今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

ポポー果実の日焼け

2023 7 31 (art23-0567)
こう暑い日が続きますと、野菜畑にせっせと水を撒かねばなりません。畑の土は、砂が多いため水捌けは良いのですが、水持ちが悪いので、水切れが起きます。

水撒き用の水は、畑の片隅に設けた貯水タンクの水です。この水は、近くの小川から汲み上げたものです。大きな柄杓を使って、45Lのポリ容器2つに汲み上げ、四輪台車で運びます。水汲み作業は、早朝の、朝飯前に行います。早朝とは言え、すでに気温が上がっていますから、作業を終える頃には汗だくになります。

日中、キュウリとメロンの葉は萎れてぐったりしていますが、夕方にはキュウリの葉も、メロンの葉も元に戻ります。ナス、ピーマン、トマトの葉は、日中でも、へたっとすることはありません。ウリ科とナス科の違いでしょうか。

ポポーの果実の上側が黒ずんできました。所謂、日焼けです。直射日光が当たった部分の温度が高くなり、組織が壊死することで起こります。防ぐには直射日光を遮ることでしょうが、何もせず、日焼け果がどうなっていくのか、観察しています。
日焼けのひどい果実に亀裂が入りました。亀裂は段々大きくなっています。

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日焼けは、ポポーの果実だけでなく、柿の果実にも起きています。直射日光にあたる側が変色しています。柿栽培の教科書に、摘果すべき果実として、上向きに着生した果実もありました。日焼け果は "もの" にならないでしょうから、この教示、納得できます。

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ところで、イチジクの果実も日焼けするのでしょうか。まだ、そうした果実を見たことがありません。イチジクの場合は、暑い日が続くと心配なのは、水切れによる葉の黄変です。黄変は古い下の葉から起こり上の葉へと進行します。黄変した葉は落ちてしまいます。果実は残るのですが、葉からの養分が供給されませんから熟成しません。 2年前、葉の黄変を経験しました (art21-0360)。ひとたび葉の黄変が始まると、灌水しても進行を止めることができませんでした。
このところ、雨が降っていませんから、土がかなり乾いています。下草が枯れ上がっています。水切れをおこさないように、樹下に水を撒いて、ござをかけています。ござは下草代わりです。

タマムシ

2023 7 27 (art23-0566)
エアコンの室外機のドレンホースからの水が、堅い地面に落下し、ちょっとした水溜まりをつくっています。その中に甲虫が仰向けにひっくり返っていました。翅が水に浸り、もがくように足を動かしていますが、空を切るばかりで、どうすることもできないようです。どのような状況で、こうなったのか、ちょっと不思議です。足を動かす度に体が動き、背中の翅の縁が見え隠れします。光沢のあるきれいな色です。どうやら、タマムシのようです。

指を近づけると、足をからんできましたから、そのまま移動して、指を庭木のマメツゲの小葉に重ねると、ゆっくり離れていきました。緑色の金属様光沢が鮮やかです。胸部と上翅に赤っぽい帯が走っています。家内と田舎に移住して6年目になりますが、タマムシを見たのは初めてです。

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タマムシの金属光沢は、翅の構造によるものです。薄い膜が何層にもなっている翅に光があたると、光は各層で反射し干渉し合って特定の色だけが強くなり、緑や赤の色を作り出します。構造色と言います。色素による色ではないので、翅の構造が壊れないかぎり、光があたると色を発します。個体が死んでも、翅の色はあせることがありません。また、光の具合で色が変わります。そのため、装身具に加工されたり、収納箱の装飾に使われています。後者で、有名な箱は、法隆寺の大宝蔵院に安置されている「玉虫厨子」です。厨子は収納具、大切なものを入れる箱、のことです。

凡夫の記憶では、厨子(箱)の4面にタマムシの翅が横一列に並んで張り付けてある箱です。ところが、今回、調べてみると、透かし彫りの金具の下にタマムシの翅が挟んであるとあります。どこで、どうして、記憶違いをしたものかわかりません。横一列にタマムシの翅がならんでいる厨子の画像を見た記憶があります。

この法隆寺の「玉虫厨子」、実際のものは、透かし彫りの金具内に挟まれていたタマムシの翅はほとんど無くなっているそうです。かろうじて、端っこの2個所に残っているのみとか。
ただ、復元品が2基製作されているそうですから、「玉虫厨子」がどのようなものであったのか、そして、タマムシの翅がどのように使われているのか、知ることができます。復元品の一つは、法隆寺の大宝蔵殿(大宝蔵院とは異なる建物)、もう一つは大阪の高島屋史料館に展示されているそうです。

アブラムシ

2023 7 24 (art23-0565)
クワイの栽培は病気や害虫による被害で手を焼くことはありません。かつて稲作用の苗を育てていた苗田に、クワイ床を作り、そこでクワイを栽培しています。今年で3回目になりますが、病害虫に関しては、アブラムシが年に2,3度発生する程度です。

ただ、アブラムシは交尾をしないで(単為生殖)、また、卵を胎内で孵化させてから仔を産みます(卵胎生)から、繁殖力が旺盛です。あれ、アブラムシが付いているなと気づいて放っておくと、数日後には茎がアブラムシにおおわれてしまいます。

アブラムシの発生は、施肥後、葉の緑色が濃くなると起きやすいようです。これは、アブラムシの嗜好、アミノ酸を好む、ことと関係しているのでしょう。

今回、アブラムシが発生し、茎に群がっていました。アブラムシの体は暗褐色で、サイズは大小まちまちです。おそらく、クワイクビレアブラムシだと思います。アブラムシの幼虫は4回脱皮して、蛹を経ずに成虫になります。極めて小さいのが1齢幼虫で、2齢、3齢、4齢と大きくなり、成虫になります。成虫は一回り大きく、ひたすら仔を産みつづけます。
こうなると、農薬をスプレーするしか手はありません。 スプレーの翌日には、死骸がついています。雨でも降れば洗い落されるのですが、このところ晴天続きで、そうもいきません。そのうち、風に吹き飛ばされるでしょう。

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スグリゾウムシ

2023 7 20 (art23-0564)
畑の北側、プルーンとウメの木の間に、イチジクの木が植わっています。後で植えたプルーンとウメの木が大きく生長し、低木のイチジクの木に覆いかぶさっています。見るからにイチジクの木は狭苦しそうです。そんなイチジクの木ですが、毎年、果実をつけてくれます。我が家では、もっぱら、果実はイチジクジャムにして食べます。

今年も、親指大の幼果が付いています。あと1ヶ月程たてば収穫が始まります。イチジクの栽培は、手入らずです。概ね、病害虫とは無縁です。ところが、今年は、スグリゾウムシが発生しました。集団で葉にとりついて、葉を齧りぼこぼこにしていました。

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スグリゾウムシは、体長6mm前後。体形は丸く、体全体が灰白色で、上翅に黒っぽい横帯がある。幼虫は土中で植物の根を食べる。成虫はフサスグリを好むが、ミカン、ハッカ、マメ、イチゴなど多くの植物の葉を食べる、とあります。
イチジクの葉を食べていましたから、ワモンヒョウタンゾウムシかと思いましたが、上翅の模様からスグリゾウムシのようです。

農薬を散布したくありませんので、退治方法は捕殺です。幸い、動きがおそいので、捕まえやすい虫です。しかし、捕まえようと手を伸ばし、葉にふれると、ぽとりと落ちます。これは擬死で、死んだふりをしています。しばらく動きません。
この習性を逆手に取って、葉の直下に容器をもっていき、葉にふれて容器に虫を落とします。容器が金属製のボールであれば、カンカンと乾いた小さな音が立ちます。捕まえた虫は、指先で押しつぶします。この時、外骨格が硬くて、指先に力をいれないと押し潰せません。力をいれて、プチッ、プチッと潰していきます。
捕殺作業を3日間つづけて、どうにか、ほぼ、退治できました。

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卓上バンドソー復活する

2023 7 17 (art23-0563)
趣味の木工で使っていた卓上バンドソー (リョービ/京セラ、TBS-80) が動かなくなりました。状況と状態から、整流子の導電板片(=整流子片)の1つが脱落したため、カーボンブラシが隣接の整流子片にぶつかり急激に摩耗・損傷し、モーターが機能しなくなったと判断しました。
バンドソーの使い方を思い浮かべても、整流子片の脱落を起こすような原因に思い当たりませんでしたので、リョービ/京セラにメールを送って、そのような脱落が起こるものなのか、問い合わせました。

京セラのカスタマーサービス担当のYさんから返信があり、複数回のやり取りの後、京セラでバンドソーを調べることになりました。モーターへの電圧供給に問題はなく、トラブルはモーター側にあると判断できましたので、モーターだけを送ることになりました。早速、分解していたモーターの部品を梱包して送り出しました。

モーターは、京セラに届いてすぐ、調査されたようで、すぐに、調査結果の電話とメールを頂きました。整流子片の脱落の原因を特定することはできなかったとのことでした。整流子面がかなりいたんでいたそうです。隣り合った整流子片 (commutator bar) の凸凹は、ハイバー(hig bar)、ローバー (low bar) と呼び、そうした凸凹はときどき生起するとのことでした。直流モーターは、ブラシと整流子が摺動接触しながら回転するものですから、ちょっとした整流子片の凸凹が不具合を起こすことは分かります。しかし、この凹凸は、整流子片の変形や摩耗、汚れによって生ずることですから、今回のように、整流子片そのものが脱落することとは違う事象であると思います。

頂いたメールには、調査が終了次第、代替品を送るとありました。翌日、代替品のモーターが届きました。バンドソーに取りつけて、試運転を行いました。問題ありませんでした。滑らかに動きます。変速ダイヤルを回すと、それに対応してブレードの速度が変わります。これまで通りの動きです。

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このバンドソーは気に入っていましたので、再び、使えるようになり、喜んでいます。整流子片の脱落の原因は分からず終いですが、リョービ/京セラの迅速な対応にはたいへん感謝しています。ちなみに、同社の電動工具は、バンドソーの他に、手押しカンナとトリマを使っています。

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メダカの稚魚

2023 7 13 (art23-0562)
この1ヶ月の間、メダカが産卵を続けています(art23-0553)。半透明の小さな卵が水槽の金魚藻に付着しています。卵をそのままにしておくと、親メダカが食べてしまいますから、卵のついた金魚藻を取り出して、別の容器に移します。代わりに、栽培した金魚藻を入れてやります。これを何回か繰り返すと、容器は金魚藻で埋まり、孵化したメダカの稚魚が増えていきます。

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稚魚の大きさに大小があります。大き目の稚魚が小さな稚魚を追っかけ回します。小さな稚魚は大変です。また、孵化したばかりの極小さな稚魚(針子と呼ぶ)は食べられる危険がありますから、さらに大変です。生存はなかなか厳しいものです。容器をたくさん用意して、水槽から取り出した卵の付着した金魚藻を別々の容器に移してやれば、捕食される危機はなくなるのでしょうが、面倒なので、そこまではやっていません。ただ、大きくなった稚魚は隔離します。

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ところで、水槽の親メダカは、ふと立ち寄った道の駅とメダカブリーダーの自宅で購入したメダカです。全身が赤色の ”楊貴妃” と、全身にまだらの模様が入った ”まだらメダカ” です。"楊貴妃" は体色の鮮やかさにつられて、”まだらメダカ” はいろいろな模様のメダカが産まれるとのブリーダーの言葉につられて、購入しました。

その親メダカの体色は、飼っているうちに、だんだん薄くなってきました。メダカの体色は育つ環境によって変わるようですから、ガラスの水槽で飼っているせいかもしれません。
軒下に置かれた容器の中で、100匹ほどの新生メダカが泳いでいます。この中から、際立った体色をもつメダカが育てばよいのですが。あわよくば、体形がずんぐりむっくりの ”ダルマメダカ” 、そして、赤い体色が加わった ”ダルマ楊貴妃” 様のメダカでも出てくれば愉快です。横浜の知友の話では、後者はメダカのブリーダーでも作ろうとして作れるものではないそうです。さて、どうなりますでしょうかな。
淡い淡い期待の前に、何匹生き残りますやら?

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卓上バンドソー壊れる

2023 7 10 (art23-0561)
1年半ほど使っていた電動工具の卓上バンドソー(リョービ/京セラ、TBS-80、art22-0416)の調子がおかしくなり、動かなくなりました。
最初の不調は、スイッチをONにしても回転を開始しないことです。しかし、カバーを開けて、手で少しプーリーを動かすと、回転を始め、普段通りに使えました。しばらく、そうして使っていましたが、プーリーを回しても、動かなくなりました。

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回転を開始しないのは電気回路のトラブルだと思っていました。しかし、モーター直下に黒い粉が多量に落ちていましたので、モーターの異変かと思い、カーボンブラシを点検してみました。外筒のブラシキャップネジをはずしたところ、1つから、スプリングとカーボンの小塊が出てきました。カーボンは金属製の留め具から離脱していました。もう1つには何もありません。スプリングもカーボン塊も。ただ、金属製の留め具だけがありました。どうなっているのかと、モーターを本体からはずして分解したところ、カーボンの粉が、モーター内部から多量に出てきました。この量には驚きました。さらに、カーボンブラシとスプリングが見つかりました。スプリングは、破断して3個のかけらになっていました。モーター内部で見つかったカーボン塊はかなりのサイズでしたが、片端が破損していました。これまた、驚きです。 さらに、円筒形の整流子を構成する16片の導電板を点検すると、導電板の1片がありません。また、周辺の導電板は焦げたように黒ずんでいました。

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状況から、こう考えました。
何らかの原因で、整流子の導電板の1片が脱落した。その為、モーターが停止するとき、回転軸がこの箇所で止まり、スイッチONで始動できなくなった。ただ、手で少し回して位置を変えると回転を始める。
整流子の導電板の1片が欠けて生じた凹みと、隣の導電板との間に段差ができる。回転すると、カーボンブラシがこの段差にぶつかり削られる。モーター内にカーボンの削粉が溜まり、同時に、空気を通す隙間から外に出て落下し、カーボンの黒い粉が直下にも溜まる。カーボンの片端が破損する。変形したカーボンは、整流子の凹み部に引っ掛かりスプリングごと、内部に引き込まれる。そして、スプリングの破断がおこる。こうなると、もやは、回転をすることはない。

カーボンがすり減って回転しなくなることは、よく聞きます。この場合には、少しずつすり減りますから、今回のように、カーボンの粉末が多量にモーターの内部や直下に溜まることはないと思います。今回の故障の原因は、整流子の導電版の1片が脱落したことだと考えられます。

使用頻度が低く、また、無理をしない使い方をしてきたつもりです。まさか、モーターが、モーターの整流子の導電板の1片が脱落するとは、思ってもみませんでした。そもそも、1年半ほどの使用で、整流子の導電板の1片が脱落するものでしょうか。幾種かの電動工具を数年使ってきた凡夫に言わせると、この程度の使用で、脱落し壊れるようでは、電動工具としては欠陥品です。よく名の知られたメーカーの製品だけに残念です。
整流子の導電板の1片の脱落について、メーカーに問い合わせています。

ウメの丸太

2023 7 6 (art23-0560)
いろいろな木を使って木工を楽しもうと、いろいろな木の丸太を集めています。入手方法は「ジモティーのあげます/売ります」です。

先日は、ラカンマキとカイズカイブキの丸太を手に入れました。ラカンマキは、イヌマキの変種で、生垣や庭木に使われいます。カイズカイブキは、ビャクシンの変種です。幹は歪な形をしているので、輪切りにして、花台や置物台として利用されています。

昨日は、ウメの丸太を手に入れました。
ウメには紅梅と白梅があります。花の色で区別しているのではなく、心材が紅褐色のウメを紅梅、淡色のウメを白梅と呼んでいます。花の色と心材の色はぼぼ一致していますが、100%ではないそうです。

入手したウメの丸太は、木口面が赤っぽく、心材が紅褐色なので、紅梅だと思われます。また、大きな幹には、心材の色あいに濃淡があり、ちょっとした模様になっています。このあたりを使ってマニ風の器(くり鉢)を作ってみると面白いかもしれません。

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雨の日は昔の映画でも観よう

2023 7 3 (art23-0559)
朝食前に畑に出て、プルーンの木に防虫剤を散布しました。雨が続き、散布が延び延びになっていましたが、昨日、今日と雨が一段落したようなので、決行しました。プルーンの木が大きくなり、脚立を使っての作業なので、時間がかかり、ひと仕事です。

雨が上がった昨日、3番目のミニトマトが萎れました。青枯れ病です。結局、ミニトマト3株ともダメになりました。土壌中に病原細菌が潜伏していたのでしょう。残念ながら、今年は自家製ミニトマトを食べることができません。

さて、本題です。
1950年代の映画を立て続けに観ました。「沓掛時次郎」、「大利根の対決」、「初姿丑松格子」、そして、「六人の暗殺者」です。いずれも島田正吾が主演の作品です。映画はPrime Videoで視聴します。料金がかかりませんから、ありがたいことです。もっとも、会費を納めているからですが。

島田正吾は、ウィキペディアによりますと、1905年に横浜市で生まれ、2004年に98歳で亡くなった新国劇の俳優です。新国劇は1917年に創設され、「剣劇」を創案したことで知られています。島田正吾は、1923年に入団し、1931年には辰巳柳太郎とともに主役に抜擢され、以降、2人は、長い間新国劇の大黒柱として活躍したそうです。「動の辰巳、静の島田」と呼ばれていたとか。

最初に、「沓掛時次郎」を観ました。
博徒の男(時次郎、島田正吾)が、一宿一飯の恩義から、何の恨みもない男(三蔵、辰巳柳太郎)を斬り殺す。息を引き取る寸前の男から、身重の妻(おきぬ、水戸光子)と子供(太郎吉、香川良久)を託され、おきぬの実家へ送り届けることになる。道中、太郎吉はなついたが、おきぬは憎さを露わにして距離をおく。おきぬと太郎吉は実家(兄夫婦)で暮らすが、肩身が狭い。一方、おきぬを送り届けた時次郎は刀を捨てて堅気になる。しばらくして、おきぬと再会する。二人は惹かれ合い一緒に暮らすことになる。これで、終わりかと思いきや、更に続く。
おきぬが出産を前に病気にかかり、金が必要になる。金を稼ぐため、時次郎は一度捨てた刀を手に、ヤクザの喧嘩に助っ人として参戦する。ほうほうの体で生き長らえた時次郎は、金を手におきぬの元へ駆けつける。おきぬは時次郎の名を連呼しながら亡くなる。失意の時次郎は太郎吉を背負って旅路につく。

ありきたりの単純なストーリーですが、楽しめました。この映画の公開は1954年です。時に島田正吾48歳、新国劇に入団して31年、既に大ベテランです。画面からも堅実な芸風、伝わってきます。
島田正吾主演の他の同時代の映画を3本視聴しました。いづれの映画も楽しめました。なかなかの俳優です。昔の映画、よいものです。それだけ、歳をとったと言うことでしょうかな。

余談ですが、沓掛時次郎の物語は、股旅ものの傑作と評されているそうです。原作は、長谷川伸の戯曲で、1928年6月、雑誌『騒人』に掲載され、同年11月に単行本化、12月に新国劇によって帝国劇場で初演された、とウィキペディアにあります。
なお、映画だけでも、8回作られたそうです。公開年と時次郎とおきぬ役の俳優は以下の通り。

1929 大河内伝次郎 酒井米子
1932 海江田謙二 酒井米子
1934 林長二郎 飯塚敏子
1936 浅香新八郎 山田五十鈴
1953 長谷川一夫 山根寿子
1954 島田正吾 水戸光子
1961 市川雷蔵  新珠美千代
1966 萬屋錦之助 池内淳子


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