今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

ダイコンの種まきとその後

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例年通り、ダイコンの種子を播きました。
トマトを植えていた畝をつぶして平らにして石灰を撒きました。10日後、土を深めに掘起し、堆肥を加えて混ぜ合わせました。10日程たってから、肥料をまいて土をよく耕し畝を立てました。翌日の9月10日、畝の中央に、ダイコンの種子(品種、耐病総太り)を、25cm間隔で3粒ずつ播きました。ジョウロで散水し、畝全体を防虫ネットで覆いました。

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種を播いて3日後、ほぼ一斉に、芽が出てきました。子葉が完全に出たところで、発芽率を調べたところ、16ヶ所のすべてに3本の芽が出ていましたから、発芽率は100%です。毎年同じ品種を使っていますが、発芽率100%には感動します。

今は、本葉が3枚出ています。その数が5枚ほどになったら、2本を引き抜いて、1本にします。 以前、2本残すと2本とも大きくなるのではと考え、2本残したのですが、結果は、2本とも小さなダイコンのままでした。ダイコンは、ずっしりと大きく育ったものにかぎりますから、以来、1ヶ所に1本を育てることにしています。

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畑は、草ぼうぼうです。今年の夏は猛暑で土が乾燥したため、エンジンポンブを購入して、近く水路から水を汲み上げて、畑全体に水を撒きました。同時に、草が地面を覆うように、根元からではなく、上部だけの草刈りを行いました。そのなごりで、現在も、畑は草で溢れています。そんな中、ダイコンの畝の隣の畝に、ナスとピーマンが生育をつづけ、実を付けています。

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クワイの花

2023 9 25 (art23-0583)
クワイの花が咲きました。クワイの栽培は3回目になりますが、花穂が伸びて開花したのは初めてのことです。繁殖は種芋を植え付けて行っていましたから、花のことは気に掛けていませんでした。花が咲いて種子ができれば、種子からでも繁殖できることになります。

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花は3枚の白い花弁からなり、中央に黄色の雄しべが見えます。外側に3片の灰桜色の萼があります。3個の花柄が茎の一節から出ています(3輪生)。しかし、雌しべが見あたりませんから単性花のようです。これは雄花です。雌しべだけをもつ雌花はまだ咲いていないと思っていましたが、花の下の方に玉のようなものがたくさんついています。これも3個ずつ輪生です。玉には3片の灰桜色の萼らしきものが付いています。いずれも花柄側に折れています。これが雌花で、玉のようなものが雌しべのようです。花弁は見あたりませんから、開花して散ってしまったのでしょうか。
数日前に見た時は、まだ、蕾の状態でした。膨らんだ蕾を包んでいる萼片の間から白っぽい花弁らしきものが見えていました。雌花の開花を見逃したようです。雌花は一斉に咲いて、いっきに花弁を散らしたのでしょうか?

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種子がとれるかちょっと知りたいところですが、クワイ栽培の目的は大きな塊茎を育てて食用にすることですから、余計な茎は取り除くべく花穂を茎元から切断しました。

この時期、株から離れた場所から、新芽が出てきます。これまた、余計な茎は取り除くべく鎌を差し込んで、元部から切り取ります。今年は、新芽の発生が多いようです。匍匐茎の先端から芽が出てしまうと、大きな塊茎になりません。

花穂が伸長し花を咲かせたこと、株から離れた場所から新芽が多く出できたこと、これらは、今年の猛暑が関係しているのでしょうか。暑さといえば、近所の人の桃畑の桃が全滅したとか。親指大まで育った幼果が落ちてしまったそうです。長いこと作っているが、初めてのことだ、と、その人は言っていました。他方、梨はよい出来だったそうです。我が家のプルーンもよい出来でした。暑さの影響といっても、いろいろです。何がよくて何がわるいのか、やってみなければ、終わってみなければ分かりません。今年のクワイの塊茎、大きくなるのかどうか、掘り出してみるまで、これまた、分かりません。

プルーンの収穫と加工

2023 9 21 (art23-0582)
この数日、プルーンの果実を収穫しています。今年のプルーンはサイズが大きく、甘さもたっぷりです。パンパンに膨らんだ袋(梨用の小袋)を剥ぐと、濃紫色の果皮一面に白い粉が付着した果実が現れます。この白い粉は、ブルーム(果粉)と言って、果実が自ら作り出したろう物質が表面に滲み出て来たもので、水分の蒸発を防いで乾燥から守り、雨や露などをはじくことで病気の発生を防止する働きがあるそうです。

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室温で追熟させたプルーンを家内と食べています。家内は、一度にたくさん食べるとお腹を下すと言って、一度に2個しか食べませんが、凡夫はそのようなことはありません。下痢は、プルーンが便秘薬にも使われているソルビトールを豊富に含んでいるからだそうです。
今年はプルーンの出来がよかったので、小箱に詰めて、娘夫婦と息子夫婦に送りました。食い過ぎてお腹を下して、プルーンが嫌いにならなければよいのですが。

生食とは別に、加工してドライプルーンにしています。作り方は簡単ですが、乾燥に時間を要します。2階の出窓の上枠に針金をとりつけて、プルーンの入った水切りかごをぶら下げています。この数日、夕方になると空模様が急変して雨が降ったりしますから、早めに屋内に取り入れて、翌朝外に出します。天日干し2日後に種を取り出し、さらに1,2日干して完成です。

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ポポー、旨い

2023 9 18 (art23-0581)
今年は、ポポーをたくさん食べることができました。本当に旨い果実です。近所の人に食べてもらったところ、旨かったと言っていました。

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子供の頃、すぐ近くの家の裏庭にポポーの木があり、熟れた果実をとって食べていたので、此度、同世代の近所の人から「食べたことがない」とか「初めて食べた」と聞かされて、ちょっと意外でした。子供の頃、一緒に遊んでいたのですが、ポポーを知らなかったとは。

記憶では、2,3人の仲間と一緒に食べました。いったい、仲間とは誰だったのか。他家の裏庭に忍び込んで食べていたのですから、悪ガキ仲間でしょう。当時、周りに悪ガキがたくさんいましたからポポーを一緒に食べた悪ガキが誰だったのか特定できません。一度や二度ではなかったのですが、覚えていません。

ポポーの木は、畑の東端に3本植わっています。奥の1本が大きな木となり、今年、たくさんの果実を付けました。ただ、幼果を間引かなかったので、生りっぱなし状態でしたから、数はとれたのですが、大きな果実になりませんでした。一方、手前の2本には、3個の果実からなる房が1つだけ付きました。こちらは、養分が十分に供給されて、大きな果実になりました。
大きな果実のほうが食べ応えがありますから、来年は、間引き作業を行って、着果数を調整しようと考えています。

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ポポーは日持ちが悪いので、店頭に並ぶことが少ない果実です。ただ、果実を新聞紙などで包んで冷蔵庫に入れておくと、かなり長い間食べることができます。

ダルマメダカ

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今年の7月に卵から孵化した新生メダカが大きく生長しました。その数、60匹程。孵化直後の稚魚の生き残り率は高くないのですが、此度は、かなり多くが生き残りました。途中、30Lのプラ容器を2つ購入して、遊泳スペースを広げました。それでもまだ少し過密状態です。過密飼育はメダカが大きくならないと言われています。しかし、親メダカ大のサイズに育っているメダカがいますから、この環境はそう悪いものではなさそうです。

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卵から生まれたメダカには奇形が見られることがあります。プラ容器は黒色なので、メダカの体形がくっきり見えます。ただし、上方からのみで、真横からは見えません。上から看取できる奇形は、体長の長短と背骨の曲りぐらいです。
背骨の曲がったメダカ(背曲がりメダカ)は見あたりません。2,3匹いてもおかしくないのですが、今回はゼロです。以前、孵化したメダカには、かなりの頻度で出現しました。理由はわかりませんが、先天的な背曲りメダカが出なかったことは、喜ばしいことです。ただし、これから背曲がりが起こるかもしれませんが。

体長の長短に関しては、1匹いました。横幅は普通ですが、体長が短いメダカです。縮んだ、あるいは、寸詰まりな体形です。これが、ダルマメダカと呼ばれているメダカなのでしょう。人気のメダカだと聞いています。確かに、体形と泳ぐ姿は ”可愛い” との表現がぴったりです。姿はずんぐりむっくりで、普通のメダカに負けまいと、尾びれをいっしょうけんめい動かして泳いでいます。

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ダルマメダカの形質、寸詰まりは、脊椎骨の数が少ない、あるいは、脊椎骨同士の癒着によって、体長が短くなることで起こります。この形質は、遺伝子(fu遺伝子、fusedより)によるもだそうです。劣勢/潜性遺伝子で、しかも複数のアレル(対立遺伝子)があるそうですから、親がfu遺伝子をヘテロに所持していても、子メダカに同じfuアレルがホモに受け継がれることは少なく、寸詰まりの形質が出現する頻度は低くなります。さらに、fuアレルをホモに受け継いでも、形質の発現には生育水温が関係しているようですから、ダルマメダカが普通のメダカから出現することは、極稀なことになります。

今年は、7月に暑い日が続いていましたから、屋外に置いていた容器内の水温も高くなったと思います。これが、fu遺伝子の発現に影響して、寸詰まりという形質が発現する要因になったのでしょう。いずれにしても、希少なメダカです。

田舎暮らし(その2)

2023 9 11 (art23-0579)
病院通い
横浜ではもちろん、京都でも、近所にかかりつけ医がいましたから安心でした。ここに移住してすぐに、近くの医院をかかりつけ医と決めて、何かあると診てもらっています。健康診断もそこで受けています。必要であれば、大きな病院を紹介して頂けます。県の東部、中部、西部にそれぞれ、県立中央病院、県立厚生病院、大学病院があります。我が家から、県立厚生病院が一番近く、車で20分ほどです。他の2つの病院へは車で1時間前後です。歳を取るにつれて、医者にかかることが多くなるでしょうが、すぐ近くにかかりつけ医院があり、近くに大きな病院がありますから安心です。

買い物
田舎ですから、百貨店や大型ショッピングモールの類はありません。しかし、我が家から2km圏内に、スーパーマーケット、ホームセンター、ドラッグストアがありますから、食料や日用品、生活雑貨の入手には問題ありません。
家内は、一時期、衣服や履物をどこで買っていいのかわからないと言っていました。田舎には、ちょっとした専門店やブランド店すらありませんから、質の良い品を手に入れることは容易ではありません。そのため、安物買いの銭失いになりがちです。

書店
田舎暮らしになって、書店で本を買うことがなくなり、通販で本を買っています。ここには大型書店がありませんから、本漁りを楽しめません。都会では、よく大型書店に出かけました。本棚間の通路をうろついて、ふと目に留まった本を抜き出して拾い読みします。多くはないのですが、読んでみたいと思わせる本に出会います。そうした本は、たまたま目に留まったから出会ったのであり、そうでなければ一生縁のない本です。

美術館
美術館がないとは言いませんが乏しいです。内容も同様。近場にあると、特別展や企画展とやらで、居ながらにして世界の名品を観賞できますが、それ相応の美術館がないので、どうしようもありません。ただ、喜ばしいことに、2025年春のオープンに向けて、県立美術館が県中部の倉吉市のパークスクエアに建設中です。そのスクエアには家内のお気に入りの市立図書館があります。美術館が完成すれば、スクエアに出かけることも多くなるでしょう。
県立美術館期待していますが、どうでしょうか。美術館の目玉として、アンディ・ウォーホルの木製の立体作品「ブリロの箱」5個を3億円で購入したそうです。(5箱のうち、1つは1968年にウォーホルによって作られたもので、残りの4つは、ウォーホルの死後1990年に、美術関係者によって作られたもの)。おそらく一度見たら、それでおしまいといった作品でしょうな。予算が乏しいことは分かっていますから、時々でよいので、"これは" と思わせる特別展や企画展を開催してくれれば、美術館に足を運びます。

コンサート
無縁になりました。移住してわりとすぐに、倉吉市のパークスクエアにある多目的ホール倉吉未来中心で行われたコンサートを鑑賞?したのが最後です。

介護保険料と国民健康保険料
町内を走っているとやたらと介護施設や老人ホームの建物が目に付きます。誰が入居しているのか知りませんが、いつか世話になるかもしれない施設やホームがすぐ近くにあることは、安心材料の一つです。ただ、御多分に漏れず、湯梨浜町も高齢者が多い田舎ですから介護保険料の額が気になるところでしょう。凡夫の場合、かつて住んでいた横浜市とほとんど変わりません。また、国民健康保険料も同様です。

田舎暮らしの実態はこんなものでしょうか。おしなべて、ここ湯梨浜町は、定年退職後の余生を過ごす田舎としては、悪くないと思います。ただし、観賞はたっぷりできますが、鑑賞とは疎遠になります。

さて、暑さも過ぎ去り、動いても汗だくになるようなことがなくなりました。3日前から、夏の間止めていた木工工作を再開しました。またまだ作ってみたいものがあります。家内は、友の会の活動とやらで忙しくしています。2人とも、田舎でのんびりすることはなさそうです。

家内が世話をしているゴーヤの棚に、蔓を絡ませたメロンが果実を付けました。大きくなってきたのですが、このところの雨で、お尻に亀裂が入ってしまいました。
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田舎暮らし(その1)

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定年 (60歳) で退職し、京都で数年過ごした後、田舎に移住して、木工工作と家庭菜園を楽しんでいます。と言っても、移住先の田舎は中学まで住んでいた所ですから、Uターンになります。家内と2人で、親が残した家に住んでいます。

田舎への移住
凡夫にとっては、産まれ育った土地への回帰であり、子供の頃に一緒に遊んだ人達が近所にいますから、抵抗はありませんでした。しかし、家内にとっては、初めての土地ですから、抵抗があったのかもしれません。ただ、2人(子供も)で、町田から熊本、アメリカ、横浜、そして京都と移り住んできましたから、移住先はともかく、転居自体には抵抗は少なかっただろうと思います。なお、20年ほど住んでいた横浜の自宅(マンション)はそのままにしています。

近所付き合い
湯梨浜町は県中央の海沿いの町で、人口は1.6万です。町の中央に東郷湖があり、湖岸の東西には東郷温泉とはわい温泉があります。
我が家は、はわい温泉つづきの住宅区域のぼぼ中央に位置します。総戸数は240で、14の班に分かれています。我が家の班は、現在、8軒です。かつては、12軒あったのですが、4軒が空き家/更地になっています。区域の総戸数は増えています。ただ、増えているのは区域の周辺部であり、中心部は減っています。ドーナツのように真ん中が空洞化しています。

ともあれ、凡夫が出戻り人でもあり、班が小さいこともあって、家内の受け入れに問題はなかったようです。家内はすぐに近所の人と顔見知りになりました。
ただ、話しかけられるようになると、どこそこで散歩していたとか、どこそこで買い物をしていたとか、言われて、ちょっと気味悪がっていました。しかし、そのうち、そうした土地柄であると割り切ったのか、あるいは言う人がいなくなったのか、気にしなくなりました。

凡夫は他人の言動に関心がありませんから、気付かないだけかもしれませんが、ここでの人付き合いは都会と変わらないと思います。道で会ったら挨拶を交わし、畑で作業中に声を掛けられたら野菜や果樹の生育状況について立ち話をする程度です。個人的な、あるいは一方的な用件?で、どやどやと家を訪ねてくる人はいません。高齢になっても、農事に忙しく、多くの人(特に女性)が勤めに出ています。若い夫婦は共働きです。皆さん自分のことで、精一杯で他人のことにかまっていられないといったところです。都会の人と同じです。

家内が世話をしているヘチマです。今年も、たくさん実がつきました。
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定年退職後の田舎暮らし

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定年退職後、田舎に移住して、家庭菜園と木工工作を楽しんでいます。田舎には親が残した家と畑がありました。家は築後55年になりますが、あと数十年は持ちそうです。また、家の裏には旧母屋の一部が納屋として使われていました。この納屋を整理して、2階を木工工作の作業場と木材置き場として使っています。畑地はこぢんまりとしたもの (12x11m) で、家の近くにあります。手前の一画で野菜を、奥のほうで果樹を作っています。

木工工作は都会でもできると考えていましたが、実際やってみると、都会でやるのはちょっと無理かなと思います。難点は、音、スペース、材料入手です。
音:電動工具はそれなりの音が出ます。なかでも、手押しカンナの音は強烈です。
スペース:電動工具が増えると設置スペースが必要になります。また、木材を保管するスペース、さらには木材を乾燥させるスペースも必要です。
材料入手:作る物によっては丸太が必要です。この丸太、田舎では容易に、安く手に入れることができますが、都会では難しく、高くつきます。また、手に入れた丸太を保管するスペースも必要です。
こう考えると、いろいろな制限や制約を受けて、都会の住宅ではやりたいようにはできそうにありません。ここでは、やりたいようにやっていますから、木工工作を楽しもうと田舎に移住したことは間違っていませんでした。

凡夫の場合は、退職後の住み処として、この田舎がありました。しかも、ここには、すぐ近くに池と海がありますから自然環境は悪くありません。さらに、各家に温泉水の配湯管がきていますから、お湯が蛇口から出ます。温泉風呂を楽しめます。この地に家と畑を残してくれた親に感謝しています。お陰で、木工工作と家庭菜園を楽しめます。

では、田舎の家と畑が無かったらどうしたかと言えば、おそらく、どこかの田舎に中古の家を買って移住し、木工工作と家庭菜園を楽しんでいるだろうと思います。また、木工工作の延長で、家のあちこちに手を加えているでしょう。家は、30年ほど使えればよいので、中古で十分です。
ちなみに、ここ湯梨浜町の中古物件に当たると、築30年ほどの一戸建て物件が2つ売り出されています。いずれも、980万円で、土地の広さは143m^2と189m^2です。まあ、これくらいの広さがあればなんとかなります。畑の方は、放置畑が多く、タダでも売れないと聞いていますから、買ってもよし借りてもよしです。
おそらく、どこの田舎でも中古住宅の状況は似たり寄ったりでしょう。築年数が50年以上の家は2~300万円で、30~40年だと800万円前後で、20年以下だと1000万円を超えます。また、畑や田圃の状況も似たようなものでしょう。

家と畑があれば、とりあえず木工工作と家庭菜園はできます。しかし、移住して死ぬまでそこに住むとなると、その地の人になる訳ですから、地元の人や風習と関わることになります。このあたりのことが "田舎暮らし云々" と題する本に面白可笑しく書かれています。人それぞれ事情があるでしょうが、凡夫のように、やりたいことをやりたいようにできる場所が田舎であれば、田舎に住むだけのことです。逆もしかりです。ただ、田舎から都会への移住は、それ相応のお金を用意しておく必要があります。

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