今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

【家内の寄稿】
初めての靴とお椀

2019 01 31 (art19-0102)
我が家の二階には納戸があります。使うことはないけれど、捨ててしまうのは…というものなどがしまってあります。誰が何処で使ったのか分からない数台の電気炬燵や火鉢、今は用なしの扇風機、文机や本棚、子どもが描いた絵、などです。先日、探し物をしていて、すっかり忘れていた子どもの小さな靴を見つけました。娘が最初に履いたものでとても小さく、かわいらしい靴です。何でも自分でしないと気がすまない娘は、30分かけて靴を履いていました。そんなことを懐かしく思い出しました。子育てで忍耐を学んだことも。
 
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もう一つはお食い初め膳のお椀です。生後百日目にお赤飯と吸い物、尾頭付きの魚を用意しました。子どもはまだ食べることはできませんが成長と幸福を祈願して ”お食い初め” の儀式をしました。
 
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ブロッコリー

2019 01 28 (art19-0101)
庭の奥に、猫の額ほどの畑があります。納屋の東南側にトタン屋根の小さな物置がありました。昨年の夏、これを取り壊した跡地に土を入れて畑にしました。家内が管理しています。堆肥を入れて土作りに取り組んでいました。

9月になると、家内は3本のブロッコリーの苗を植えました。その後、ブロッコリーは大きく成長しました。しかし、花蕾が小さいままいつまで経っても肥大しないので、家内は気を揉んでいました。また、青虫が発生し、葉を盛んに食べるようになりました。家内は青虫をみつけては踏みつけていました。見落としがあるらしく、葉は穴ぼこだらけになってしまいました (11月中旬)。

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このままでも花蕾は肥大するだろうとは思いましたが、虫食いがひどく、見るに忍びないだろうと、下葉を取り除きすっきりさせることをアドバイスしました。それがよかったのか、花蕾は少しずつ肥大してきました (12月中旬)。

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1月に入ると、随分大きくなった花蕾を前に、「収穫しようか、どうしようか」と言い続けていました。迷いに迷い、家内は一番大きな花蕾をつけたブロッコリーを収穫しました (1月中旬)。

その日の夕食には、家内製ブロッコリーが出てきました。さっと茹でたものです。味は、まあまあでした。

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数日後、近所から “大山ブロッコリー” のおすそわけがありました。さっと茹でたものが食卓に上がりました。こちらの方が、家内製のものより、味がしっかりしていておいしく感じました。家内も同意見でした。売り物は売れるだけのことはあるんだなー、と感心しきりです。

“大山ブロッコリー” は、大山山麓の黒ぼく土壌で栽培されています。この土壌は、とてもやわらかく有機物を多く含むので、高品質でおいしいブロッコリーが育つそうです。新鮮さを裏付けるため「葉付きのブロッコリー」として出荷されているとか。

昨年末(平成30年12月27日)、“大山ブロッコリー” に "GIマーク" が付きました。これは真正な地理的表示産品であることを証するマークです。GI は Geographical Indications の略です。鳥取県では他に、"こおげ花御所柿"(八頭町)と "鳥取砂丘らっきょう/ふくべ砂丘らっきょう" (鳥取市福部町)が登録されています。

大学受験

2019 01 24 (art19-0100)
20日、入試センター試験が大きな混乱もなく終わったようです。53万の受験生が、緊張の二日間を過ごしたのでしょう。毎年、この時期には寒波が襲来し、寒い中、受験生が試験会場へ向かう姿がTVで放映されます。今年は、天気に恵まれたようで、そのような姿をみていません。

その時は一大事であったことが、あとから思い起こせば、笑って話せるような事柄になっていることがあります。凡夫にも、この種の出来事が幾つかあります。大学受験もその一つです。受験のため福岡へ行きましたが、それは道中に起こりました。

凡夫は米子高専の4年生の夏にちょっとしたことから退学することになりました(このいきさつは結構面白いのですが、割愛)。家に帰って、しばらく、ぶらぶらしていました。しかし、何もすることがないので、翌年の大学入学試験を受けることにして、とりあえず受験勉強を始めました。高専は5年間ですが、当時、3年以上在籍すれば、高校教育を修了した者とみなされ、大学入学資格が与えられました。

当時、1973年 (昭和48年)、大学受験は一回の学力試験で合否が決まりました。数年後の1979年 (昭和54年) に共通1次学力試験が導入され、2次試験との組み合わせで合否が判定されようになりました。そして、大学入試センター試験が、1990年 (平成2年) から採用され、現在に至っています。

大学は一期校と二期校に分かれ、一期校の試験は3月3・4日に実施され、5教科7科目の記述式筆記試験でした。試験の情報は、大学受験の専門雑誌の “蛍雪時代” から読み取りました。

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3月2日の夕方。米子駅21:40発の寝台急行列車“さんべ3号”(米子駅-博多駅間を山陰本線・美祢線経由で結ぶ)に乗る為、姉の運転する軽自動車で最寄りの倉吉駅へ向かいました。倉吉駅から米子行の普通列車に乗るつもりでした。しかし、倉吉駅に着いた時には、乗車予定の列車は既に発車していました。この乗り遅れがどうして起こったのか、凡夫も姉も覚えていません。おそらく列車の発車時刻を間違えたのだろうと推測しています。

次の列車で米子駅へ向かったのでは、“さんべ3号” の発車に間に合わず、翌日3日の試験を受けることができません。数日前からの降雪で道路状態は悪く、しかも、その日も雪が降っていました。姉は、「この自動車を運転しで、米子駅まで行く自信がない」と言います。どうしようかと話し合っている間に時間が経っていきました。時間的にもう無理かなと思いながら、駅前のタクシーの運転手に事情を話してみました。幸いなことに、その一人が「何とかしよう」と米子駅行を引き受けてくれました。姉の心配顔を後に、タクシーは出発しました。雪の中、走ること、走ること。運転手の問いかけに応答していましたが、そのうち話すこともなくなり、静かになりました。暗い後部座席で車の走行だけを感じていました。
1時間程して、「間に合いそうですよ」と運転手さんが声を掛けてくれたときは、ほっとしました。どうにか、“さんべ3号” に乗ることができました。

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翌朝7:30過ぎに"さんべ3号" は博多駅に到着しました。そこから大学の試験会場へ路面電車で移動し、一日目の最初の教科国語の試験に臨みました。寝台列車に揺られたせいか、頭がぼーとしていました。

一日目の試験を終えました。その日の宿を千代町あたりで探し、何とか見つけた小さな宿屋に泊まりました。凡夫と同じように、遠方から出て来たと思われる受験生が、何人か同宿していました。翌日、二日目の試験を受けました。

大学入試の季節になると、この “乗り遅れ事件” を思い出します。その度に、タクシーの運転手への感謝の念に堪えません。もし、あの時、間に合わなかったら、と考えると、その後の人生が、随分違ったものになったであろうと思います。人生の進路などと言うものは、ほんのちょっとしたことで左右されるものなのでしょう。

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ドローン

2019 01 21 (art19-0099)
ドローンを操縦する機会がありました。と言っても、おもちゃの ”トイドローン" ですが。

知り合いが、ドローンを子供達にプレゼントしようと、通販で取り寄せたところ、添付の説明書が英語と中国語で書かれていたそうです。「英語力に自信がないので、説明書を読んで飛ばし方を教えてくれないか」と頼まれました。ドローン自体に興味をもっていたこともあり、引き受けることにしました。しばらく手元において、ドローンに触れることができました。

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知人から預かったドローンは、HyperTech社の “Drone X Pro” です。(小さなドローンで、DJI社の ”Mavic Pro” と外観がそっくりです。またEachine社の "E58" と同じドローンのようです)。プロペラを広げると 24x24cm、折りたたむと 7x13 cmのサイズです。バッテリーを装着した本体の重さは97g。軽量ですが、720P空撮用カメラを搭載しています。

200g以下のドローンは、航空法の飛行制限を受けません。一部飛ばせない場所(航空機の飛行に影響を与える恐れのある空域や、人が集まる催し場の上空など)がありますが、それ以外の場所では自由に飛ばせます。

ドローンは無人航空機を指します。英語のDroneは、名詞の “雄バチ”、自動詞の “ブーンという音を出す” という意味だそうです。よく見かけるドローンは、プロペラが4枚の回転翼機で、クアッドコプター(Quadcopter) ドローンと呼ばれています。
ドローンも、ヘリコプター同様にプロペラを回転させて揚力を得て飛行します。しかし、ドローンにはいくつかの工夫があります。4枚のプロペラを前後左右対称に配置することで、機体の飛行を安定にしていること。また、隣り合うプロペラの回転方向を逆向きにすることで、機体の回転を防いでいること。4枚のプロペラの回転数を個別に変えることで、機体をどの方向にも傾ける(傾いた方向へ飛行します)ことができること、また、左右どちら廻りの回転もできること。こうして、ドローンは、4枚のプロペラの回転数を変更するだけで、上下・前後・左右のどの方向への飛行、そして回転も、自在にできます。

実際、ドローンはどの方向にも飛びました。
”はわいゆ~たうん” 前のふれあい広場で飛ばしてみました。

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プロポコントローラーの扱いは初心者ですが、数回の試行でなんとか操縦できるようになりました。ボタン一つで、自動離陸と自動着陸ができます。飛行が安定していますから、初心者でも操縦は簡単です。しかし、機体が軽い為、風の影響をもろに受けます。ホバリングで空中の一点に留めることが容易ではありません。無風に近い室内で、トリム調整を行っても動きを止めることができませんでした。このドローンにはGPSやVPSがついていませんから、機能的に無理なのかもしれません。

ドローンの楽しみ方の一つに、空撮があります。このドローンにはカメラがついていますから、カメラで撮った映像をWiFiでスマホに飛ばして、モニターできるのですが、残念ながら、凡夫はスマホをもっていません。ただ、カメラにはジンバルがついていませんので、映像に振動が入ると思われます。ぶれない動画はちょっと無理かも。でも、静止画の撮影には使えるでしょう。

まあまあ、トイドローンですから、あれこれ言わず、そこそこ楽しめればそれでよしとすべきでしょう。

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テッポウムシ

2019 01 17 (art19-0098)
畑の中ほどに、プルーンの木が2本植わっています。10年程前、横浜から帰省した時に、ホームセンターで購入した苗木を定植しました。大きくなるがままに育ち、随分、縦に伸びた樹形になっています。枝が込み合っていましたので、剪定を試みました。剪定は、今年の結果枝を確保し次年の結果枝が育つように、そして、適度な隙間を設けて生育を促すように、枝を切断することと理解しています。未経験の剪定作業ですが、そうなるように枝を払ったつもりです。しかし、そうなっているかどうかは、開花・結実する季節になるまでわかりません。

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枝を剪定鋏で切っていると、切断面の中央に穴があいている枝が見うけられます。その枝を根元に向かって少しずつ切っていくと、切断面の中心が黄色になることがあります。芋虫状の幼虫を輪切りにしているようです。これは、カミキリムシの幼虫で、“テッポウムシ”(鉄砲虫)と呼ばれています。中には、小さな枝から太い枝に入り込んでいるテッポウムシも見られます。

カミキリムシは、枝に傷をつけて産卵します。孵化した幼虫は、木部を食べて成長します。トンネル状に食い荒らします。1-2年後、成長した幼虫は、トンネルの中で蛹になります。5~6月頃、羽化した成虫は、木部を齧って外に出てきます。

テッポウムシが棲みついた枝は、いずれは、勢いがなくなり、枯れていきます。枝の中ほどに、おがくず状の虫糞とヤニが付いていることがありますが、これは、ぼぼ、テッポウムシの仕業です。
プルーンの木、長い間、ほったらかしでしたから、テッポウムシによってあけられた穴が、随所に見られます。花を付け、実を結んでくれるのかと心配になります。

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とんど祭

2019 01 14 (art19-0097)
とんど祭は、正月に門松やしめ飾りなどで迎えた歳神様を、正月道具、去年の破魔矢や神札などを燃やして見送る祭事です。旧年の氏神様の御守護に感謝し、新年の無病息災、家内安全を願うものです。

今年の上浅津区のとんど祭は、13日、午後1:30より、農事集会所前のふれあい広場で斎行されました。広場の中央に敷かれたビニールシートの上で、宮本神社の神主さんが神事を執り行いました。天気に恵まれたこともあり、地元の参列者が、多数、遠巻きにシートを取り囲んでいました。

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神事の進行は、区の神社総代が勤めていました。神主さんによるお祓い、そして、お供え物や玉串の奉納。玉串奉奠は、神主さん、正副区長および役員と続き、それに合わせて地元の参列者一同も礼拝しました。神主さんの祝詞奏上で神様へのお願い事が申し上げられました。そして、奉納物が下げられ、祭壇やシートが片付けられました。正月のしめ飾りや古い神札が積み上げられた小山に点火。参列者が取り巻く中、大きな煙が立ち上がり、やがて、大きな炎となりました。参列者には、お神酒がふるまわれ、ミカンが配られました。炎は、2時間後には、下火になりました。参列者は、炎火を見守った後、三々五々家路につきました。

凡夫は、役員の一人として参列しました。初めてのことでもあり、貴重な体験となりました。

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【家内の寄稿】
友の会 年明けの最寄会

2019 01 10 (art19-0096)
2019年が始まりました。会員の家に集まり最寄会をひらきました。テーマは、年間の生活費の見直しです。昨年の純生活費の予算・決算と今年の予算を費目別一か月平均で表し、両者を見合いました。私たちが使っている婦人之友社の家計簿は一年の基本的な生活費に家族の予定を加えて予算を決めます。

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(Hさん) 昨年も予算を守ることができた。12月末には電卓を持って使えるお金を考えながら買い物をしたこともあった。好きな海外旅行は行くのが少ししんどくなったが、今年も行きたいので娯楽費を多くした。
(Yさん) 昨年は、子どもたちの結婚や出産があり、特別費が多かった。今年も出産予定があり、特別費の予算を慎重に考えた。
(Tさん) 昨年は、家の耐震工事の予算より工事費が少し多くかかった。今年は動けるうちに旅行を楽しみたいと娯楽費の予算が多くなった。
(Nさん) 昨年は、予算を初めて立てたので予算をまもれる費目が少なかった。今年は車の買い替えの予算を立てた。
(Kさん) 築50年の家の修理をしたので住居費が予算をオーバーした。医療費が少なく、健康で過ごせたことに感謝。

【持ち寄り昼食会】
たくさんのおかずが並び贅沢な昼食となりました。

ゆず大根   茎わかめの煮物
鶏ひき団子  豆腐入り卵焼き
鰤の味噌漬け ソーセージのパイ巻き
ふろふき大根とゆず味噌
鶏肉とじゃがいものクリーム煮
ブロッコリーのクルミ味噌和え
大根の漬物 蕪の塩漬け たくあん
のっぺい汁 ごはん

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松葉ガニ

2019 01 07 (art19-0095)
毎年、正月の食卓には、ブリと白イカの刺身とカニが並びます。県下の漁港に水揚げされたものです。

鳥取県には多くの漁港があります。主な漁港は、泊漁港(湯梨浜町)、網代漁港(岩美町)、堺漁港(境港市)です。特に、堺漁港は、特定第3種に指定されている全国13漁港の一つで、水揚高は年間13万トンです(全国5位、2017年)。そこから水揚げされた魚介が、このあたりにも出回ります。種類が豊富で、しかも、安価です。この時期は、ブリ・ハマチと白イカ(ケンサキイカ)、そして、松葉ガニ(山陰地方で水揚げされるズワイガニ)がおいしくなります。

我が家では、茹でた松葉ガニを食べてきました。しかし、今年は、生の松葉ガニを食べる機会がありました。息子が、隠岐松葉ガニを生きたまま自宅に届くように手配してくれました。堺漁港から配送された発砲スチロールの箱を開けると、大きなカニが3匹入っていました。長い足が動いています。足には、”JFしまね浦郷支所―常盤丸” と表記されたタグが付いています。このカニは、"常盤丸"(隠岐松葉ガニ船団に属する9隻の漁船の一つ)が、カニ篭漁と呼ばれる漁法で捕獲した松葉ガニです。この漁法による捕獲カニは、傷みがすくなく、生きがよいそうです。

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家内と娘が、パンフレットの「生カニのさばき方」を参照して、とりあえず、一匹さばいてくれました。早速、足を手に取って、身を殻から剥がそうとしたのですが、うまくいきません。凡夫同様、皆、悪戦苦闘しています。なんとか剥ぎ取って食ましたが、それに見合う美味しさがありません。「こりゃいかん、茹でて、食べよう」と意見したところ、一同、食べることを中止し、カニの茹作業に移りました。

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茹で上がった松葉ガニを味わい、白イカとハマチの刺身、そして、自家製おせち料理をつまみながら、息子が持帰った新潟の酒、“久保田” を飲みました。凡夫にとっては、久しぶりの酒でしたが、いいものです。“久保田”は、学生の頃(酒の飲み過ぎも一役かって、十二指腸潰瘍になりました)、“越乃寒梅”と並んで、よく耳にしましたが、飲んだのは今回が初めてです。口当たりが柔らかく、味も癖のないものでした。いつの日か、“越乃寒梅”も、味わってみたいものです。

結局、刺身の松葉ガニを味わう好機を逃しました。また、いつの日か、食べ方(あるとすれば、殻から身を剥がす “こつ” も)を学び、再トライしたいと思います。

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コナン空港

2019 01 04 (art19-0094)
正月三が日が終わりました。子供達が遠方から来てくれて、今年も家族全員で過ごすことができました。

3日、子供を見送る為、鳥取空港へ出かけました。冬の日本海の荒波を左手に、海岸沿いの国道9号線を東に走ること、40分。途中、サーフィンに興じている人影を、波の合間に見ました。寒くないのかな、と家内。

鳥取空港、今は、"鳥取砂丘コナン空港" との愛称で呼ばれているようです(2015年から)。随分、凡夫の知っている空港と様変わりしていました。父が、そして母が亡くなるまで、年に2度、子供を連れて横浜から帰省していました。当初は車で帰省していましたが、体力に不安を感じてから、飛行機に替えました。その頃の空港ターミナルビルは、国内線用の建物と国際線用の建物が2階の狭い通路でのみつながっていました。国内線の旅客ターミナルは、いかにも、地方の空港と言った様相で、小さな土産店が狭いフロアの一角を占め、駅前にあるような食堂がセキュリティゲート先の待合室の片隅にありました。国際線のビルは、人影もなく、いつも森閑としていました。

現在の空港ターミナル(2018年7月にリニューアル)は驚きです。二つの建物が各階でつながり、一体となり、ひろびろとした空間を構成しています。その中に、複数の土産店、レストラン、カフェが配置されていました。ゆったりとした空港への変貌です。

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コナン空港らしく、“名探偵コナン” 関連の展示品が随所にみられました。名探偵コナンの作者 “青山剛昌” は、北栄町(湯梨浜町の西隣、ちなみに鳥取空港は東側にあります)の出身で、鳥取空港からは、随分離れていますから、鳥取空港をコナンと結びつけるにはちょっと無理があります。しかし、県のもう一つの空港、米子空港(美保飛行場の通称)が、ゲゲゲの鬼太郎の作者 “水木しげる” の出身地である境港市に近く、”米子鬼太郎空港” と愛称で呼ばれていることに対抗するには、ちょっと遠くのコナンをもってこざるをえなかったのでしょう。

なにはともあれ、コナンファンならずとも、空港来訪者には歓迎すべき “コナン” です。「喫茶アポロ」「コナン探偵社」で、コナンのキャラクターに会えますし、グッズも入手できます。また、「コナンホール」では、トリックアートを楽しむことができます。

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