今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

草刈り

2024 7 29 (art24-0671)
ガソリンエンジン付きの草刈り機を持ち出して、苗田の草を刈りました。さすがに、日中は暑くて仕事になりませんから、日射しが弱くなってから作業を開始しました。1時間ちょっとかかりました。

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作業の前に、草刈機の回転刃をヤスリで研ぎました。
草刈り機用の回転刃は、チップソーと言って、タングステン性の合金でてきたチップが回転盤の先端に埋め込まれています。この硬いチップが草の茎に当たって切断することで、草を切ります。
チップを研ぐには、ダイヤモンドヤスリを使います。研ぐ要領は、茎に当たるチップの面を平面に削り、上と左右の3面に対してエッジを立てることです。できれば、10度程度の横すくい角(リード)をつけます。

チップソーを研ぐ作業(目立て)は、チップの摩耗によってエッジが丸くなり、切れなくなったら行います。作業自体はちょっとしたことですが、やるのとやらないのでは、切れ味が違います。よく切れると作業が楽になります。また、切れない刃をつかうと、回転数を上げざるをえませんから、その分よけいに燃料をくいます。

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草刈り作業を終る頃には、気温もすこしは下がったようですが、それでも、汗びっしょりになりました。
帰宅し、すこし休んで、夕食をとりました。ご飯を盛った茶碗を持ち上げる左手がすこし震えました。わずか1時間ちょっとの草刈り作業で、こうなるとは、おどろきです。腕の筋力が落ちているのでしょう。特に、左手の。
日頃、使う機会が少なくなった筋肉から衰えていくのは、合理です。と分かっていても、日常生活に支障がでるようでは、困ります。ただ、まだ軽微ですから、よしとしましょう。

キンカンの花

2024 7 25 (art24-0670)
中島の畑の東端、カキの木とキウイの防風ネットに挟まれて、キンカンの木が1本植わっています。小さな木ですが、今年も、一面に花をつけました。多くは、葉の付け根、葉腋に付く花、直花です。花びらが落ちると、付け根に小さな子房の膨らみを見せます。しかし、その多くは、日を追って落ちてしまいます。

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龍神の畑(ミカン畑)にも、キンカンの木が1本植わっています。こちらは、キンカンのなかでは大きな果実が生る大実キンカンの木です。この木にも、中島のキンカンに遅れること数日、花が咲きました。花は、春に伸びた新梢の各葉腋に付く直花です。茎から直接2,3個の花が咲いています。また、有葉花も咲いています。こちらは、新梢の先端部から芽生えたもので、葉を伴った茎の先端部に花を付けます。今年は、直花が多く、有葉花は少しです。昨年は、逆に、直花が少なく、有葉花が多く付きました。実が止まり、大きな果実に育ったのは有葉花のみでした。今年は、どうなることやら。

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停電

2024 7 22 (art24-0669)
昼食を済ませたら、録画した中華ドラマを観ることにしています。先の土曜日(20日)も、いつも通り、中華ドラマをみていました。と、突然ディスプレイの電源が落ちました。同時に、エアコンも。一時的に大容量の電気を使ったために、ブレーカーが落ちたのかと思い、分電盤をチェックしましたが、ブレーカーは落ちていませんでした。
屋外から、人の声が聞こえます。外に出てみると、又隣と向こう隣の住人が数名道路脇に立って停電云々の話をしています。その一人から、○○さん宅も停電か、と声を掛けられました。そうですと返答しました。どうやら、近所の数軒だけの、狭い範囲の停電が起こっているようです。

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一般家庭は主に交流の100Vの電気を使っています。これは、高圧線を通っている6,600Vの電気が電柱に設置されている変圧器によって100Vに変圧されて、低圧線に流されています。低圧線から引込線を介して各宅へ100Vの電気が供給されています。
変圧器(トランス)は電柱の上部に取り付けられている円筒形の装置のことで、多くの電柱には100V用と200V用の2台の変圧器が取り付けてあります。

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家内を含め複数の人が、中国電力に停電の発生を連絡したようで、しばらくすると、作業員がやってきました。作業員は電柱から少し離れたところに立ち、双眼鏡を覗いて電柱を点検した後、作業装備を装着し、電柱に登りました。変圧器の直下まで登ると、身体を安全帯ロープで固定し、高圧カットアウト内のヒューズ筒を交換し始めました。交換は、カットアウト操作棒を下部から突っ込んでヒューズ筒を抜き取り、新しいヒューズ筒をカットアウト操作棒の先端に付けて、下部から差し込みます。
3個ある高圧カットアウトの2番目のヒューズ筒を交換した直後、「あっ、ついた」との声があがりました。作業員は、全てのヒューズの交換を終えて、作業を終了しました。

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ネットで調べると、高圧カットアウトはトランスを保護するための高圧側の電気を切る装置で、回路の開閉は中に入っている筒状のヒューズ(ヒューズ筒)の抜き差しで行うとあります。また、ヒューズが溶断したときは、下端の密閉詮が下がるのでわかる、とも。
作業員が、電柱を前にして双眼鏡で見ていたのは、密閉詮の位置で、ヒューズの溶断が起きているかどうかを判別していたのでしょう。

なにはともあれ、迅速な復旧作業で、事無きを得ました。停電が長時間続いていたら、曇天ではありましたが蒸し暑い日中でしたから、困ったことになりかねませんでした。なにせ、住民は高齢者ばかりですから。作業員 ”さん” には、感謝です。

トマトとキュウリのポット栽培(3)

2024 7 18 (art24-0668)
畑で、夏野菜を栽培しています。それとは別に、トマトとキュウリをポットに植えて、庭で育ててきました。ポット栽培でどの程度の果実が採れるものか、興味本位の試行です。 3個のポットを用意し、キュウリ、トマト、ミニトマトの苗を植えました。しばらく庭で栽培していましたが、梅雨入り前に、納屋の軒下に移しました。そこだと、日は当たりますが、雨はかかりません。何処へでも移動できること、これはポット栽培の利点の一つです。

キュウリ
キュウリの栽培は終了しました。最初の1本を6月2日に収穫し、その後、4日、6日、10日、13日に1本ずつ、そして最後のキュウリを19日に収穫した後、株を処分しました。
生育初期に出てきた2本の子つるを伸ばし、親つると併せて3本仕立てにしました。それぞれのつるに2本ずつ果実が成りました。そのうち、脇芽が出て子つるや孫つるになるだろうと待っていましたが、一向にでてきませんでした。品種の特徴なのでしょう。
結局、6本のキュウリが採れました。畑栽培のキュウリより生育が早く、その分、早く収穫できました。味の方は普通でした。

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トマト
今も収穫が続いています。
モモタロウ(大玉トマト)  3本仕立てにしたせいか、大きな果実にならず中玉になってしまいました。総数10個ほどでしょうか。味の方は問題ありません。ポット栽培でも、葉の数は十分ありましたから、1本仕立てにすれば、大きな果実を成らせることができそうです。ただ、そうすると、個数は減ります。味の方はまぎれもなく桃太郎でした。

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フルティカ(ミニトマト)
生育初期に発生した脇芽を残して、茎数を確保しました。数えてみると、6本あります。それぞれの茎に果実が生りました。総数、50個ほど収穫できそうです。味は申し分ありません。
ポット栽培には、ミニトマトが向いているようです。品種(ピンキー、小鈴)を選べば、もっと果数を増やせます。果数が多ければ楽しみも増えます。

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キュウリとトマトのポット栽培悪くありません。今回、40L入りの市販の野菜栽培用の土(ちょうど、3ポット分でした)を使いました。これは、生育に必要な栄養成分を含みますから、苗を植えた後、やることは、(1) 水切れを起こさないように水を播くこと、(2) つるや茎が伸長したら支柱を立てて固定すること、です。また、天気次第ですが、ポットの移動があります。総じて、栽培管理はとても楽です。ポット栽培は、楽して楽しめることがわかりました。

スグリゾウムシ

2024 7 15 (art24-0667)
イチジクの葉がぼろぼろになっていました。ゾウムシがたむろして、葉を食べています。翅に2本の横帯がありますから、スグリゾウムシのようです。

図鑑によると『スグリゾウムシ(ゾウムシ科、クチブトゾウムシ亜科)は、体長5, 6mm、体形は丸く、体色は黒色、しかし、鱗片で覆われるため灰白色に見える。上翅に黒褐色の2本の横帯がある。成虫は4-8月に発生する』とあります。

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捕まえようと手を伸ばして葉に触れると、ぽろぽろと落ちます。地面に落ちたスグリゾウムシはしばらくじっとしています。擬死行動です。
地面に落ちたスグリゾウムシを見つけて拾い集めるのは面倒ですから、金属(アルミ)製のボウルに集めることにしました。ボウルを下に置いて、葉に触れると、葉から落ちたスグリゾウムシがボウルに当たってカーンカーンと小さな音を立てます。こうして、数十匹集めました。ボウルの中で、ゾウムシはもぞもぞと動いています。その内、ゾウムシ同士の脚がからみあいます。

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イチジクの木は1本で、それ程大きくはありません。スグリゾウムシは主に下部の葉を食害しますから、地面近くの葉をくまなく点検し、見つけては殺せばすむことです。しかし、スグリゾウムシに有効な殺虫剤があれば、もっと楽に退治できます。ネットで調べたところ、スミチオンが効くとありました。半信半疑でしたが、ちょっと試してみました。効きません。成虫には無理なようです。

かくして、朝夕、スグリゾウムシを捕殺しています。昨年もやりました。数日続ければ、ほとんど見かけないようになりましたから、今年も、そうなることを祈りつつ、捕まえては殺しています。

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田植えの記憶(2)

2024 7 11 (art24-0666)
前回の続きです。
凡夫の地区の田植えは、後方へ移動しながら苗を植えていきますから、腰をあげる度に、自分の植えた苗や足跡(穴ぼこ)を目にすることになります。大人が植えた苗の列(条)はまっすぐで、足跡は条間にピッタリはまっています。一方、子供のものは、条がぐにゃぐにゃで、足跡もバラバラです。後ろに下がりながら植えていきますから、自分の足でつくった穴ぼこに田植え紐の赤玉が当たると、気が焦ります。苗を植える前に、泥を寄せて穴ぼこを埋めなければなりません。これは一手間かけることになりますから、その分、遅れがでます、と同時に疲れます。
小さな子供には大人のような等間隔の足運びができません。それでも、中学生になると、それなりにできるようになりました。その頃には、よその家の田植えを手伝うこともありました。ちょっとした小遣い稼ぎになりました。

田植え作業は、腰にきます。腰を折って前かがみの姿勢で苗を植えますから、しばらくすると、腰が痛くなります。途中、何度も、反り返っては腰を伸ばすことになります。ところが、大人は年季がはいっているせいかあまり腰が痛くならないように見えました。どうしてなのかと観察すると、大人の動作は子供の動作と違います。子供は前かがみの姿勢を保ったまま、腕を左右に伸ばして苗を植えています。一方、大人は、前かがみの姿勢を大きく上下させます。腕を伸ばして苗を植える動作と連動して体がリズミカルに上下します。腰を折って/延ばしてを繰り返すことで、腰への負荷を軽減させているようです。中学生になると、このリズミカルな動きができるようになり、腰の痛みがひどくなることはなくなりました。

1枚(1反)の田圃は20mx50mで、縦長です。田植えの開始早々、後ろを振り向くと、ゴールは50m先、はるか彼方で、子供心に、終わるのだろうかと、不安になります。植えても植えてもゴールが近くなりません。しかし、不思議なもので、半分を過ぎると、振り向くたびに、ゴールがぐんぐん近くに見えました。
家族に手伝いの親戚と近隣の人が加わり、総勢10人強で、午前に1枚、午後に1枚か1枚半の田圃の田植えを終えました。当時、両親は6枚分の田圃を所有していましたから、我が家の田植え作業は3日ほどかかりました。

田植えにまつわる行事。
小学校の運動場の前は一面田圃でした。その田圃の1つを使って田植え実習がありました。凡夫は家の田植えを手伝っていましたから、誰よりも早く植えることができるだろうとの思いがありました。ところが、実際やってみると、凡夫より早く植える児童が1人いました。その児童も農家の子供で、田植えの手伝いをさんざんやっていたのでしょう。ショックでしたが、子供心に、上には上がいるものだ、と思い知りました。
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田植えの記憶(1)

2024 7 8 (art24-0665)
凡夫が住む村落、東側には東郷池、西側には田圃が広がっています。この時期、田圃には稲が整然と植わっています。6月上旬、田植え機で、一ヶ所あたり3,4本植えられた苗が、分げつによって茎数を増やし、今では2, 30本ほどの株になっています。田植え直後の頼りなさそうに見えた株は、どっしりと頼もしくなっています。

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村落の高齢化が進み、自分で稲を作る人が減ってきました。個人で手に負えなくなった田圃をまとめて、農事組合が稲作を請け負っています。しかし、有志の集まりである農事組会のメンバーにも高齢化の波が押し寄せ、年々、請け負える田圃の数が減ってきました。あぶれた田圃の稲作を外部の民間企業に依頼するようになりました。

民間企業は大型農機を備えています。田植えの時期になると、ハロー付きの大型トラクターを持ち込んでささっと代掻きを行った後、大きな田植え機を持ち込んで、あれよあれよという間に田植えを済ませます。田圃1枚(1反)を半時間ほどで終えます。

凡夫が子供の頃、田植えと言えば、手植えで家族総出の作業でした。田植えの日の作業は、田圃に植える苗の準備から始まります。
朝早いうちから龍神苗田に出かけて、苗代で育てた苗を根ごと引き抜いて束ねます。工型の木製の椅子に腰をおろして、前かがみの姿勢で腕を伸ばし、手を苗の根もとに置き、親指と人差し指で苗を数本ずつつまんでは手前に引き抜いていきます。時々、根に付いた泥をジャブジャブと洗い落とします。左右の手で引き抜き、両手の苗が一杯になったら、併せて藁紐でくくり、苗束をつくります。子供の手は小さいので、手一杯になっただけでは足りず、2回分を一つにまとめて束ねていました。

出来上がった苗束を竹かごに入れてテイラーに積み、代掻き済みの田圃に運びます。テイラーは耕運機に2輪の荷車を連結させた運搬車です。荷台の前方に運転席が付いていました。牽引が耕運機ですからスピードがでません。必要に迫られて、子供も運転していました。田圃に運んだ後、畦から苗束を投げ入れます。

親戚や近隣の人が加わって、田植え作業が始まります。横一列に並び、横に張った田植え紐に合わせて、苗を植えていきます。田植え紐には8寸間隔に赤い玉が付いていて、その玉の所に苗を植えます。田植え紐が移動するたびに植えるのですが、この時、横一列に並んだメンバーが一斉に開始して終了する必要があります。一人でも遅れると、他の人は待たなければなりません。よくしたもので、このあたりの調整はなんとなくできていました。大人の間に子供を入れることで、子供の力量に合わせて、両隣の大人が子供の植える苗の列数(条数)を調整します。また、疲れて、子供のスピードが落ちてきたら、条数を減らしてやります。遅い子供も、早い子供も、それなりに労働力となりますから、田植えは家族総出の作業でした。
(次回に続く)

ものづくり

2024 7 4 (art24-0664)
梅雨に入り、連日の蒸し暑さに辟易しています。そんな中、6月29日付の朝日新聞の連載記事「ひと」の欄が、ちょとした納涼になりました。 アナウンサーから伊勢根付の職人になった女性(42)の紹介記事です。

根付とは、江戸時代に使われた留め具で、小物(印籠や巾着など)を着物の帯から紐で吊るす際の滑り止めです。ちょっとした装飾彫刻がほどこされています。材料は、木材、象牙,鹿角、ガラスなどです。木材としては黄楊、黒檀、樫、桜の木などが使われていますが、伊勢根付はもっぱら地元でとれる黄楊の木が使われているそうです。黄楊は、木質が極めて緻密で硬く、光沢があり、肌触りがよいので、根付けのような細かな工芸品に相応しい素材なのでしょう。

女性は、NHKのアナウンサーとして、伝統工芸の職人を紹介する番組を担当していたそうです。工房を尋ね、現場の厳しさや後継者不足の現実を目の当たりにして、自ら職人になろうと根付工芸の世界に飛び込んだそうです。2010年のことです。今は、根付を作る傍ら、伝統工芸を通してみえる日本の伝統文化の様を発信しています。

こういう人が、もっと出て来てほしものです。特に若い人から。そこにあるものや誰かが作ったものを情報発信する人ではなく、そこにないものを自ら作って発信する人です。今日び、前者が多すぎます。加えて、そこにあるものや誰かが作ったもので食い扶持を稼ごうとする人が多すぎます。楽で手っ取り早いのは分かりますが、皆が皆そうすると困った状況になりかねません。

下は、「ヘイヘイ、何言っているんだい。気楽にいこうぜ!」です。
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果樹の農薬散布

2024 7 1 (art24-0663)
雨天が続き、果樹に農薬を散布することができず困っていたところ、お天気サイトが丸一日の晴れ日を予報しましたので、その日(29日)に農薬散布を行うことにしました。この時期の天気予報は変更が多く、どうなることかと心配していましたが、予報内容に変更はありませんでした。
当日、朝早く起きて畑に出てみると、果樹の葉には水滴が付着していました。予報に反し、明け方に雨が降ったようです。下草もしっとり濡れていました。ただ、空が晴れ上がっていましたから、もう雨が降ることはなさそうです。乾くのを待って農薬を散布することにしました。ただ、湿度が高く、無風に近いので、乾くのに時間がかかりそうでしたから、一旦、帰宅しました。

朝食を済ませ、しばらく休んだ後、再度畑に出ました。日は高くなり、強い日射しがふり注いでいました。気温が上がり、また少し風も出てきて、葉の付着水は蒸発したようで目立たなくなっていました。
農薬液を調整し、小型(4L用)の手押しポンプに移して、散布作業にとりかかりました。1時間ちょっとで無事完了しました。高温多湿下での作業となり、全身汗びっしょりでした。

凡夫が子供の頃の話ですが、梨山(梨畑)へ出かけた両親が、農薬散布を終えて、全身汗まみれで帰ってきたことを思い出します。当時、この地区の農家の多くは、二十世紀梨を栽培していました。梨畑は東郷池の向かい側の小山の傾斜地にありました。当時、池の周回道路は引かれていなかったので、梨山(梨畑)へは、発動機付きの小舟で池の向こう岸に渡り、そこから傾斜地を登って梨畑へ行きました。

梨栽培の作業はいろいろありますが、中でも忙しい作業は交配と袋掛けです。短期間で終了させる必要があり、家族総出の作業でした。小中学生の子供も駆り出されます。大きな梨農家は、家族だけでは足りず、助っ人を雇っていました。
一方、きつい作業は農薬散布です。散布回数は多く、4月から8月まで月3回です。特に、梅雨期から夏期の高温多湿下での散布作業はとてもきついと聞いています。ポンプに繋いだホースの束(これが高耐圧用なので重い)を抱えて、傾斜地をアチラコチラと移動して散布するのですから、重労働です。

当時の梨栽培は儲かっていたようです。作業がきつくても、儲かりますから、多くの農家が梨栽培に取り組み、栽培面積は広がっていきました。しかし、梨栽培は親の世代から次へと繋がりませんでした。今では、自家用の梨を栽培している高齢農家が数軒あるだけです。理由はいろいろありましょうが、要は、儲からなくなったからです。何故、儲からなくなったのか。うまいものに群がる ”ハイエナ” がいたからだと思います。農家の稼ぎで生きている ”集団” です。

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