クワイの収穫
2022 12 29 (art22-0506)
正月用のクワイを収穫しました。
今年も、田圃に穴を掘り、ビニールシートを敷き、土をいれてクワイ床を作り、5株のクワイを栽培しました。青々としていた葉が、10月中旬になると、枯れ始めて、11月に入ると、ほとんどの葉が枯れてしまいました。今では、すっかり枯れあがった葉が倒れています。
枯れた葉を取り除くと、株元から多数のほふく茎が下方に伸びている様子がよく見えます。ほふく茎は土の中で長く伸びて、先端に芋を付けます。株元のほふく茎の数から、多くの芋(塊茎)がついていると期待したのですが、掘り起こしてみると、期待したほど芋がついていませんでした。芋のついていないほふく茎がことのほか多数ありました。
葉の勢いがなくなる10月に入っても、株元から新芽がでて、下方に茎を伸ばします。そうした栽培後期に伸びたほふく茎の先端には芋が付かないようです。地上部が枯れてきますから、養分の供給が滞るのでしょう。思うに、栽培後期のほふく茎は、芽の段階で摘み取った方が、よさそうです。
収穫した泥だらけのクワイを持ち帰り、ほふく茎を切り取り、水洗しました。数は少ないのですが、大きなクワイがとれました。これで、今年も、自家製クワイを正月に食べることができます。
Windows8.1 からwindows10へ
2022 12 26 (art22-0505)
PC(Personal computer、パソコン)のOS (Operating system) を、Windows 8.1からWindows10へアップグレードしました。「Windows8.1のサポートは2023年1月10日に終了します」とMicrosoftからアナウンスされていました。その期日が迫り、遅ればせながら対応しました。サポートが終了してもPCは使えます。しかし、Windows8.1のままではセキュリティ更新プログラムを受け取らなくなるようで、マルウェア(Malicious software、悪意のあるソフトウェア) 感染のリスクが高くなります。
凡夫は、ノートPCをディスプレイにつないで使っています。ノートPCはLet’s note SX2で、2013年発売モデルです。仕様はIntel Core i5-3340M (2.70GHz)、RAM 4GB、SSD 128GBです。定年退職する直前に、秋葉原のパソコン中古店で手に入れた中古品です。10年間使用してきましたが、トラブルもなく動いています。購入した時のOSはWindows7でした。Windows7のサポートが切れる(2020年)前に、Windows8.1にアップグレードしました。
家内はWindows11のPCを使っています。今回、Windows11へアップグレードすることも、考えたのですが、アップグレード要件の一つに、64GB以上のストレージとあり、凡夫のPCにはちょっときついと判断し、ストレージ容量が少なくてすむWindows10にしました。こちらは20GBです。
Windows8.1からWindows10へのアップグレードは、Microsoft公式サイトのページ『Windows10のダウンロード』にアクセスして行いました。「ツールを今すぐダウンロード」をクリックし、ツールをダウンロードした後、ダウンロードしたツールで『何を行いますか?』のページで、「このPCを今すぐアップグレードする」を選択しました。アップグレードが完了するのに、かなり時間がかかりました。PCが数回再起動しました。ただ、放っておけば、勝手にやってくれます。
OSがWindows10にアップグレードされて、PCの起動と終了の動作が早くなりました。画面表示の設定をいじり、使い慣れた以前の表示に近づけました。今のところ、抵抗なく使えています。
Microsoftから、Windows10のサポートは2025年10月14日まで、とアナウンスされています。3年ほど後に、また、対応することになります。面倒なことですが、やむを得ません。
FIFAワールドカップ決勝戦
2022 12 22 (art22-0504)
18日の深夜、NHKで放映されたFIFAワールドカップの決勝戦(アルゼンチン対フランス)を録画して、19日の朝、ビデオで観戦しました。
とても、エキサイティングな試合でした。
アルゼンチンが前半に2点先取しました。これでアルゼンチンの勝ちかなと思っていましたが、さにあらず。後半に、フランスが立て続けに2点を入れて同点にしました。延長戦に入り、前半にアルゼンチンが得点しました。今度こそ、これで決まりだろうと思っていましたが、ふたたび、さにあらず。後半の終了近くで、フランスがペナルティキック(PK)から点を入れて、同点としました。そして、PK戦です。アルゼンチンは4人が連続して成功しましたが、フランスは2人目と3人目が失敗しました。結果、アルゼンチンが 4-2 でPK戦に勝って、ワールドカップ決勝戦の勝者となりました。
PK戦で、アルゼンチンの4人目のキッカーは首に星マークの刺青を入れていました。この首の刺青は、延長後半の終了近くで、フランスにペナルティキックを与えた選手の首にあったように思えました。録画ビデオを巻き戻して検分したところ、まさにそうでした。
この選手の反則はハンドで、ゴールエリア内で、フランス選手のシュートを防ごうと立ちふさがった時に、キックされたボールが腕に当たりました。素人目には “たまたま” 当たっちゃったと思えるものですが、プロではこれは避け得る、避けなければならないものなのでしょう。ともあれ、この反則でアルゼンチンは失点することになりました。勝利をほぼ手中にしていたアルゼンチンチームの失意は大きかったように思います。また、ハンドをとられた選手の心中はどのようなものだったのでしょう。プロの選手ですから、こうしたことは今まで何度かあったかもしれませんが、舞台はワールドシリーズの決勝戦ですから、特別です。
この選手が、PK戦、あと1人が成功すればアルゼンチンの勝利となる場面で登場し、みごとに成功させ、仲間にもみくちゃになっていました。劇的でした。それも、よい方へ。
決勝戦(準決勝も)には、新しいデザインのボール「Al Hilm (アル・ヒルム)」が使われたそうです。アラビア語の「アル・ヒルム」は、『夢』を意味するそうです。
今年のキンカン
2022 12 19 (art22-0503)
天気予報通り、昨日(18日)の朝、廊下のカーテンを開けると、雪が積もり庭一面を白色に変えています。山間部での積雪は報道されていましたが、平野部での積雪はこの冬初です。
この寒さを見越して、一昨日(17日)、キンカンの実を収穫しました。20数個の実を付けていました。この木は、畑の東端柿と梅の木の間に、2019年の秋に植え付けたものです。
昨年も実が付きました。食べてみると、皮がかたく甘味も少なく、生食には向いていませんでした。今年は、生育がよく、早くに果皮が黄色になりましたから、期待しながら家内と食べてみました。甘味はあります。しかし、皮がかたくて、生で食べるには、ちょっと、無理があります。
1, 2 月は気温が下がりますから、凍害で傷んでしまうことがあります。様子をみて早めに収穫することになります。早くに収穫した今年のキンカンには、甘さはのっていましたが、皮がかたいという問題がのこりました。長く木につけておいても、皮が柔らかくなるとは思えません。甘さは多少増すでしょうが
皮を柔らかくする栽培方法があれば、試してみたいのですが。参考になる資料がありません。販売されている生食用のキンカンは、施設で栽培されているものです。おそらく、過保護的に管理栽培すれば、表皮がかたくならないのではと思います。来年は、着果後に、木全体をビニールで覆って栽培してみようか、と考えています。少なくとも、気温が上昇し、風がじかに当たらなくなるでしょう。
馬の山--文芸の丘
2022 12 15 (art22-0502)
寒波の襲来とかで、昨日から急に寒くなりました。今朝も寒く、本格的な冬の到来のようです。しばらく、巣篭り生活になります。エアコンと加湿器、そして足元用のホットカーペットの世話になります。
先週の金曜日の午後、車のタイヤ交換を行いました。近くの自動車運転免許試験場の駐車場に車を停めて、冬用のタイヤに交換しました。家内と2人で1時間ちょっとの作業です。
その日は、晴れて暖かい日だったのですが、翌日の土曜日も、上天気でしたから、馬の山へ行きました。
馬の山は東郷湖の北側、日本海との間に位置する山です。低い山で、大小25基の古墳(橋津古墳群と呼ばれています)があります。山頂には展望台とハワイ風土記館がたっています。コンクリート建ての展望台は、凡夫が子供の頃からのものですから、いたるところコンクリートが剥がれて老朽化しています。
ハワイ風土記館は、平成4年(1992年)に建設されました。古墳から出土した埴輪と城をイメージした建造物だそうです。360℃ガラス張りの最上階から、東郷湖と羽合平野、そして、日本海に続く砂浜地が一望できます。
風土記館を取り巻くように、石碑が並んでいます。文芸の丘と名づけられています。石碑には、地元の人が読んだ俳句や短歌が刻まれています。そのなかに、”牛歩” と銘が打たれた句碑を見つけました。”牛歩” は、温泉のおじさんの ”ペンネーム” です。
温泉のおじさんは、祖母の、年が離れた弟です。温泉地区の旅館 ”浅津苑”(今は、湯の宿 彩香)に隣接した一軒家に、おばさんと住んでいました。正確には、おおおじになるのですが、温泉のおじさんと呼ばれていました。父と歳が近いこともあり、家で何かイベント(多くは飲み会)があると、おじさんの姿がみられました。凡夫は、小中生の頃、温泉のおじさん宅を幾度となく訪ねています。特に、正月は欠かさず。高専生となってからも、米子から帰ると、おじさんの所へ行って、お年玉をもらっていました。
温泉のおじさんとおばさんの死後、父母が供養をしていました。父母が亡くなった後は、凡夫と家内が引き継いでいます。命日には経を読んでいます。おじさんとおばさんの遺影写真は、仏間の長押に、祖母と父母の写真の隣に、2人並んで掛かっています。
ダイコンの葉を切り落とす
2022 12 12 (art22-0501)
今年は、ダイコンが早く大きくなり、11月末から収穫して食べています。特に、11月に入ると、根部が急速に大きくなりました。これは、高温によるものでしょう。県下の最高と最低気温を昨年と比較してみると (播種日の9月9日からの気温を、3日間の移動平均でプロット)、11月は最高、最低とも気温がかなり高くなっていることがわかります。根部が大きくなるのはよいのですが、程度があります。ダイコンは肥大し過ぎると、内部にスや空洞が入り、食感と味が落ちます。それを避ける為、ある程度大きくなったところで、生長を止める必要があります。
12月に入ると、ダイコンの頭を切断しました。切り取った葉をひっくりかえして、切断面を覆うようにかぶせてやりました。これで、生長は止まる筈です。根部はそのまま地中にありますから、ダイコンは生きています。安定している土の湿度と温度の中で、生きたまま保存されていると言えます。しかし、ここまで葉を落としたのは今回初めてですから、実際、どうなるか、わかりません。
本『銀色の翼』と 脈診
2022 12 8 (art22-0500)
佐川光晴の『銀色の翼』(2006年、文芸春秋)を読みました。
脳腫瘍で緊急開頭手術を受けた後に精神を病んで入退院し、慢性の頭痛持ちとなった主人公雪村和夫が、慢性頭痛友の会で知り合った片頭痛持ちの看護師の美恵子と出会い、結婚し、茅ケ崎にマンションを購入して一緒に住む。結婚は入籍のみで、和夫は29歳、美恵子は36歳。美恵子は訳ありの過去をもつようであるが、一切明かすことはない。和夫がせめて家族関係を知りたくて、問い質しても恵美子からの返答はない。
"銀色の翼" は、恵美子が片頭痛の前兆としてみる閃輝性暗点(視野の中にギザギザ・キラキラとした光の波ができ、次第に広がって暗くなり見えなくなるという現象)のことです。自身も片頭痛に悩まされていた芥川龍之介が、小説『歯車』のなかで、"銀色の翼" と表現したところから使われるようになったそうです。銀色の翼(閃輝性暗点)は20分程で消えます、そして、頭痛が起こるそうです。
さて、頭痛持ちの2人の生活がどうなっていくのか、面白く読めますが、特別な興味をもった点は、脈診です。
和夫は恵美子の金銭的援助を受けて、鍼灸専門学校に通い鍼灸師の資格を取ります。ある日、和夫は、恵美子の脈診を行って、「下腹部になにか塊がある。妊娠ではないのだから、子宮筋腫かもしれない」と伝え、病院で検査を受けることを勧める。検査の結果は、ごく初期〔ステージ0期〕の子宮体部癌であった。
脈診がそんなことまでわかるとは驚きです。
中国の時代劇ドラマ、例えば、『瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜』や『如懿伝(ニョイデン)〜紫禁城に散る宿命の王妃』などでは、何か体調が悪い時は、医者が脈を取って診断し、処方するシーンがよく出てきます。
ウィキペディアには、脈診(みゃくしん)とは、患者の脈に触れて拍動の強さや早さ、硬さや太さ、浮き沈みなどを把握することで、疾病の状態を診察する方法。中国医学では、気血の状態が脈に現われ、脈診で臓腑の様子が分かると考えたため、古くから行われ、診断において重視された。昨今の中国医学では、四診(望診・聞診・問診・切診)の一つである切診に含まれる、とあります。
また、別の記事では、脈診で取れた「脈位」、「脈形」、「脈勢」などの情報は、病気の位置、邪気の種類、体力の強弱、臓器機能の盛衰などを判断することに役に立ちます、とあります。
現代医学では、大型機械に依存した検査によって、どこそこの臓器のこれこれの場所に、このような異変があるので、あなたは○○の病気であると診断します。ピンポイントで異変が検出できますから、その病変部だけが、治療の対象になります。一方、脈診では、ちょっと、腕の脈をとって、あなたの□□臓器は衰弱していますと診断しますから、その臓器が治療対象になります。ここに漢方が登場します。
自分が歳をとってわかったことがあります。体のあちこちにガタが出てきます。ガタを治すために病院にかかります。しかし、ガタは一つではありませんから、あちこちの病院にかかることになります。治したガタは、しばらくするとまた悪くなります。さらに、新たなガタがでてきます。週一であった病院通いが、週二になり、週三になり、いつの間にか、毎日病院通いをすることになります。こうなると、ピンポイントで診断し、ピンポイントで治療を行う現代医学の限界と言えそうです。
歳をとると心身がつかれやすくなります。どうも、ガタは、心身がつかれてくると出てくるようです。ガタを治すために病院へ行くのですが、むしろ、ガタが出てこないように、歳をとったら、心身(心と体)に活力をつけることが肝要のようです。さて、その方法とは?
ナスの終了
2022 12 5 (art22-0499)
今年のナスの栽培は終わりました。
11月に入ると気温が下がり、果実が大きくなるのに日数がかかるようになりました。さらに、果実の下部に薄茶色のシミが出てきたり、縦に亀裂が入るようになりました。11月末になると、果実の肥大はとまりました。ここまでかと、28日、茎に付いていた小さな果実を全て取って、株を処分しました。
今年は、ナスの栽培方法をすこし変えました。例年、夏の収穫が終ると、根切りと更新剪定を行い、株を若返らせて、新たに実が生るようにしていました。しかし、今年は、そうした更新作業をせず、替わりに、着果数と生育のバランスをとることで、株を良好な状態で維持してきました。3つのナス品種(黒陽、千両2号、庄屋大長)とも、一度に多くの果実は収穫できませんが、少数の果実を、長い間コンスタントに収穫できました。普通サイズのナスが収穫できた最終日は、11月23日です。
家内と2人暮らしですから、数本のナスが長い間収穫できれば十分です。長い間収穫できれば、総数は上がります。黒陽、千両2号、庄屋大長の収穫総数は、それぞれ、32、41,28本ですから、悪い数字ではありません。いずれの品種とも、7, 8月に収穫した本数よりも、9-11月に収穫した本数の方が上回っています。
今年の試行から、株に無理をさせず、長い間良好な生育状態を保つことで、コンスタントに少数のナスを生らせる栽培方法は、自家製ナスを長い間食べたい人向きであると言えそうです。加えて、株が元気であれば病害虫に強いようで、今年は農薬を一度も使いませんでした。これまた、自分で育てて、自分で食べるナスを栽培したい人に合った栽培方法です。
ダイコンの収穫
2022 12 1 (art22-0498)
ダイコンを収穫して食べています。
今年は、夏野菜(トマト)の栽培を早めに終了し、ダイコン用に畝を立て直しました。通常の播種期に種を撒くことができましたので、初期生育がよく、11月中旬には収穫できるぼど、大きく育ちました。
ダイコンの栽培は、手が掛かりません。
- 畝を立てて、ダイコンの種を3粒ずつ播いて、防虫ネットを張る。(9月9日、art22-0476)
- 5、6番目の本葉が出てきたころ、間引いて1本立ちにする。同時に、株の周辺に化成肥料をまいて、土と混ぜて土寄せを行う。(9月25日)
- ダイコンの葉が、防虫ネットに触れるようになったら、防虫ネットを取り外す。(10月13日)
- 根部が肥大したら、収穫する。(11月末から)
農薬は一切使いません、また、追肥は1回だけです。ダイコンは肥料のいらない野菜だと言いますが、本当にそうです。放っとけば育ちます。
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