LINEの活用
2026 1 15 (art25-0822)
班の初寄合の合議で、班員への連絡手段として、今年から、ポスト投函や回覧に加えて、LINEを活用することになりました。
班員の多くは高齢者ですが、今日日、スマホは必需品のようで、多くの人がスマホを持っていました。しかし、さすがに、80代の高齢者は不所持です。凡夫は、昨年末に、ガラケーからスマホに買い替えました。長い間使っていたガラケー(NTTドコモ)が今年の3月末で使えなくなるので、早めのスマホへの移行です。
LINEグループを作り、メンバーにちょっとした連絡資料を送ってみたのですが、いとも簡単でした。よくできたアプリです。今まで使っていたe-mailと同じ感覚で送れます。ただ、LINEも画像の他に、Word、Excel、PDFなどをファイルとして送れますが、どちらかと言えば、画像、しかも、その場で写した画像、を送ることに優れたツールのようです。ちょっと写してすぐ送る、です。そのために、高スペックのカメラが付いているのでしょう。
旅先で、あるいは、散歩中、とある場面に感動し、それを誰かと共有しようと、それを写真に撮って相手に送ります。相手は、その写真を見て、おおーと、同じように感動できます。遠く離れた人同士が、その場面を同時刻に共有できるのです。今日、当たり前のことですが、凡夫のような昭和世代には、これは驚愕ものです。そこは言葉のいらない、言葉で表現することが求められない世界ですから。人類の進化に言語獲得、そして言語伝達が大きく関わっていたと思うのですが、今日の、言語からの離脱、そして視覚伝達の先に、人類は何をみることになるのでしょうか。ちょっと、気になります。
それはさておき、現在、班員の半数が、LINEグループに入っています。したがって、半数の班員にはLINEで連絡し、残りの半分には、回覧板を回して連絡しています。LINEの活用が広がり、いつの日か、班の全員にLINEだけで連絡できる日がやってくるのでしょうか。そうなれば、班長は助かります。
とんど祭り
2026 1 12 (art25-0821)
11日、区のとんど祭りに参加しました。あいにく、その日は朝から荒れ模様で、雪が舞っていました。
とんど祭りは、正月飾りを燃やして、年神様にお帰り頂く行事です。また、焚いた火でお餅やミカンを焼いて、食べることで一年の無病息災を祈ります。
例年、祭りはふれあい広場で開催されます。しかし、今年は、悪天候のため、火入れを行う前の五穀豊穣や安全祈願の神事は集会所の片隅で行われました。今年の役員(区長、神社総代、公民館長など)一同が参列し、班長や区民が取り巻くなか、神事が宮本神社の神主さんによって執り行われました。
神事が終わると、会場を外のふれあい広場に移し、区民の見守る中、広場の中央に用意されたやぐらに火が点けられました。やぐらにはお守りや正月飾りが添えれれています。強風に煽られて、炎は一気にひろがり、数分で、燃え尽きました。そして、炎を取り囲んでいた区民に、温州ミカンが配られました。
ところで、今回は班長として、とんど祭りの準備にかかわりましたが、ちょっと複雑な思いが残りました。ふれあい広場の中央にやぐらを組み、周囲の4隅に笹竹をたててしめ縄を張りめぐらせ、紙垂(しで)をかけます。そこが聖域であることを示します。
10時に全員(20名:班長の14名と正副区長、正副神社総代、正副公民館長の6名)が集合して準備作業を行うことになっていましたので、10時前に行くと、作業はすでに始まっていました。風が強く吹雪いていましたから、やぐら組みは午後にまわすと言うことで、作業は、4隅の笹竹立てとしめ縄張りだけでした。2,3人が作業を行い、残りは、取り巻いて立っているだけでした。作業はすぐに終わり、午後1時に再集合と言うことで、解散しました。午後1時前に行くと、すでに、やぐら組み作業は終わっていました。そこで、祭りの開始時刻(1時30分)まで、ぼーっと、待つことになりました。
本『がん消滅の罠、完全寛解の謎』
2026 1 8 (art25-0820)
このところ、ヒッキーです。空模様が安定せず、雨が降ったり止んだりで、終日居室で過ごすことが多くなりました。すこし気温が下がると、雨は霙や雪に変わります。時折の晴れ間にちょっと外出しては、畑をぐるっと見回ってきます。
岩木一麻の「がん消滅の罠、完全寛解の謎」(宝島社、2017刊)を読みました。第15回の “このミステリーがすごい” 大賞を受賞した作品です。
なかなかの力作で、楽しく読めました。著者は現役の医者ではありませんが、国立がん研究センターで研究に従事していたようですから、がんの生物学的記述は確かなものです。また、ストーリーは、癌細胞や組織を研究対象にしていた研究者ならではの着想によるものだと思います。凡夫は製薬会社で癌研究に従事してきましたから、ある程度分かります。
ところで、厚生労働省が所管するPMDA(医薬品医療機器総合機構)の話が出てきます。製薬会社の創薬としてのゴールは、開発薬が認可されて販売されることです。薬の認可(承認)は、厚生労働大臣が行いますが、薬の審査はもっぱらPMDAが担当します。製薬会社は、基礎研究、非臨床試験、臨床試験を行い、有効性と安全性を確認した後、厚生労働省に承認申請を行いますが、それを受けて、PMDAが審査を行います。
申請された開発薬を、承認するか否かの判断は難しいことでしょう。薬は効くことが必須ですが、同時に身体に害を及ぼさないことが求められます。この有効性と安全性は、なかなか両立しません。この辺りに、創薬の難しさと大変さがあります。よく効くので、少しばかり害があってもOKをだすのか、いやいや、よく効いても害があるからNOとするのか、難しい判断です。
特に、抗癌剤などは。適応できる薬がなく、死を待つだけの癌患者は、効くのであれば、多少の害はあっても、使いたいと思うものでしょう。なかには怪しげな薬もどきでも。この辺りのことは、久坂部羊の「悪医」に書かれています。
新薬は安全であると言い切れません。薬の害は、短期間で現れるとは限りませんから。数年後、あるいは、数十年後に現れるかもしれません。申請前の試験で、何十年も安全性試験を行うことはできませんから、安全性の審査は数年間のものになります。
従って、承認/販売される新薬はとりあえず安全であるが、長期の安全性は分からないと言えます。いわば、見切り発車です。しかしながら、長期の安全性は、製造販売後調査でカバーされます。新薬が使われる現場での安全性(有効性も)が継続的に評価されていきます。問題が起これば、承認取り消し、販売中止となります。
この本、終わりに近づくと、話がドタバタしてきて、頂けませんでした。しかし、黒幕が破滅しない終わり方、悪くありません。
班の合併
2026 1 5 (art25-0819)
昨日の区の初総会で、我が3班は2班と合併することが報告されました。3班は、8軒の少人数班で、高齢かつ独居が多く、先々が不安と言うことで、隣接している2班との合併が検討されていました。そして、今年より合併班、24軒63人の班、としてスタートすることになりました。
こうした班の合併は、今後も起こるでしょう。一人暮らしの高齢者が多く、ほとんどの家は、いつか住む人がいなくなります。今でも、空き家や更地が随所にあります。
ただ、面白いことに、村落の中心部では空き家が増えていますが、集落の周辺部では新しい家が建っています。そこの住人は、中心部の家から出ていった子供達や他所から移ってきた人達です。多くは、小さな子供連れです。
集落は縮小することなく広がっています。しかし、中心部が希薄に、あるいは、ぽっかり空いたドーナツのようです。いつの日か、中心部は、住人の憩いの広場になるのでしょうか。
今年は、新2班の班長です。班長は当番制で、たまたま、今年、その順番が回ってきました。さっそく、班の初寄合を行いました。そこでの大仕事は、集金でした。班が大所帯になると、その都度、各家を回って集金するのは大変ですから、一年分を前納金として一括集金しました。班費、区費、神社関連費、募金などですが、一年分となると、結構な金額(17,000円)です。今年から、区費が2,000円上がって、10,000円になりました。
このご時世、できるだけ、出費はおさえたいものです。特に年金暮らしの人には切実です。年金額はそうそう増えていきませんから。 新年早々の集金、恐縮至極でした。
ところで、今年から、連絡手段としてLINEを導入することになりました。ほとんどの班員が、スマホを持っています。遅ればせながら、凡夫も、最近スマホデビューしました。ただ、LINEソフトの使用に不慣れですから、LINEの達人?が、班員のグループを作成しました。さっそく、グループに連絡を入れてみると、短時間で既読数が上がっていき、連絡がつぎつぎと読まれていることが分かります。便利なツールだなーと感じました。
グループの連絡手段として、LINEは広く使われているようですから、使い勝手がよいのでしょう。他の班でもLINEは活用されていきそうです。こうした連絡網があれば、連絡資料のポスト投函や、連絡板の回覧が不要になります。
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謹賀新年
2026 1 1 (art25-0818)
あけましておめでとうございます。
今朝、8時過ぎに起床しました。みぞれが降っていたのですが、今は、あがっています。昨夜は、紅白歌合戦の前半、Vaundyまで、をみて、風呂に入りました。1時間ほど寝床で本を読みました。普段通りの就眠でしたが、起床がちょっと遅くなりました。紅白歌合戦の見疲れでしょうか。めまぐりしく人が入れ替わり、同じような歌曲とダンスがつづいて、年寄りには、見ているだけでつかれます。
ブログ、2018年から書いていますから、ずいぶん長くなります。今年も、ボケ防止と、日々の区切りのために、書き続けようと思います。
ダイコンの収穫
2025 12 29 (art25-0817)
冬はダイコンです。
畑のダイコン、収穫して食べました。先日の降雪で、ダイコンは先端の葉を残して、雪に埋まっています。雪をはらい、畝端の2本を引き抜きました。大きく育っています。
寒い冬は、ダイコンの煮付けを食べたくなります。今年のダイコン、味もなかなかでした。2列の畝に作っていますから、これから、しばらくの間、畑のダイコンを食べることができます。
さて、2025年も、明日と明後日で終わりです。
今年は、特に大事もなく、平穏無事に過ごせたと言えそうです。この歳になると、つつがなく、が一番です。
ただ、家屋の経年劣化対応として、トイレの交換と風呂場の水道管の修理を行いました。トイレや風呂が使えないと、いかに難儀をすることになるか身をもって知りました。迅速に対応してくれた業者には感謝しかありません。
家庭菜園として、小さな畑で幾種かの果樹を育てていますが、今年は、いずれの木も、沢山の果実をつけてくれました。ウメに始まり、イチジク、プルーン、ポポー、カキ、温州ミカンと続きました。今は、キンカン(普通のキンカンと大実キンカン)の木が果実を付けています。
果樹栽培の面白さ、いくらか分かってきました。果樹の苗木を畑に植えて、栽培を始めた頃、果樹栽培人のKさんが、果樹は面白いでしょうと言っていました。その時は、何を言っているんだい、と思いましたが、今は、分かります。野菜栽培も面白いのですが、果樹栽培には野菜栽培では味わえない面白さがあります。ちなみに、Kさんも、定年退職後に、畑を手に入れて、主に桃の栽培を始めた人です。
積雪
2025 12 26 (art25-0816)
昨日の天気予報は、強い冬型の気圧配置の影響で大荒れの天気となり、中国地方でも、多い所では50cmほどの降雪があるだろうと、伝えていました。
夕方からポツリポツリと雨となり、就寝前には、外気温が下がったようで、バリバリと音をたてて雪あられが降ってきました。夜半には、強い風の音が聞こえました。
今朝、窓越しの外がやけに明るく、窓を開けると一面雪でした。雪は、水気の多い湿雪で、庭の低木に覆いかぶさっています。庭木の細枝は倒れかかりながらもなんとか重さに耐えています。外に出て、庭木に積もった雪を払うと、傾倒していた枝は立ち上がってきます。一仕事を終えて、朝食を取りました。
庭木はかなりの年数がたって、弱っていますから、こうした作業は必要です。作業するこちらも年寄りですから、これも一種の老老ケアでしょうか。この冬、何回行うことになることやら。
家前の道路にも雪は積もります。早朝から、既に車が通ったのでしょう、深い溝ができています。除雪車の運行、どうなっているのやな。今回は湿雪なので、すぐ溶けるとみているのでしょうか。
幸いなことに、数日前に、小中生は冬休みに入っていますから、雪道を歩いて(あるいは自転車で)通学する難儀はなさそうです。今日は、外に出ずに、屋内で過ごすのでしょうか。
本「人生しょせん運不運」
2025 12 22 (art25-0815)
古山高麗雄の「人生しょせん運不運」(草思社、2004年刊)を読みました。この作品は、幼児から戦争体験を経て戦後までの記憶をたどろうとの構想で、2001年6月から始まった雑誌の連載記事だったようですが、著者が急逝したため、それまでの記事をまとめて一冊の本にしたものです。したがって、回顧録は中途、軍に招集される前までになります。
著者は、1920年(大正9年)8月に朝鮮新義州で生まれています。1942年の秋、21歳で入隊していますから、幼児から21歳までの回顧です。凡夫の父も、1920年生まれです。そして、1941年に入隊しています。1月生まれですから、21歳での入隊です。さらに、著者は2002年3月に、81歳で死去しています。凡夫の父は、2000年1月に亡くなっています。80歳になったばかりでした。著者と父は同じ時代に、ほぼ同じ年月生きたことになります。この本を読みながら、ついつい若かりし日の父を想像してしまいます。凡夫は、戦後生まれですから、戦前の父を見たことはないのですが。
人生はしょせん運不運だそうです。
『あの両親の子として生まれたのも私の運というものだと思います。あの旧植民地の小さな町に生まれて、あの町で育ったのも、私の運というものだと思います。私が大正9年に生まれたのも、父が宮城県の出身であることも、すべて運。後日、戦場へ送られて、なんとか生還はしたものの、何でもすぐ、運だ、星だ、しゃない、と思ってしまう人間に変わって、私はそう思うようになりました』
父母も偶然の所産であり、祖父母もそうであり、とありますから、運は偶然と読み解いてもよいかと思います。この運、あるいは偶然ゆえに、親を選ぶことができません。
運/偶然によって、著者は、医者の家に生まれます。新義州中学校を卒業。高校入試に受からず、親元を離れて、2年間東京市ヶ谷の城北予備校(1987年廃校?)に通い、1940年、三高に合格します。入学するも、講義に出ず、翌年退学。京都から東京に移り、1942年入隊。親元を離れてからずーっと、80円の仕送りがあったそうです。無為徒食の生活を送り、仕送りのほとんどを遊郭通いに使ったそうです。
裕福な家に生まれ育ったボンボンと言ったところです。金銭的には何不自由なく育ったのでしょう。親元から離れても、80円の仕送りとは、リッチです。
同じ時代に、小さな農家の家に生まれ育った父はどうしていたかと言えば、必死に働いていたと思います。祖母30歳の時、祖父が亡くなり、長男である父は、7歳で一家の大黒柱的な役割を担うことになったようです。弟3歳、妹1歳でした。父は働きづめで、上の学校に行けなかったと聞いています。さらに、19歳のとき、村落の大火事で家が焼失しました。21歳で入隊するまで、働きどおしだったと思います。
どんな家に生まれてくるのか、確かに偶然/運です。それにしても、当時、父はどう思っていたのか、聞いてみたいと思います。生前、父の労苦に思い至ることはありませんでした。逆に、お金に細かい人だなーと、思っていました。
クワイの収穫
2025 12 18 (art25-0814)
クワイを収穫しました。
5株のうち、2株を掘り起こしました。今年のクワイは、数はあるのですが、小型でした。大きな塊茎に育っていませんでした。おそらく、葉数が多く、匍匐茎が次から次と発生しましたから、養分が分散して、塊茎を肥大させることができなかったのでしょう。
来年は、葉かきを強くし、場合によっては、株周りの匍匐茎を切って、塊茎の数を少なくしてみようと思います。
掘り起こしたクワイ芋は、数日水に浸して、あくを抜きます。
今年も、正月用のクワイの準備ができました。
本「夢をまことに」
-時間つぶしの読書-
2025 12 15 (art25-0813)
定年退職後、田舎に移住して、家庭菜園と木工を自由気ままに楽しんでいること、そうやって時間をつぶしていることを書きました (art25-0809) 。もう一つの時間つぶしは、読書です。
読みたい本を、読みたいときに、読むこと。これができるのは、定年退職して、しがらみがなくなってからだと思います。在職中の読書は、時間を無駄にしたくないとの考えから、もっぱら、仕事関連の本を読んでいました。研究に従事していましたから、研究分野の専門書と科学書、その周辺の書物です。役に立つ読書、情報の収集、知識の蓄積、それを運用、展開する力を養う読書です。
今は、時間つぶしの読書ですから、読中楽しければそれで十分です。どんなジャンルの本でもよいのですが、楽しく読める本は、そうそうありません。楽しく読めるかどうかは、読んでみなければ分かりませんから、とりあえず読んでみます。そして、楽しくなければ中止です。おもしろいことに、楽しく読める本の多くは、前に読んだことのある本です。いつかもう一度読もうと、本棚に並べておいた本です。再読になりますが、内容をほとんど、あるいはすっかり忘れていますから、新鮮な気持ちで読めます。
とは言え、今まであまり読んでいなかったジャンルのなかにも、楽しく読めた本があります。その一つが、山本兼一の「夢をまことに」(文藝春秋)です。
近江の国友村の鉄砲鍛冶師、国友一貫斎の生涯を題材にした小説です。ジャンルは、歴史フィクションでしょうか。何にでも興味をもって、自ら作ろうとする。当時(江戸時代)、海外からいろいろなものが入ってきていたようですが、それらを目の当たりにして、驚き、自力で作ってみようと試みる。仕組みを手探りで解明し、長い長い年月試行錯誤を重ねて、完成させる。阿蘭陀風炮(火薬ではなく空気の力で飛ばす鉄砲)、テレスコッフ(グレゴリー式反射望遠鏡)。さらに、空を飛ぶ船と水にもぐる船を夢想し、あれこれ試作する。いやはや、好奇心旺盛で意欲的な人ですな。何でもやりたがったのに器用貧乏にならなくて幸いでした。模倣の極致です。日本人の得意技、昔から培われていたようです。
12月のトマト、濃厚で甘い
2025 12 11 (art25-0812)
畑に、トマト(品種:フルティカ)の株が一つ残っています。この株は、夏に栽培した3株のなかの一つです。秋の栽培を試そうと、上部の茎を切り取り、下部から新芽を出させて、大きくしたものです。
果実は沢山付いたのですが、いつまでも緑色のままで、なかなか赤くなりませんでした。それでも、10月の後半になると、ポツリポツリと赤く熟れてきましたから、収穫して食べました。
しかし、11月になると、日増しに、葉の緑色が薄くなり、一部枯れたような黄色がかり、体全体に勢いがなくなってきました。新しい脇芽が出なくなり、先端部の茎葉が展開せず、成長がとまっているように見えます。しかし、付いていた緑色の果実は白っぽくなり、白っぽい果実はすこしづづ赤みがかってきました。ゆっくりゆっくりとですが、熟れています。
12月の今日日、トマトは枯れ株のように見えます。それでも、収穫は続いています。果実が赤くなるのに、何日もかかります。
秋取れトマトは美味しいと聞いていましたが、確かに美味しいです。甘みと旨味が濃厚で、ちょっと、ざらざらした食感があります。水分がすくなく、酸味がありません。夏取れトマトとは大違いです。こちらは、みずみずしく、甘さと酸味がありました。夏の暑い時期には、さっぱりとしたトマトが、一方、寒くなっていく秋には、濃厚で甘いトマトが美味しく感じるのでしょう。夏は夏取れトマトを、秋は秋取れトマトを、でしょうか。
ところで、秋取れトマトはなぜ、濃厚な甘みをもつのでしょうか。
積算日照時間の差異で説明している人がいます。曰く、トマトの積算温度(800-1200℃。ここでは、着果後、赤く熟するまでの積算温度で、日平均温度x日数で算出)になるまでの日数は、夏より、気温の低い秋の方が多くなる。そのため、その間の積算日照時間も増える。日照時間が増えれば、光合成による養分の産生、蓄積が増大する、と。
本当でしょうか。気象庁の月別平均気温と日照時間の測定データを用いて計算してみます。湯梨浜町の測定データはありませんから、倉吉の測定データ(2025年)を用います。
着果から赤くなるまでの積算温度を1000℃とし、かかった日数を計算し、その間の積算日照時間を出します。
夏、8月1日に取れたトマトの場合
7月の31日+6月の4.5日=>35.5日。積算日照時間は 347時間。
秋、12月1日に取れたトマトの場合
11月の30日+10月の31日+9月の3日=>64日。積算日照時間は 282.3時間
確かに、赤く熟れるまでの日数は多くなります(35.5日と64日、1.8倍)。しかし、この間の積算日照時間は増えていません。減少しています(347時間と282.3時間、0.8倍)。したがって、秋取れトマトの甘さを積算日照時間で説明することはできません。ただし、秋季に天気の良い日が続く地域であれば、積算日照時間が増えるかもしれませんが。
植物体を見ていると、夏と秋の生育の様相に大きな違いがあります。夏は、果実がぐんぐん大きくなり赤く熟れてきますが、同時に、茎葉もぐんぐん成長します。秋は、茎葉の成長はほとんどみられません。
光合成で産生された養分の使い道(配分)が、夏と秋では異なるのでしょう。秋になり気温が下がって茎葉の成長が抑制されると、茎葉への養分供給が必要なくなり、その分が果実へ供給されます。光合成による糖分の産生力は低下するでしょうが、ほとんどを果実へまわすことができるので、日数が経てば、多量の養分が果実に蓄積されていると思われます。
真偽はどうであれ、本当に美味しいトマトを、家内と味わっています。
ニューエメラルド(キウイフルーツ)の果実
2025 12 8 (art25-0811)
畑の片隅で、1本のキウイフルーツを育てています。品種はニューエメラルドです。この品種はおしべとめしべがともに機能する花(両性花)を咲かせるので、1本で自家受粉して結実すると言われています。
6月2日のブログに、開花と開花後の様子を書きました(art25-0757)。花が咲いて数日後、花びらが落ちて子房が見えてきたこと、10日たっても、子房は大きくならず、黄ばんできて落ち始めたこと、を。
自家受粉がうまくいかなくて着果せず、全滅だろうと思い、そのまま放っておきました。
ところが、多くは落ちてしまったのですが、幾つかの子房はいつまでも落ちませんでした。花柄/果柄がしっかりしてきて、子房が、少しずつ膨らみ、丸形から楕円形に変わってきました。キウイフルーツの幼果です。幼果はその後も、ゆっくりと肥大をつづけました。夏を過ぎると肥大が止まりましたが、そのままにしておいて収穫日を待ちました。
6月13日。
6月30日。
7月8日。
先日収穫しました。果実は、長俵型で、大きいもので5cmほどでした。重さは30g前後でした。
ニューエメラルドの栽培レポートサイト(みんなの趣味の園芸)には、果実は、長楕円形で、大きさは8cm前後、重さは80-100g、とあります。これに較べると、今回の果実は、かなり小型です。
実った果実は、自家受粉で結実したものでしょうか。あるいは、単為結果で肥大したものでしょうか。種の有無が一つの判定基準になります。果実を切ってみたところ、多くの種が確認できました。どうやら、自家受粉で結実したようです。
さて、我が家の畑で、初めて収穫できたキウイフルーツの味は、どうかと言えば、まぎれもなくキウイの味でした。ただ、小さいので、食べがいがありませんでした。なお、収穫時、硬かったので、リンゴといっしょに袋に入れて追熟させ、柔らかくしました。
1本の木で、結実することが分かりましたから、来年は、大きな、できれば7cmを超える、果実を実らせようと思います。
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