金魚(2)
2019 04 29 (art19-0129)
金魚、メダカ、エビを飼っています。金魚は京都生まれで、メダカとエビは東郷池生まれです。現在、金魚は8匹。随分大きくなりました。込み合ってきましたので、水槽を大きくすることにしました。
この際、庭に池を造設して、あるいは、奥の納屋の前に大型のたらいを置いて、屋外で飼うことも考えました。しかし、そうすると、屋内飼育と違い、日に何度も見ることができなくなります。現在、水槽を玄関の上り口の衝立の前に置いていますから、出入りをする度に、金魚の姿をみることができます。迷いましたが、今まで通り水槽で飼うことにしました。
水槽は、ホームセンター “いない” で購入しました。大型水槽(底面60x30cm)にしては安い値段が付いていました。ガラス面の合わせ部のシールが粗末で水漏れが心配です。しかし、まあ、漏れた時はその時に対処することにして手に入れました。試しに、水槽に水を貯めて2日間放置してみました。水漏れはありませんでした。しかし、この結果は、長期の使用に耐えることを保証するものではありませんので、漏水点検を怠ることはできません。エアレーションとして、大型の外掛けろ過装置を一台取り付けました。これで、足りるかどうか様子をみています。今の所、問題無さそうです。なお、ろ過フィルターは使いまわしです。既存のバクテリアを切らさないためです。その分、水は多少濁ります。
金魚は大型水槽で泳いでいます。窮屈な水槽では大きく見えていた金魚も、この水槽では小さく見えます。金魚8匹の内、7匹は卵から育てたものです。どこかに奇形が見られます。エラが片方無いもの、目が白濁しているもの、背骨が曲がっているもの、口元が下がっているもの。いろいろです。これが普通なのでしょう。このような金魚は自然界では生き残れなかったかもしれませんが、奇形で生まれること自体は普通のことだと思われます。
1匹、出目金がいます。これは、京都の祇園祭時に出ていた “金魚すくい” ですくい取った出目金です。雄雌一匹ずつの2匹いましたが、一匹(雌)は、去年の春に死にました。この出目金は、しょっちゅう腹をこわして、水面近くに浮いていました。そのつど、治療が奏功し回復しました。しかし、その時はそうはなりませんでした。いっとき回復したように見えたのですが、安心したのもつかの間、底に沈んだままほとんど動かなくなりました。元気な方の出目金(雄)が、時々、近づいては、体をつついていました。その時だけ、少し動くのですが。このような状態が数日続きました。そして、動かなくなりました。
出目金は、"金魚すくい” の露店から持ち帰った時は、2匹とも黒色でした。和金と同居させて飼っていました。1年程たったころ、1匹の出目金のエラの辺りが白っぽくなりました。その白い領域が徐々に広がり全身が白色になりました。そして、しばらくすると、白色から赤色に変色しました。現在生き残っているのはこの出目金で、全身赤色です。こうした出目金の体色変化は、珍しいことではないそうです。
キジ
2019 04 25 (art19-0128)
夏野菜の栽培の準備を進めています。畑の土を掘り起こし、堆肥と石灰を播いて均しました。数日空けて2,3回耕します。3つ目鍬を使用しています。この鍬は母が使っていたもので、凡夫には柄が短く、腰を曲げて扱うことになりますから、結構疲れます。
夕方近く畑へ出かけ、土のかき混ぜ作業を行っていると、「カー、ギャー」とすぐ近くから鳥の鳴き声らしい音が耳に入りました。普段、耳にしない鳥の声です。鳴き声の方へ視線を向けると、畑の前の舗装道路の向こう側の休耕地に、大型の鳥がいました。雌のキジです。キジは、草叢の間を通り抜け、舗装道路に上がってきました。
頭部は濃い青紫色、体部は黒緑色です。背中側と翼は茶色や茶褐色の斑模様があります。長い尾羽には濃い茶褐色のストライプがみえます。また、目の周りの赤色がとても目立ちます。これは、上部のとさかと下部の肉垂が充血して膨らみ、赤くなっているからです。繁殖期の特徴です。
畑は民家の近くにあります。実際、キジがいた休耕地の隣は、民家です。こんなところで、キジを見かけるとは思いませんでした。
凡夫が子供の頃には、春の田圃には畝が立ち、小麦が植わっていました。夏期の稲との2毛作として、冬期に小麦が栽培されていました。梅雨期が近づく前に、小麦の収穫が始まります。そのころ、田圃でキジをよく見かけました。時には、キジが飛び出た場所の近くに卵が見つかりました。卵は、鶏の卵を一回り小さくした大きさで、その数は数個。小麦が少し外側に倒されてできた巣床に収まっていました。
今では、冬期に小麦を栽培する農家はなく、秋の稲の収穫後の田圃は放置状態です。耕耘されることもなく、稲の切株が整然と並んでいます。切株の合間には雑草が、場所によっては蓮華が群生しています。この時期、かつての小麦のような、体を隠せる背丈の高い作物はありません。繁殖期を迎えたキジが産卵し抱卵できる場所が残っているのだろうかと、ちょと心配になります。
区民卓球大会
2019 04 21 (art19-0127)
今日(21日)は、久しぶりの運動疲労です。第17回の区民卓球大会に出場しました。子供の頃、卓球をやったことがありましたので、区民の一人として参加しました。
大会は、南部北部合わせて15班が各5名の選手を登録しトーナメント方式で戦います。小学生、中学生以上、40歳以上、60歳以上等の年齢枠ごとに選手が登録されます。60歳以上の人は小学生枠にも登録できますから、年寄りはどの枠でも登録できます。このあたりは高齢者が多い田舎ならではの知恵です。
参加者は、8時30分に “ふれあい会館” に集合しました。区長の挨拶が終わると、昨年優勝した北部3班からトロフィーが返還されました。公民館長による試合ルールの説明を聞いた後、いよいよ試合です。試合は、1セット11ポイントで、3セットマッチです。3勝先取した班が勝ちとなり、その時点で試合は終了です。
毎年開催されている大会ですから、参加者は自分のラケットで試合に臨みます。凡夫は、Uさんから借りました。
狭い会館一杯に応援と歓声がとどろきました。小学生から老人まで、一堂に会して、試合に興ずる姿は良いものです。
ポイントが決するごとに、”ヨッシャー” と ”ドンマイ” の掛け声が入り乱れます。試合に負けた班とその応援団は会館を後に退散します。決勝戦に残った北部3班と南部3班の試合時には、随分人が少なくなっていました。しかし、決勝戦ですから、それなりに盛り上がりました。結果は、北部3班の勝ち( 3:1)でした。昨年に続いての優勝です。
優勝した北部3班に優勝トロフィーが授与され、両班に賞品が贈呈されました。なお、参加者全員に参加賞が配布されます。大会は無事終了しました。
凡夫は、優勝した北部3班の選手として出場しました。この班は、過去何度もこの卓球大会で優勝しています。上手い人が揃っています。区内で最強と言われるYさんとUさんがいます。また、運動一家のSさん家族がいます。
今回、Uさんが参加できなかったこともあり、凡夫に出場の機会が巡ってきました。えっ、凡夫の成績ですか? 5名の4番目の選手として出場し、2戦2勝です。
ブログの一年
2019 04 18 (art19-0126)
このブログを立ち上げて一年になります。湯梨浜町での生活の様子を書き留めてきました。
畑で野菜(トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、パプリカ、そして、ダイコン、ホウレンソウ)を栽培したこともあり、随分、作物につく虫には詳しくなりました。見なれない虫に出会う度に、Webで検索しました。世の中には奇特な人がいるもので、Web上で虫の解説を行っています。ありがたいことです。もっとも、知りたいことに触れているページを探し当てるのは容易ではありませんが。
多種の、そして多数の虫を殺しました。初めの頃は、靴底で踏み殺していました。いつの頃からか、生き物であることを忘れないように、できるだけ指先で圧殺するようにしています。虫の動きを指先に感じます。つぶすと体液が指先に付きます。殺す時、ほんの一瞬ですがためらいがあります。この感覚を大切にしたいと思います。
ちょっとした事件があり、区の会計役を辞めさせていただきたいと区長さんに伺いをたてました。その後アレコレありましたが、結局、交代の人が見当たらないこともあり、今も、続けています。
我が家の家計は一切家内が仕切っています。凡夫は金を管理したことがありませんので、区の会計役を務めるにあたり家内から実務上の指導を受けています。初めてのことが多くとても刺激的です。金融機関で金の出し入れができるようになりました。
凡夫が区の会計役を頼まれた理由の一つはPCが使えることです。収支管理はエクセルで行われています。凡夫には、エクセルの操作はお手の物です。また、プログラミングもできますから、区の会計様式に合わせて、仕訳や集計を自動化できます。
チューリップ畑と 日吉津村
2019 04 15 (art19-0125)
朝方雲一つない青空が広がっていましたので、チューリップ畑の見物に出かけました。チューリップは庭先にもあります。家内が育てているもので、赤と黄色の花が咲き、これはこれで楽しんでいます。しかし、ちょっと遠出して、畑一面のチューリップを見ることにしました。場所は、日吉津村(ひえづそん)です。米子市に三方を囲まれた、鳥取県の唯一の “村” です。
チューリップは “とっとり花回廊”(米子市の南隣、南部町の山間部にあるフラワーパーク)でも見ることができます。だだし、有料です。日吉津村のチューリップは、農家の人が球根の出荷用に育てているチューリップです。言うなれば、田圃に咲く花です。無料です。
日吉津村のチューリップ畑、みごとでした。ただただ、”おー” と感嘆するばかりでした。
ここのチューリップは、60年前に水田転作として栽培したのが始まりで、ひところは多数の農家が栽培に参加していたと聞いています。県内で最大規模の生産地となり、県下の出荷チューリップは全てここで栽培されていたとか。しかし、年々栽培規模が小さくなり、今では4戸が栽培しているそうです。 それでも、畑一面のチューリップは、十分、見応えがありました。
畑の向こう側に、王子製紙工場(旧日本パルプ工業、1953年操業開始)が見えます。この大型事業所が、市町村合併時に、日吉津村を米子市にとりこまれることなく、村として存続させた一因と考えられます。人口わずか3,500前後の小さな村にとって、このパルプ工場からの税収は村の発展に大きく寄与したものと思われます。その後、県下でも最大級のショッピングセンター ”イオンモール” の誘致開業(1999年)は、更に村の財政と就業環境を良好にしたものと考えられます。財政の恒常的な余裕は長期的な政策を可能にします。特に、子育て支援政策と住宅団地の造成は特筆できます。若い世代の転入が促進され、人口減が続く県内で唯一、日吉津村は人口増を続けています。
国立社会保障・人口問題研究所は「日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)」をまとめ、データをWeb公開しています(将来推計人口)。データは2045年までの人口推移の予測です(5年間隔)。2015年の人口を基準とし、それとの比率で各年の推計人口をプロットしてみました。鳥取県の東中西部を代表する3市(鳥取、倉吉、米子)、いづれも人口が減少していきます。凡夫の住んでいる湯梨浜町も、同様に減少しますが、減少幅は隣接の北栄町と倉吉市よりも少ないと推計されています。
しかしながら、何と言っても目立つのは日吉津村です。ここだけが、人口の減少とは無縁のようです。
シラウオ捕り(2)
2019 04 11 (art19-0124)
朝方、東郷池のコンクリート護岸に立ち、大きな “たも”(たも網)を振り回している人を見かけます。シラウオ捕りです。昨年、凡夫がシラウオを捕った穴場(ハワイ夢広場横の多目的広場の東側、art18-003)には、4、5名の人がいました。すっかり、周知のようですので、もはや穴場とは言えませんが。いずれの人も、車で来ていますから、近くの地元人ではなさそうです。
すこし早起きして、シラウオ捕りに出かけてみました。場所はすぐ近くの公園の池岸です。その日は、風が少しあり、水面に小波が立っていました。シラウオが群れをつくって泳いでいます。早速、持参した “たも” で掬いました。掬い取ったシラウオを素早く氷冷剤入りの箱に移します。時折、シジミ貝採りの漁船が岸の近くを通過します。波がコンクリート護岸に打ち寄せます。その度に、ちょっと休みます。”たも” で掬っては移しを繰り返すこと1時間半、結構とれました。翌日、同じ時刻に、同じ場所に行ってみましたが、シラウオの姿は見えませんでした。その日は、無風、無波でした。
家内が、シラウオだけのかき揚げ、シラウオと野菜のかき揚げ、そして、シンプルに素揚げにしてくれました。この中では、シラウオの素揚げが凡夫の好みに合いました。
シラウオは高級食材といわれていますが、地元人は食べないようです。シラウオだけでなく、東郷池の魚全般を食べなくなったと聞いています。凡夫が子供の頃は、シラウオだけでなく、池で釣ったフナ、ボラ、ナマズ、エビも食べていました。また、梅雨の時期に産卵の為に川に登ったフナを捕まえて食べていました。
近くの食品スーパーマーケット “あじそう” に、東郷池のシラウオが100g 600円で販売されていると、家内が教えてくれました。今でも、池のシラウオを食べる人がいるようです。
大学入学式の事件
2019 04 08 (art19-0123)
4月に入り、大学の入学式が執り行われています。早いところでは1日です。かつての凡夫がそうであったように、地方から出て都市部の大学に進む学生は期待と不安を抱えて入学式を迎えるのでしょうか。しかし、インターネット網が完備され、何処にいても同じ情報を共有できる今の新入生には、かつての凡夫が感じた不安は無縁なのかもしれません。少なくとも、都市部から発信される情報によって、単に ”知らないこと” に起因する不安の多くは取り除かれていることでしょう。しかし、40年以上前の状況は現今とは異なり、当時の凡夫は不安を抱えていたように思います。それが証拠に ”事件” が起こりました。
1973年(昭和48年)4月9日、大学の入学式は挙行されました。「入学式開始直前に全共闘系学生が式場の記念講堂に乱入し演壇を占拠した。学生は機動隊によって排除され、50人が逮捕された」。凡夫のいう事件は、この乱入騒ぎではありません。凡夫は、入学式の会場に居なかったので、この騒ぎを知る由もなく、事後、ニュースで知っただけです。ある個人的事情のため凡夫は式場に行くことができませんでした。その顛末が凡夫のいう ”事件” です。
1973年 (昭和48年) 3月15日、大学の合格発表の日。凡夫は、米子駅発-博多駅着の夜行急行列車 “さんべ3号” で移動し、その日の朝、博多駅に降り立ちました。軽い朝食を済ませた後、路面電車で九大キャンパスへ向かいました。合格発表の掲示板に自分の名前を見つけました。当時の合格発表は受験番号でなく氏名そのものが掲示されていましたので、見つけるのは容易でした。早速、その場を立ち去り下宿を探しました。下宿と言っても、賄いのつかない、民家の一間を借りる “貸間” スタイルが多く、民家の軒先に “貸間あります” と書かれた札がぶら下がっています。そのような貸間札を探して歩きました。1つ目の札が出ている民家を素通りし、2つ目の札の民家を訪ねました。そこの家主さんから、“新入生は六本松の教養部校舎で学ぶこと” を教えられました。六本松の場所を尋ねると、親切?にも、六本松への行き方を紙にメモって渡してくれました。直線距離で 6.3km 離れていました。
メモを見ながら路面電車を乗り継ぎ、六本松に移動しました。大学前の広い道路(別府橋通り)に面して、何軒かの下宿斡旋屋が営業していました。その一軒の世話になり、下宿先を決めました。指圧業を営むNさん宅です。2階の廊下に沿って3つの和室があり、中央の部屋を借りました。両隣とも学生です。1階には、あやしげな商品を販売している中年のオッサンが、どう見ても学生には見えないのですが、学生のように間借りしていました。
さて、"事件" は、入学式の前日に起きました。
4月9日の入学式に合わせて2日前に下宿先に入り、送り届けた荷物の整理を行いました。間借りなので、荷物も少なく、もっぱら、六本松周辺や、賑やかな天神あたりをぶらぶらして過ごしました。体の変調を感じたのは、入学式の前日でした。腹痛です。それも強烈な。うめき声を漏らしていたのだと思います。隣部屋の学生達も戸襖越しに様子をうかがっていました。その内、家主夫婦が階段を上がってきました。家主さんは「痛みを取りましょう」と言い、凡夫の体のあちこちを指圧してくれましたが、一向に痛みが軽減しません。しばらく続けていましたが、ついに、家主さんは「病院に連絡する」と言って、階段を下りて行かれました。この様子を見ていた隣の学生達は、心配顔のまま、声を上げて笑い出しました。凡夫は、痛みが激しく、笑うどころではありませんでした。
家主さんの指示で、病院の患者となりました。近くの総合病院に入ると、痛みが軽減したように記憶しています。医者は、特にこれといった原因が特定できないようで、「緊張(今で言う、ストレス)からでしょう」と言い、「とりあえず、浣腸をして、様子をみましょう」と続けました。病院で一夜を過ごすことになりました。翌日には痛みがとれていました。郷里から駆け付けた父が退院の手続きを行い、二人で病院を後にしました。
一体、あの痛みは何だったのか、当時も、今も、分かりません。下宿先に帰り、家主さんの居間に皆で集まり、一連の騒動をあれこれネタにして談笑しました。特に、指圧のシーンは大いに盛り上がりました。家主さんが、指圧で痛みを和らげようと近づいて来た時の仕草が、”浪越徳次郎” が「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と言いながら両腕を前に伸ばし両手の親指を上げるポーズと似ていたかどうか明言できませんが、凡夫の記憶の中では、しっかり重なっています。思い出す度に笑えます。
この事件で、凡夫は大学の入学式に参加することができませんでした。
腹痛を抱えた患者を前に、「とりあえず、浣腸をして、様子をみましょう」。このフレーズと同じものを、二十数年後の横浜で、救急車で搬送されたS病院の医者に言われたことがあります。こちらは、笑ってお終いにできるような話ではなく、一歩間違うと、命とりになっていたかもしれません。もっとも、今となっては、それはそれで笑えますが。
ドローン(2)
2019 04 04 (art19-0122)
ドローンという言葉を、新聞やニュースで耳にしたり目にしたりする機会が多くなりました。利用分野が拡大しているのでしょう。趣味で楽しむだけでなく、作物の生育状態や病害虫の調査、建造物の点検や確認、交通状況や事故状況の把握、災害現場での被害状況の把握、食物や薬の運搬、自然環境の観察と調査、セキュリティ対策、犯罪取締りなど、多種の実務に利用することが検討され、実施されています。いずれも、ドローンの特性である “安定な、自由自在の飛行ができる” ことに依存しています。
今年の初めにドローンを操縦する機会がありました。ドローンは、HyperTech社の “Drone X Pro” です(art19-099)。これは、重さ僅か 97g のおもちゃのドローンです。実際に飛ばしてみて、ドローンの操縦が簡単であることは分かったのですが、今一、ドローンの特性である “安定な自由自在飛行” を実感することはできませんでした。
先日、こちらに来ていた息子と別のドローンを飛ばす機会がありました。DJI社のドローン “Mavic Pro” です。これは、DJI社の本格的なドローン “Phantom4” の一つの難点、重くて持ち運びが厄介なこと、を解消するため、機体を軽量化し(1,388g から743gへ)、且つ、折り畳めるようにしたものです。軽くなった分風に煽られ易くなりましたが、機能的には “Phantom4” と遜色ありません。
飛ばしてみました。驚きです。極めて安定に、自由自在に飛行します。また、安定したホバリングで、機体は空中の一点にじーと静止します。多少の風があっても、飛行に問題はありませんでした。カメラセンサーの性能も高く、また、3軸のジンバルを備えていますから、鮮明な静止画だけでなく、ブレのない動画が撮れました。ドローンとは何かを実感できました。ドローンを利用する分野が広がっていくこと、うなづけます。
東郷池の上空から、池の周辺を撮影しました。撮影した動画を切って繋いで短くし 、1分42秒の動画にしました。初めての編集作業でしたので、無音です。
(動画の最初):池は、橋津川によって日本海と繋がっています。(汽水湖です)
(30秒前後):池の西側に、”羽合平野” が広がっています。
(1分前後):池に入り込んでいる所が、”はわい温泉” です。
(動画の最後):池の向こう岸に、”松崎温泉” が見えます。
スモモとプルーン
2019 04 01 (art19-0121)
ジョギングの途中、Kさんの果樹園の脇を通ります。Kさんは、多種類の果樹を栽培されています。果樹園はいつ見ても手入れが行き届いています。2月には梅の花が咲いていましたが、3月になると、スモモの白い花が咲き初め、今では、満開です。あまりに見事でしたので、写真を撮らせていただきました。
スモモは、李/酢桃、と書きますが、桃より酸味があるので酢桃だそうです。スモモには、中国原産の日本スモモとヨーロッパコーカサス原産の西洋スモモがあります。どちらも、プラムの仲間です。西洋スモモの実は乾燥させて食べることが多く、乾燥したプラムの実はプルーンと呼ばれています。このため、西洋スモモ自体もプルーンと呼ばれることがあります。スモモとプルーン、この呼び方でよいのかもしれません。スモモの果皮の色は、緑、黄色、赤と多彩ですが、プルーンの果皮は紫色です。
凡夫は畑にプルーンの木を2本植えています。1月に我流の剪定を試みました(art19-0098)。こちらは、まだ、花が咲くどころか、やっと花芽?が動き始めたところです。芽麟の先端部分に緑色の花被?が伸長しています。剪定後、開花するだろうかと気を揉んでいましたが、これが花芽であればどうにかなりそうです。プルーンは花が先で葉は後と聞いています。
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