えていました。また、船窓からの眺めも楽しめるものでした。今は昔です。

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筆箱(木工工作)

2018 05 02 (art18-005) 

子供のころ、木工職人に憧れていました。今になって、どうにか、その道を歩めます。弟子入り修行の道ではなく、独歩の道ですが。試行錯誤の道とも言えそうです。

JW-CADというフリーソフトがあります。日本人が開発した2次元汎用CADです。CADとはcomputer-aided designのことで、日本語では、コンピューター支援設計と訳されています。JW-CADのJWは、開発者のイニシャルをとったものだそうです。

凡夫は、図面を引くのに、JW-CADを使っています。
どのようなものをつくろうかと思案し、ある程度構想が固まってきたら、JW-CADを立ち上げて、図面引き(設計)にとりかかります。完成した図面をもとに、木材を加工します。設計と加工は区分できる工程ですが、互いに独立したものではありません。図面を引くとき、試行錯誤があります。加工の想定がそれを強要してきます。「ここは、こうではないだろう」と。多分に、加工の技量が設計を規定しています。加工技術の習得途上にある凡夫の作品は、設計の深みに欠けます。加工の技術(工法)を増やすこと、これが肝要です。

”あられ組継ぎ”という工法を用いて、筆箱を作ってみました。
釘類は一切使っていません。オイルを塗っての完成です。
今は、デスクの片隅で、使われています。

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