サザンカ
2018 11 30 (art18-0083)
庭のサザンカが咲きました。しっとりした、鮮やかな白色の花です。この数日、気温が高く、一気に開花しました。一部は、既に散り始めたようで、花びらが落ちています。
この時期、他家の庭に、ツバキの花を見ることができます。サザンカによく似た花ですが、ザザンカと異なり、花が散るとき、こちらは花首から落ちます。ツバキの花は、雄しべの花糸の基部が合着し、さらに花弁ともくっついて筒状になっています。花は、筒状の状態(雄しべと花弁の合着で構成されている)で、ぽとりと落ちます。あとには、萼と雌しべが残ります。サザンカは、雄しべや花弁の合着はありませんから、個々の花びらが落ちます。
サザンカの花をよく見ると、一部の雄しべが花びらに変化しています。庭のサンザンカの花は八重咲きです。八重の花びらは雄しべが変化したものと言われていますから、その現れでしょう。確かに、雄しべの数が少ないように感じます。
椎の実
2018 11 27 (art18-0082)
東郷池の池畔は公園になっています。公園には、たくさんの椎の木が植わっています。この時期になると、そこかしこの地面に椎の実が落ちています。椎の木はスダジイです。実(堅果と言い、硬い殻に覆われていて、熟しても割れない果実)は殻斗(子房を包んでいる苞葉の集まり)に包まれて生長し、実が熟す頃に殻斗は3つに裂けて、実が落下します。実は長楕円の形をしていますが、木によって随分大きさとふくらみに違いがあります。拾い集めて食べてみました。すこし甘味があり、懐かしい味です。
幼少の頃、南谷の北野神社で椎の実を食べました。社殿への登り口の石段の脇に大きな椎の木がありました。級友と木に登り、椎の実をもぎとったり棒きれで叩き落したりして実を集めては、境内の片隅に陣取って食べました。50年以上も前の話ですが、椎の木は、今も、そこにあり、実を付けていました。
福岡で過ごした10年間の学生時代、大宰府天満宮で販売されていた “炒った椎の実” をよく食べました。大宰府へは、天神駅で西鉄電車の大牟田線に乗り、二日市駅で大宰府線に乗り換えて、終点の大宰府駅で下車します。20分ほどの乗車でした。駅から参道を少し歩けば天満宮です。ちょっと遠出の散歩でした。天神(福岡の繁華街)に出るには路面電車の西鉄貝塚線(凡夫が学部生のころはまだ運行していました)を、廃止後(大学院に進学した翌年、昭和54年に廃止されました。)は西鉄バスを使いました。
“炒った椎の実” は、小さな紙袋入りです。道端で買い求め、帰りの電車の中で食べました。大宰府名物の梅ケ枝餅の甘さとは比べようがありませんが、それなりに、おいしいものでした。
【家内の寄稿】
ジョギング
2018 11 24 (art18-0081)
今年の4月からジョギングを始めました。夏の暑さに負け休んでいましたが、10月から再開しました。ゆっくりゆっくり、30分程です。少しずつ距離を延ばして東郷池一周12キロを走るようになるのが目標です。今は池のほんの一部を走っているのですが、池や山や温泉宿を見ながらきれいな景色だなと感じています
運転免許試験場(2)
2018 11 22 (art18-0080)
先日、USAで運転免許試験を受けたことを書きました(art18-0078)。記述内容に不備な箇所がありました。道路標識試験の前に、ペーパー試験を受けました。これは、基礎的な運転操作と交通規則を問うものでした。
試験は、以下の3ステップで行われました。
1.学科試験 (ペーパー試験とスライドによる道路標識試験)
2.視力検査
3.運転の実技試験
車は、免許試験を受ける前に購入しました。その車に乗ってDMVに行きました(運転は家内。家内は日本で運転免許証を持っていたので、渡米前に国際免許証を取得していました)。
家内と二人で試験を受けたのですが、凡夫は、視力検査をパスしませんでした。2歳前の娘を膝の上に載せて検査を受けたのがよくなかったのか、目が疲れていたのか、視力が出ず、見えるはずのものが見えませんでした。メガネが合わなくなったのか、とも考えました。日を改めて行った視力検査ではパスしましたから、その日、たまたま目が疲れていたのでしょう。家内は視力検査をパスし、乗ってきた車で実技試験を受けて合格しました。後日、凡夫も、合格しました。
運転免許試験に使用した車のナンバープレートは、娘の名前にしました。後に、もう一台車を手に入れました。こちらの車のナンバープレートは、USAで生まれた息子の名前にしました。両車のナンバープレートは、日本に持ち帰っています。
道路標識試験の実際は、動画(YouTube)で紹介されています。一部を画像としました。USA traffic road sign test #1
ツワブキ
2018 11 19 (art18-0079)
庭のあちこちにツワブキの花が咲いています。十数枚の舌状花弁が放射線状に並んだ花です。花の色は鮮やかな黄色です。花色もさることながら、冬を前に、他の花が少なくなる時期に花をつけていますので、たいへん目立ちます。また、寿命が長く、黄色い花は、一ヶ月ほど、そのままです。
ツワブキ(石蕗)は、キク科の植物です。凡夫は、フキ(蕗、これもキク科)の仲間だと思っていました。この混乱は、どちらも食用にするからだと思います。子供の頃、佃煮にしたものを食べていました。ツワブキは葉の間から花径を伸ばして先端に散房花序様の花をつけます。フキのように、地下茎から出てくるフキノトウ(花が開く前の鱗片状の苞葉に包まれた花芽)のようなものは形成しません。葉の形はフキに似ていますが、ふきの葉には見られない “つや” があります。“つやふき” から転訛してツワブキになったと言われています。
運転免許試験場
2018 11 15 (art18-0078)
畑に隣接して運転免許試験場の駐車場があります。広い駐車場で120台の車を収納できるそうです。この試験場は、10年前に、由良にあった試験場を移転したものです。由良の試験場は、由良駅を降りて、由良川に架かる “コナン大橋” を渡って、200メートルほど北側(海の方)へ歩いた所にありました。“コナン大橋” は、かつての “緑大橋” のことで、“名探偵コナン” (北栄町出身の漫画家青山剛昌の作品)による町おこしの一環として平成11年に改名された橋です。
凡夫は、運転免許試験を2回受けています。
1回目は、高専生の時、自動二輪(オートバイ、バイク)の免許試験を受けるために、由良の試験場へ行きました。学科試験を受けた後、自動二輪の技能試験を受けました。技能試験はバイクの運転です。試験コースは、当日に発表されました。それを頭に叩き込んで、技能試験に臨みました。終了後、合格者が発表されました。当時の免許証には、大型中型の区分は無く、すべてのオートバイに共通でした。凡夫の自動二輪の免許証は、更新しなかった為、失効しました。
2回目は、USAで、自動車の運転免許試験を受けるために、小さなショッピングモルの店舗の一つを占めるDMV(Department of Motor Vehicles)オフィスに行きました。最初に、簡単な道路標識の識別テストがありました。合格すると、次は、実技試験でした。試験に使う車は自分の車です。試験官が助手席に乗り、あっちへ行って、こっちへ行って、と指示します。指示通り運転すること、わずか数分でした。実技試験では、制限速度25マイルの区間を25マイル以下で走行すること、スリーポイントターンで逆向きに方向転換ができること、の2点が重要と聞かされていました。試験終了後、合格ということで、顔写真をとって免許証の交付をうけました。支払は10ドル程でした。この免許証は、USAを引き払い日本に戻った時に、日本の運転免許証に書き換えました。
湯梨浜町の運転免許試験場は2008年(平成20年)9月から使われています。以下は移転の経緯。
1968年(昭和43年)から使用されていた由良の試験場が老朽化したこと、大型試験車両に対応した技能コースの必要性が出てきたこと、くわえて、駐車場スペースが狭いこと、などの理由から、県は試験場の拡張と整備に取り組んだ。実施案は、由良の試験場を拡張整備するか、別の場所に移転整備するか、であり、両者の長短が有識者によって検討された。前者には駅から近いという利便性はあるものの拡張工事に伴う業務への支障が予想されること、くわえて、後者には地域経済への波及効果が期待されること、などの意見が上がり、移転整備されることになった。移転先の候補地として、東郷湖湖畔の県有地(湯梨浜町)と由良に近い妻波の民有地(北栄町)の二か所があがった。県民の負担の観点から、整備費が少ない方の前者が選ばれた。
戸袋の修理(奥の納屋)
2018 11 12 (art18-0077)
古い家屋の一部を納屋として使用しています。一階は物置として、二階の2部屋は木工作業場として。部屋の東側に廊下があり、外と板戸で仕切られています。100年前に建造された家なので、板戸は廊下の両端の戸袋に収納できるようになっています。ガラス戸と違って、板戸は光を通しませんから、締め切ると真っ暗になります。室内に光を入れるためには、板戸を取り外す必要があります。すべての板戸を戸袋に収納する方式はよく考えられていると感心します。
さて、今回は、北側の戸袋を作り直しました。戸袋の外側の薄板に大小の裂け目があり、雨が吹き込んでいました。先の台風24号の通過時には、北東からの雨風で廊下が水浸しになりました。
作業工程
1.古い戸袋を解体する。
2.木材で、骨組みを汲む。(画像1)
3.防水シートを張る。(画像2)
4.幅広の薄板を隙間なく張る。
5.薄板間の隙間を覆うように、幅狭の薄板を張る。(画像3)
6.黒色ペンキを塗る。板戸の色に合わせる。(画像4)
これで、戸袋からの雨の侵入は防げると思います。
今回、初めてスライド丸鋸を使いました。これまで、板を直角に切断するとき、丸鋸ガイドをあてて直角を出し、それにそって丸鋸で切っていました。この作業は結構神経をつかいます。しかし、スライド丸鋸で行うといとも簡単にできました。
スズメガの幼虫
2018 11 09 (art18-0076)
「あっ、虫がいる」。柿を収穫していた家内が声をあげました。大きな青虫が甘柿の枝にとりついていました。体長10cm。ズスメガの幼虫です。尾部に特徴があります。尾角が細かな突起で覆われ、くるりと上方に巻いています。クロメンガタズズメの幼虫と思われます。
クロメンガタスズメの幼虫は、トマト、ナス、ピーマンなどのナス科野菜の葉を食べると言われています。大型の幼虫ですから、さぞ豪快な食べっぷりでしょう。
幼虫は柿の枝にいました。硬い柿の葉も食べるのでしょうか。近くの葉に食害された跡は見あたりませんでした。しかし、口器の大顎は、柿の葉を噛み砕くことができそうなほど、強靭にみえます。
収穫が終わった柿なので、捕殺することなく、そのままにしておきました。翌朝、幼虫の姿はありませんでした。
甘柿の収穫
2018 11 07 (art18-0075)
畑の甘柿(次郎柿)を収穫しました。家内の計数では83個です。すぐ隣の渋柿(平核無柿)は500個以上収穫できました。今年はなり年なのでしょう。「来年は、実がつかないよ」と近所の人が言っていました。
果樹には、実がたくさんつく年(表年、なり年)と、少ししかつかない年(裏年、不なり年)が交互にめぐってきます。これを、隔年結果と言います。
授粉から果実成熟までの期間が長い果樹(柿、梨、リンゴ、ミカン等多くの果樹)は、果実が成長しているときに、翌年の花芽を形成します。果実が沢山ついている木の花芽形成は抑制されます。このため、沢山実をつけた年(表年)の翌年(裏年)には、花が少ししか付かず、結果として、実が少ししか成りません。
そうだとすると、もはや、打つ手がありません。来年は、今年同様、沢山の柿を収穫することはできそうにありません。ただ、次郎柿の方は、剪定や間引きで結実数を調整したつもりです。83個です。これくらいの数だと樹に余力が残り、来年の花芽が形成されているのではと思います。が、実際はどうなることやら。
次郎柿の果実は、大きくなります。ただ、大きくなり、果皮が赤くなってくると先端が割れてきました(果頂裂果)。見かけは悪いのですが、食べごろの印ともとれますから、気にしないことにしました。
次郎柿の果実は硬く、カリカリと歯ごたえを楽しむ柿です。富有柿(鳥取県の甘柿の代表)ほど甘くはなく、控えめな柿です。一言で言えば、昔ながらの柿です。「富有はあごで食べ、次郎は歯で食べる」と言われているそうです。収穫後、富有柿はすぐに柔らかくなりますが、次郎柿はいつまでも硬いままで、しばらく、カリカリ感を楽しむことができそうです。「柿が赤くなれば、医者が青くなる」と言います。柿にはビタミンCやA,カロチン等栄養素が豊富に含まれています。赤色に熟れた次郎柿を、せっせと、食べようと思います。
大山の紅葉
2018 11 04 (art18-0074)
先日、大山の紅葉をみてきました。自宅を出て、山陰道を西に走行し、交差点大山で158号線に乗り換え、一路大山寺へ。そこで、お寺の参拝と大山そばの昼食。すこしぶらついた後再び車中。大山寺から桝水高原、そこから45号線に入り奥大山を廻りながら鏡ヶ成へ。小休憩後、地蔵峠で45号線から44号線に乗り換え、琴浦東で山陰道に入り、その道を東に走行し自宅に帰着。家内との、全長110kmのドライブでした。
大山の山頂は雲で覆われていましたが、周辺の山には、時折、日が差していました。眼前に敷かれた紅葉の絨毯は、そのつど、輝いたり、陰ったりします。凡夫らは、言葉を失い、ただただ、「おおー!」ともらし、立ち尽くすばかりでした。
「おおー!」ともらした景色を撮った写真を、いくつか、ここに載せます。
ただ、手持ちのカメラが、手のひらサイズのデジタルカメラ(ソニーのサイバーショット、DSC-W300)であり、十分に絞り込みが出来ず、遠景を鮮明にとらえることができませんでした。残念ですが、見たままをカメラにおさめることができていません。
【大山寺周辺】
(画像1)第4駐車場から、北側にそびえる大山を望む。
(画像2)佐陀川にかかる大山寺橋から、上流を眺める。
【桝水高原】
(画像3)158号線から大山山頂を望む。
(画像4)高原から山腹を眺める。
【奥大山(45号線道中の沢)】
(画像5)一の沢から山側のブナ林を眺める。
(画像6)三の沢から砂防ダムごしに大山を望む。
(画像7)三の沢から谷側を見渡す。
【奥大山(鍵掛峠、45号線路傍)】
(画像8)鍵掛峠から大山を望む。
(画像9)鍵掛峠から山腹を眺める。
【奥大山(45号線道上、江府町)】
(画像10)奥大山スキー場近くから大山を望む。
【東大山大橋(西鴨川にかかる橋:西鴨川は烏ヶ山から流れ出て、野添で泉谷川と合流し小鴨川となる。倉吉で天神川と合流する)】
(画像11)大橋より橋下を眺める。
(画像12)大橋より上流側を見渡す。
パプリカ 野菜栽培
2018 11 01 (art18-0073)
夏野菜の収穫が、キュウリ、トマト、ナス、ピーマンと続きました。最後の野菜はパプリカです。10月に入り、緑色の果皮が変色し、パプリカ独特の鮮やかな赤色や黄色の輝きがでてきました(画像1-3)。さっそく、野菜サラダとして食べました。旨い。辛みがなく、肉厚のパプリカは、色どりだけでなく食感も楽しめます。
パプリカは、辛みがありません。これは、辛み成分のカプサイシンが合成されないためと言われています。カプサイシンの生合成の最終段階は、バニルアミンと脂肪酸の縮合です。この反応に、PUN1遺伝子がコードするアシルトランスフェラーゼ(Acyltransferase)が関与しています(画像4のCS)。パプリカやピーマンでは、このPUN1遺伝子に欠失があり、遺伝子が機能しません。その為、最終段階の縮合反応が起こらず、カプサイシンが合成されません。
凡夫が子供の頃、パプリカを見かけませんでした。最近食べるようになった野菜と思われます。ちょっと来歴を調べてみました。
パプリカは、南米原産で、大航海時代にヨーロッパに搬入され、ハンガリーで栽培された後、近隣国のイタリア、スペイン、オランダに広がる。パプリカの呼び名は、唐辛子全般をさすハンガリー語 paprika から。ちなみに、ピーマンはフランス語 piment から。
日本へは、1993年にオランダから輸入され、2006年には熊本県で栽培され、2010年以降、広島、茨城、宮城の各県で生産されている。現在消費量の90%は輸入品であり、輸入元は、オランダ、ニュージーランド、韓国である。韓国産が、2000年頃から増え続け、2017年には、輸入パプリカの80%を占めている。
畑の、純国産パプリカには、まだ、緑色の果実が沢山ついています。茎葉にも勢いがあります。色がつくのを待って収穫します。画像5の4枚組写真は、10月8日、12日、17日、19日に撮ったものです(画像5)色づき始めてから全体が赤色に変わるのに10日程かかりました。このぶんでは、しばらくの間、収穫の楽しみが続きそうです。
追記:パプリカの色づきは、緑色の光合成色素クロロフィルが減り、代わって、カロテノイドと呼ばれる色素の割合が高くなることによる。カロテノイドには、いろいろな色のものがあり、パプリカには数種のカロテノイドが含まれている。なかでも、赤色カロテノイドのカプサンチン(注:カプサイシンと混同しないように)が多く作られると赤色になり、少ないと黄色になる。
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