ダイコンの収穫
2018 12 28 (art18-0093)
ダイコンを収穫しました。なかなかの出来です。
早速、家内が煮物にしてくれました。なかなかの食味です。当分の間、自家製ダイコンを味わうことができます。
今年の 9月12日、トマト栽培終了後の畝を堀起こし、堆肥を元肥として下部に施し、配合肥料と石灰を混ぜた土で覆った後、畝を立て直しました。ホームセンターで購入したダイコンの種を3粒ずつ播きました。10月、幼苗の葉に虫食いが見られましたので、殺虫剤を軽く散布しました。その後、今日まで、間引き作業以外、何もしていません。手のかからない野菜でした。
ダイコンは ”大根” と書きますから、根部を食べていると思いがちですが、実は、茎部と根部を食べています。ダイコンをよく見ると、葉の付いていた上の方が緑がかっています。この部分は根ではなく茎です。緑色は葉緑素の色です。根は、下の白い部分で、ここにはひげ状の細根(側根と言います。これは、本体の主根に対する呼称です)が付いています。
ダイコンの上方の、緑がかった、ひげ状の側根の付いていない部分は茎です。これは、“胚軸” が成長肥大したものです。
ダイコンの種子は“無胚乳種子”です。種子の熟す過程で胚乳の養分が子葉に吸収され、種子が完熟するころには、胚乳は消失し、子葉が種子の大部を占めています。2枚の大きな子葉の間に幼芽があります。子葉と幼芽は胚軸の上端に付き、胚軸の下端には幼根が付いています。胚軸は幼根と幼芽の間にあり、両者をつないでいます。胚軸は茎になります。
種子を土に播くと、2,3日で発芽し、子葉が頭を出します。数日すると、子葉が立ち上がってきます。これは胚軸が伸長しているからです。さらに数日すると胚軸の先端についていた幼芽が成長します。下の画像では、土から伸びた胚軸の先端に、2枚のハート形の子葉と幼芽から成長した小さな葉が付いています。この胚軸が、土中の根と共に肥大し、ダイコンになります。
胚軸が過剰に伸長すると、緑がかった部分(茎部)が長くなります。これは ”青首ダイコン” と呼ばれています。反対に、胚軸が伸長しないダイコンは、緑がかった部分(茎部)が殆ど見られず、全体が白色になります。これは ”白首ダイコン” と呼ばれています。”首” は、ダイコンの上端、葉に近い部分をさします。
砂の美術館
2018 12 25 (art18-0092)
この数日、ぐずついた天気が続きましたが、晴れ間が覗きましたので、鳥取砂丘と砂の彫刻を見に、家内と出かけました。
砂の美術館で、砂像をみました。
第11期の展示テーマは「砂で世界旅行・北欧編」、期間は2018年4月14日~2019年1月6日。茶園克彦氏の総合プロデュースのもと、22作品が製作され展示されています。9ヵ国から19名の砂像彫刻家が参加したそうです。
実にみごとです。中には、ちょっとなー、と言いたくなる作品もありましたが。細かい造形をみていると、これが砂でできているとは思えなくなります。これらの砂像には、糊のような接着剤は使用せず、砂と水だけで作製されたと聞いています。展示は今年の4月から始まっていますから、既に、9ヵ月経っています。
壊れないようにする工夫があるのでしょう。工夫の一つは砂。砂は砂丘の砂ですが、観光地の砂ではなく、周辺の砂を使っているそうです。この砂は、きめが細かく、固まりやすい性質があるとのことです。また、特別な砂像用施設もその一つです。砂像の展示専用に建築されたそうです。この施設内の砂像は、風雨から遮断され、温湿が調整されていますから砂像の形状が保たれますが、屋外の砂像はそうはいきません。表面の風化によるひび割れや崩れが起きます。それを防ぐため、水で溶かした特殊な糊を吹き付けてあるそうです。
一つの作品を紹介します。
「北欧神話より ニーベルングの伝説(1)アイスランド女王への謁見」
顔に表情があります。熟視に耐えます。シモーヌ・ヴェイユの言うところの、”美しいもの” である、かも。
鳥取砂丘
2018 12 24 (art18-0091)
この数日ぐずついた天気が続きましたが、晴れ間がのぞきましたので、鳥取砂丘と砂の彫刻を見に出かけました。
鳥取砂丘、何度も見ていますが、いつ見ても感動します。
NHKのテレビ放送番組、「ブラタモリ」で、鳥取砂丘をとりあげていました。興味深く視聴しました。日本には多数の砂丘があるといえども、これほど起伏に富んだ砂丘は鳥取砂丘の他には見られないそうです。
車を降りて砂丘に足を踏み入れると、ラクダの乗り場があります。ラクダ乗り場は砂の高台にあり、そこから向こう(海に続く北側)に、砂の谷を挟んで砂の山が見えます。この砂の山を馬の背(45mの高さがあり、のぼるのに一苦労します)と呼び、鳥取砂丘は、ラクダの乗り場のある砂の高まりと馬の背の高まりの二つが、近くに並んで存在しています。この二つの高まりがどのようにして形成されたのか、テレビ番組ブラタモリでは、おもしろ、おかしく、解き明かしていました。
鳥取砂丘は、千代川から海へ流れ出た砂が、海からの風で陸に吹き上げられて形成されました。形成された砂丘の砂は、風の吹くままに移動します。風紋は風が描いた砂の模様です。砂の高まり自体も、時間はかかりますが、海からの風で内陸側(南側)に移動します。
しかし、ラクダ乗り場のある砂の高台は移動しないそうです。理由は、火山灰によって覆われている(番組では “パック” されていると表現していました)からだそうです。火山灰は6万年前の大山の大噴火によるもので、火山灰の地層は “大山倉吉軽石層” と呼ばれているそうです。その後(3万年前)、姶良噴火によって鹿児島から飛んで来た火山灰が、砂丘に薄く降り積もったそうです。
この動かない砂の高まりに、もう一つの動く砂の高まりが押し寄せてきて、2つの砂の高まりが、近くに並んで存在することになったとのこと。
起伏を前に立つと、砂丘が迫って来ます。圧倒されます。これが、単なる平坦な砂浜であれば、広いなとは感じるでしょうが、圧倒されることはないでしょう。起伏の有無によって、かなり違った印象を与えます。豊かな起伏が、鳥取砂丘をして、一級の観光地たらしめていると言えます。砂丘リフト乗り場近くの ”砂丘センター見晴らしの丘” の駐車場には、大型観光バスが5台駐車していました。
家内がスタスタ歩いて行きましたので、後ろ姿を追いかけました。時折、強い風に乗って砂が舞い、頬を直撃します。結構、痛いものです。
クリスマス花火
2018 12 22 (art18-0090)
22日の8時過ぎに家を出て、歩いて東郷池へ向かい、打ち上げ花火をみました。花火は池畔の浅津公園の一角から打ち上げられました。凡夫らは、温泉施設 “ハワイゆ~たうん (art18-0039)” 近くの船着き場からみました。地元の人も多数出て来ていました。
この花火は、はわい温泉・東郷温泉旅館組合が主催し、毎年、クリスマス前(今年は22日と23日)に打ち上げているそうです。2011年から始まり今年で8回目だそうです。温泉旅館の客寄せに一役買っているようで、「温泉+クリスマス」の宿泊プランに「花火」が加わり、「温泉+花火+クリスマス」となっているとか。
花火の打ち上げ数は500発程度で、時間にして15分でした。短いものでしたが、クリスマスにちなんだ形状の花火もあり、観客から歓声が上がっていました。ちょっと寒かったのですが、うれしいプレゼントでした。
【家内の寄稿】
最寄会(友の会)の昼食 弁当
2018 12 20 (art18-0089)
月に何度か、最寄会(友の会の鳥取県中部北側地域の集まり)を開催しています。昼食は各自持参した弁当を、あれこれと話し合いながら食べています。先日の最寄会、ここに3人の弁当を紹介します。
Hさんの弁当
いくら、ほうれん草、卵の3色ご飯。
野菜の煮物 ひじきとえのきの煮物 野菜の甘酢。
[海藻を取りたいので、ひじきの煮物をよく作るとのこと。ひじきと一緒に煮るものを変えたり、ひじきの煮物をご飯に混ぜたり卵焼きに入れるなど、いろいろ工夫しているそうです]
Yさんの弁当
赤米入りご飯。
鮭、卵焼き、ブロッコリー、カリフラワー、マカロニサラダ、野菜の甘酢。
[なるべくたくさんの野菜を入れるように工夫しているそうです]
私の弁当
半分は炊き込みご飯、半分は白ごはん。
筑前煮 ほうれん草の海苔巻 茹で卵。
[朝は時間がないので、前日の夕食のおかずを入れています。残り物なので、色どりに気を使っています]
汁物はネギと椎茸、鶏肉のだしがよく出ていておいしかったです。体があったまりました。
畑の様子
2018 12 17 (art18-0088)
画像は、今の畑の様子です。
夏野菜(トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、パプリカ)の栽培がほぼ終了しました。予想以上に、沢山の野菜が育ち、もぎたての新鮮な野菜を味わうことができました。
茎葉に勢いがなくなり、実つきが悪くなってきた野菜から順に (キュウリ(4株)、トマト (8)、ナス (4)、ピーマン (4))、 根を掘り起こして株を片付けました。現在、パプリカの4株が残っています。パプリカは、この寒さの中でも成長しています。
トマトとキュウリを片付けた跡地に、冬野菜のダイコンとホウレンソウを栽培しています。どちらもホームセンターで購入した種から育てたものです。9月12/18日に種を播きました。大きく成長しました。ホウレンソウは、既に、何度か、食卓に上がっています。ダイコンはこれからです。
ホウレンソウは、葉柄が長くなってしまいました。これは、栽培密度を高くしたためと思われます。葉身と葉柄の糖濃度は同じですが、ビタミン類は葉身の方が多く含まれていると言われています。栄養価的には ”今一” かもしれませんが、家内共々、おいしくいただいています。
夏野菜の栽培は、春先、畑の一角にスペース(4m x 3m, 12平米)を確保し、3本の畝を立てて行いました。ままごとのような家庭菜園でしたが、結構手間が掛かり、時間を取られることがわかりました。初めての野菜栽培でしたので、手を抜くことができなかったこともありますが。それにしても、病害虫、特に、虫には悩まされました。いろいろな虫が発生し、食害します。殺虫剤を使えば簡単ですが、食用ですから、できるだけ農薬を使わないように努めました。無農薬栽培、「言うは易く行うは難し」です。出来ないことはありませんが、その分、大変です。
たくさんの虫を殺しました。最初、ためらいがちだった家内は、しばらくすると、見つけては、素早く捕まえて、靴底で踏みつけるようになりました。凡夫は、虫を指先でつまみ、そのまま、つぶすことができるようになりました。そのつど、虫も、生き物だなあ、と感じています。
カンボケ(寒木瓜)
2018 12 13 (art18-0087)
夜中に雪が降ったようです。池の向こうの山が、薄く雪をまといました。公園の芝生には、白い絨毯が敷かれ、池からあがった数匹の鴨がうろついていました。近づくと、急いで池に飛び込みます。(画像1、2)
曇のかかった寒空の下、庭のボケの花が咲いていました。薄い桃色の可憐な花です。花色は、日がたつにつれ濃くなりました。(画像3、その10日後、画像4)
ボケは春(3-4月)に咲く花として知られていますが、冬に咲くボケもあります。同じ仲間ですが、こちらのボケを、カンボケ(寒木瓜)と呼んでいます。
ボケは、瓜のような形と色をした実をつけます。この実は、木になる瓜で、「木瓜」と書き、モッコウからモッケ、モケと呼び方が変化し、今日の、ボケと転訛したそうです。(画像5、生育中の実)
浅津小唄
2018 12 10 (art18-0086)
はわい温泉には、現在、12軒の旅館があります。旅館街は東郷池に浮かんでいるように見えます。千年亭(旧日進館)、望湖楼、東郷館、睦荘、ニュー高橋、ゆの宿彩香(旧浅津苑)、翠泉、羽衣、旅館水郷、民宿鯉の湯、別館湯乃島。
先日、家内と一緒に、下(しも、下浅津の下)の叔父さん(亡母の弟で90歳)を訪ねました。叔母さん(89歳)ともに元気でした。
叔父さんは、訪ねるたびに、いろいろな話を聞かせてくれます。その日は、「浅津小唄を知っているか」と言い、凡夫が古い記憶を呼び起こそうとしている間に、ギッコラセー、ギッコラセーと節をつけて、歌い始めました。「東郷浅津はよ~、いで湯~の~名所、雪のし~らはぎ、湯~がに~おう~よ」と。
幼少の頃、聞いたことがある歌でした。おそらく、ここ、叔父さんの家で聞いたのでしょう。正月とお盆に、母に連れられて叔父さんの家に行くと、叔父さんの兄弟姉妹が集まっています。和気あいあいとした酒宴で、頃合いになると、誰彼となく、歌っていました。叔父さんの兄弟は芸達著で尺八を上手に吹く人もいます。いろいろな歌を聴きました。母の歌をきいたのも、ここの席でした。
叔父さんは、ゆっくりと浅津小唄を歌い終わると、「お前の家の隣、北村の一義さんが上手だった。三味線を弾きながら、いろいろな所で、歌っていた」と付言しました。
帰宅後、浅津小唄を調べてみました。ちょっと、興味深い資料(湯梨浜町ゆりはま資料室在)がありましたので、ここに抜粋します。
浅津小唄は、昭和9年に生まれた。当時、浅津温泉(はわい温泉の旧名称)には、4軒の旅館(山陰ホテル、日進館、望湖楼、日の出館)があった。温泉地としての知名度は低く、知名度を上げる方策として、小唄か音頭をつくることになった。山陰ホテルの中島守次が歌詞を書き、下浅津の尾崎茂が曲をつけて、浅津小唄が出来上がった。
浅津小唄を温泉地の小唄として広く親しまれるように、北村一義さんを含む数名の人が集まり、三味線や琴の伴奏に合わせて唄い易いようにした(正調浅津小唄)。さらに、北村一義さんのグループは、浅津小唄を、いろいろな場所で披露し広めていった。
昭和9年9月8日、浅津小唄が、松江ラジオ放送の電波に乗った。出演者は、北村一義(琴)、市橋毅(三味線)、中本光輝(尺八)、市橋芳子、大久保美恵子、梅家小町(唄)。
昭和12年12月14日、鳥取放送局の開局記念の席上で、浅津小唄が披露された。この頃はまだ、ラジオの普及率が低く、浅津では大前酒店に一台あった。しかし、放送局の電波に合わすダイヤル操作にてこずり、小唄の最後の部分が少し聞こえただけであったと言うことである。
戦後、浅津小唄に振付けがつき、公民館で踊りの練習会が催されるなどの活動を通して、唄と踊りが、広く親しまれるようになった。
マンホールの蓋
2018 12 06 (art18-0085)
朝方、家内と凡夫はジョギングをしています。コースと距離は違います。家内は、池畔の公園を右廻りに走り、適当なところで折り返しています。折り返し点を徐々に伸ばしています(art18-0081)。凡夫は、公園道路を左廻りに走り、はわい温泉宿で折り返しています。走る距離は家内の半分です。
凡夫は左手に東郷池を見ながらゆっくり走りますが、視線を下方に落とすと、温泉宿らしいマンホール(ハンドホール)の蓋が目に入ります。
マンホール(manhole)は、地下の下水道や暗渠の点検・修理・清掃などを行う為、作業員が地上から出入りできるように地面に開けられた縦穴だそうです。小さくて人が出入りできないものは、ハンドホール (handhole) と呼ぶそうです。
世の中にはいろいろな人がいるもので、全国のマンホールを探索し、その蓋を写真に撮っている人も、その一人です。1,741市町村を探索し、10,547の写真をWeb上に公開しています
(全国マンホール写真集)。
そこには鳥取県のマンホールの蓋も紹介されています。87枚の蓋の写真が掲載されています。そのうち、旧羽合町(合併前の町名で、今は湯梨浜町)の写真は4枚です。
蓋の写真をとるだけでなく、蓋を収集している人もいるようです。日経新聞 (2017年11月7日付) によると、前橋市が使わなくなったマンホールの蓋 (直径60cm、重さ40kgの鉄製) を1枚3千円で販売すると公表したところ、申込者が殺到したそうです。一番人気の蓋は40倍超の倍率。抽選に当たった人は、各自、車に積んで持ち帰ったそうですが、持ち帰ってどうするんでしょうか。
2018年には、秋田市と茅ケ崎市でもマンホールの蓋が販売されたそうです。
マンホールの蓋は、丸形が多用されています。理由はいろいろ考えられますが、円形の特性(はずれた蓋が、穴に落ちない、車のタイヤをいためないこと、また、負荷を均等に分散させるので割れにくいこと)によるものでしょう。
道路脇の排水溝の蓋には、四角形の蓋が使われていました。ちょっとしたデザインがほどこされています。
カモメ
2018 12 03 (art18-0084)
東郷池の上浅津船着き場のすこし沖合に、竹と鉄パイプで組んだ支柱が見えます。生け簀用の支柱です。支柱間に横棒が渡してあり、その横棒に白っぽい鳥が多数止まっていました。よく目にする白鷺ではなさそうです。カメラに収めたのですが、小型の古いカメラなので、鮮明にとれませんでした。
鳥は、カモメと思われます。東郷池でいろいろな鳥を見かけましたが、カモメは初めてです。
湯梨浜町の西側、北栄町との境に、天神川が流れています。三朝町の津黒山を源流とし、倉吉市を通って流れてきます。天神川は、県内を流れる3本の一級河川の一つです。他の2つは、鳥取市を流れる千代川と米子市を流れる日野川です。
天神川は川幅を広げ、日本海に注いでいます。その河口の周辺は、豊かな自然が残り、沢山の鳥が飛来しています。鳥の探鳥地(東郷池も探鳥地です)として知られています。河口には砂州があり、カモ、アジサシ、シギ等に混じって、カモメも羽を休めているそうです。
翌日の東郷池に、カモメの姿はありませんでした。池で見かけたカモメは、天神川河口のカモメが、ちょっと、足をのばして、やって来ていたのかもしれません。その日は、風のない穏やかな朝でしたから。
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