今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

クワイの収穫

2022 12 29 (art22-0506)
正月用のクワイを収穫しました。

今年も、田圃に穴を掘り、ビニールシートを敷き、土をいれてクワイ床を作り、5株のクワイを栽培しました。青々としていた葉が、10月中旬になると、枯れ始めて、11月に入ると、ほとんどの葉が枯れてしまいました。今では、すっかり枯れあがった葉が倒れています。

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枯れた葉を取り除くと、株元から多数のほふく茎が下方に伸びている様子がよく見えます。ほふく茎は土の中で長く伸びて、先端に芋を付けます。株元のほふく茎の数から、多くの芋(塊茎)がついていると期待したのですが、掘り起こしてみると、期待したほど芋がついていませんでした。芋のついていないほふく茎がことのほか多数ありました。
葉の勢いがなくなる10月に入っても、株元から新芽がでて、下方に茎を伸ばします。そうした栽培後期に伸びたほふく茎の先端には芋が付かないようです。地上部が枯れてきますから、養分の供給が滞るのでしょう。思うに、栽培後期のほふく茎は、芽の段階で摘み取った方が、よさそうです。

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収穫した泥だらけのクワイを持ち帰り、ほふく茎を切り取り、水洗しました。数は少ないのですが、大きなクワイがとれました。これで、今年も、自家製クワイを正月に食べることができます。

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Windows8.1 からwindows10へ

2022 12 26 (art22-0505)
PC(Personal computer、パソコン)のOS (Operating system) を、Windows 8.1からWindows10へアップグレードしました。「Windows8.1のサポートは2023年1月10日に終了します」とMicrosoftからアナウンスされていました。その期日が迫り、遅ればせながら対応しました。サポートが終了してもPCは使えます。しかし、Windows8.1のままではセキュリティ更新プログラムを受け取らなくなるようで、マルウェア(Malicious software、悪意のあるソフトウェア) 感染のリスクが高くなります。

凡夫は、ノートPCをディスプレイにつないで使っています。ノートPCはLet’s note SX2で、2013年発売モデルです。仕様はIntel Core i5-3340M (2.70GHz)、RAM 4GB、SSD 128GBです。定年退職する直前に、秋葉原のパソコン中古店で手に入れた中古品です。10年間使用してきましたが、トラブルもなく動いています。購入した時のOSはWindows7でした。Windows7のサポートが切れる(2020年)前に、Windows8.1にアップグレードしました。

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家内はWindows11のPCを使っています。今回、Windows11へアップグレードすることも、考えたのですが、アップグレード要件の一つに、64GB以上のストレージとあり、凡夫のPCにはちょっときついと判断し、ストレージ容量が少なくてすむWindows10にしました。こちらは20GBです。

Windows8.1からWindows10へのアップグレードは、Microsoft公式サイトのページ『Windows10のダウンロード』にアクセスして行いました。「ツールを今すぐダウンロード」をクリックし、ツールをダウンロードした後、ダウンロードしたツールで『何を行いますか?』のページで、「このPCを今すぐアップグレードする」を選択しました。アップグレードが完了するのに、かなり時間がかかりました。PCが数回再起動しました。ただ、放っておけば、勝手にやってくれます。

OSがWindows10にアップグレードされて、PCの起動と終了の動作が早くなりました。画面表示の設定をいじり、使い慣れた以前の表示に近づけました。今のところ、抵抗なく使えています。
Microsoftから、Windows10のサポートは2025年10月14日まで、とアナウンスされています。3年ほど後に、また、対応することになります。面倒なことですが、やむを得ません。

FIFAワールドカップ決勝戦

2022 12 22 (art22-0504)
18日の深夜、NHKで放映されたFIFAワールドカップの決勝戦(アルゼンチン対フランス)を録画して、19日の朝、ビデオで観戦しました。

とても、エキサイティングな試合でした。
アルゼンチンが前半に2点先取しました。これでアルゼンチンの勝ちかなと思っていましたが、さにあらず。後半に、フランスが立て続けに2点を入れて同点にしました。延長戦に入り、前半にアルゼンチンが得点しました。今度こそ、これで決まりだろうと思っていましたが、ふたたび、さにあらず。後半の終了近くで、フランスがペナルティキック(PK)から点を入れて、同点としました。そして、PK戦です。アルゼンチンは4人が連続して成功しましたが、フランスは2人目と3人目が失敗しました。結果、アルゼンチンが 4-2 でPK戦に勝って、ワールドカップ決勝戦の勝者となりました。

PK戦で、アルゼンチンの4人目のキッカーは首に星マークの刺青を入れていました。この首の刺青は、延長後半の終了近くで、フランスにペナルティキックを与えた選手の首にあったように思えました。録画ビデオを巻き戻して検分したところ、まさにそうでした。
この選手の反則はハンドで、ゴールエリア内で、フランス選手のシュートを防ごうと立ちふさがった時に、キックされたボールが腕に当たりました。素人目には “たまたま” 当たっちゃったと思えるものですが、プロではこれは避け得る、避けなければならないものなのでしょう。ともあれ、この反則でアルゼンチンは失点することになりました。勝利をほぼ手中にしていたアルゼンチンチームの失意は大きかったように思います。また、ハンドをとられた選手の心中はどのようなものだったのでしょう。プロの選手ですから、こうしたことは今まで何度かあったかもしれませんが、舞台はワールドシリーズの決勝戦ですから、特別です。
この選手が、PK戦、あと1人が成功すればアルゼンチンの勝利となる場面で登場し、みごとに成功させ、仲間にもみくちゃになっていました。劇的でした。それも、よい方へ。

決勝戦(準決勝も)には、新しいデザインのボール「Al Hilm (アル・ヒルム)」が使われたそうです。アラビア語の「アル・ヒルム」は、『夢』を意味するそうです。

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今年のキンカン

2022 12 19 (art22-0503)
天気予報通り、昨日(18日)の朝、廊下のカーテンを開けると、雪が積もり庭一面を白色に変えています。山間部での積雪は報道されていましたが、平野部での積雪はこの冬初です。
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この寒さを見越して、一昨日(17日)、キンカンの実を収穫しました。20数個の実を付けていました。この木は、畑の東端柿と梅の木の間に、2019年の秋に植え付けたものです。

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昨年も実が付きました。食べてみると、皮がかたく甘味も少なく、生食には向いていませんでした。今年は、生育がよく、早くに果皮が黄色になりましたから、期待しながら家内と食べてみました。甘味はあります。しかし、皮がかたくて、生で食べるには、ちょっと、無理があります。

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1, 2 月は気温が下がりますから、凍害で傷んでしまうことがあります。様子をみて早めに収穫することになります。早くに収穫した今年のキンカンには、甘さはのっていましたが、皮がかたいという問題がのこりました。長く木につけておいても、皮が柔らかくなるとは思えません。甘さは多少増すでしょうが
皮を柔らかくする栽培方法があれば、試してみたいのですが。参考になる資料がありません。販売されている生食用のキンカンは、施設で栽培されているものです。おそらく、過保護的に管理栽培すれば、表皮がかたくならないのではと思います。来年は、着果後に、木全体をビニールで覆って栽培してみようか、と考えています。少なくとも、気温が上昇し、風がじかに当たらなくなるでしょう。

馬の山--文芸の丘

2022 12 15 (art22-0502)
寒波の襲来とかで、昨日から急に寒くなりました。今朝も寒く、本格的な冬の到来のようです。しばらく、巣篭り生活になります。エアコンと加湿器、そして足元用のホットカーペットの世話になります。

先週の金曜日の午後、車のタイヤ交換を行いました。近くの自動車運転免許試験場の駐車場に車を停めて、冬用のタイヤに交換しました。家内と2人で1時間ちょっとの作業です。
その日は、晴れて暖かい日だったのですが、翌日の土曜日も、上天気でしたから、馬の山へ行きました。

馬の山は東郷湖の北側、日本海との間に位置する山です。低い山で、大小25基の古墳(橋津古墳群と呼ばれています)があります。山頂には展望台とハワイ風土記館がたっています。コンクリート建ての展望台は、凡夫が子供の頃からのものですから、いたるところコンクリートが剥がれて老朽化しています。
ハワイ風土記館は、平成4年(1992年)に建設されました。古墳から出土した埴輪と城をイメージした建造物だそうです。360℃ガラス張りの最上階から、東郷湖と羽合平野、そして、日本海に続く砂浜地が一望できます。

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風土記館を取り巻くように、石碑が並んでいます。文芸の丘と名づけられています。石碑には、地元の人が読んだ俳句や短歌が刻まれています。そのなかに、”牛歩” と銘が打たれた句碑を見つけました。”牛歩” は、温泉のおじさんの ”ペンネーム” です。

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温泉のおじさんは、祖母の、年が離れた弟です。温泉地区の旅館 ”浅津苑”(今は、湯の宿 彩香)に隣接した一軒家に、おばさんと住んでいました。正確には、おおおじになるのですが、温泉のおじさんと呼ばれていました。父と歳が近いこともあり、家で何かイベント(多くは飲み会)があると、おじさんの姿がみられました。凡夫は、小中生の頃、温泉のおじさん宅を幾度となく訪ねています。特に、正月は欠かさず。高専生となってからも、米子から帰ると、おじさんの所へ行って、お年玉をもらっていました。

温泉のおじさんとおばさんの死後、父母が供養をしていました。父母が亡くなった後は、凡夫と家内が引き継いでいます。命日には経を読んでいます。おじさんとおばさんの遺影写真は、仏間の長押に、祖母と父母の写真の隣に、2人並んで掛かっています。

ダイコンの葉を切り落とす

2022 12 12 (art22-0501)
今年は、ダイコンが早く大きくなり、11月末から収穫して食べています。特に、11月に入ると、根部が急速に大きくなりました。これは、高温によるものでしょう。県下の最高と最低気温を昨年と比較してみると (播種日の9月9日からの気温を、3日間の移動平均でプロット)、11月は最高、最低とも気温がかなり高くなっていることがわかります。根部が大きくなるのはよいのですが、程度があります。ダイコンは肥大し過ぎると、内部にスや空洞が入り、食感と味が落ちます。それを避ける為、ある程度大きくなったところで、生長を止める必要があります。

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12月に入ると、ダイコンの頭を切断しました。切り取った葉をひっくりかえして、切断面を覆うようにかぶせてやりました。これで、生長は止まる筈です。根部はそのまま地中にありますから、ダイコンは生きています。安定している土の湿度と温度の中で、生きたまま保存されていると言えます。しかし、ここまで葉を落としたのは今回初めてですから、実際、どうなるか、わかりません。

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本『銀色の翼』と 脈診

2022 12 8 (art22-0500)
佐川光晴の『銀色の翼』(2006年、文芸春秋)を読みました。
脳腫瘍で緊急開頭手術を受けた後に精神を病んで入退院し、慢性の頭痛持ちとなった主人公雪村和夫が、慢性頭痛友の会で知り合った片頭痛持ちの看護師の美恵子と出会い、結婚し、茅ケ崎にマンションを購入して一緒に住む。結婚は入籍のみで、和夫は29歳、美恵子は36歳。美恵子は訳ありの過去をもつようであるが、一切明かすことはない。和夫がせめて家族関係を知りたくて、問い質しても恵美子からの返答はない。

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"銀色の翼" は、恵美子が片頭痛の前兆としてみる閃輝性暗点(視野の中にギザギザ・キラキラとした光の波ができ、次第に広がって暗くなり見えなくなるという現象)のことです。自身も片頭痛に悩まされていた芥川龍之介が、小説『歯車』のなかで、"銀色の翼" と表現したところから使われるようになったそうです。銀色の翼(閃輝性暗点)は20分程で消えます、そして、頭痛が起こるそうです。

さて、頭痛持ちの2人の生活がどうなっていくのか、面白く読めますが、特別な興味をもった点は、脈診です。
和夫は恵美子の金銭的援助を受けて、鍼灸専門学校に通い鍼灸師の資格を取ります。ある日、和夫は、恵美子の脈診を行って、「下腹部になにか塊がある。妊娠ではないのだから、子宮筋腫かもしれない」と伝え、病院で検査を受けることを勧める。検査の結果は、ごく初期〔ステージ0期〕の子宮体部癌であった。

脈診がそんなことまでわかるとは驚きです。 中国の時代劇ドラマ、例えば、『瓔珞(エイラク)〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜』や『如懿伝(ニョイデン)〜紫禁城に散る宿命の王妃』などでは、何か体調が悪い時は、医者が脈を取って診断し、処方するシーンがよく出てきます。

ウィキペディアには、脈診(みゃくしん)とは、患者の脈に触れて拍動の強さや早さ、硬さや太さ、浮き沈みなどを把握することで、疾病の状態を診察する方法。中国医学では、気血の状態が脈に現われ、脈診で臓腑の様子が分かると考えたため、古くから行われ、診断において重視された。昨今の中国医学では、四診(望診・聞診・問診・切診)の一つである切診に含まれる、とあります。
また、別の記事では、脈診で取れた「脈位」、「脈形」、「脈勢」などの情報は、病気の位置、邪気の種類、体力の強弱、臓器機能の盛衰などを判断することに役に立ちます、とあります。

現代医学では、大型機械に依存した検査によって、どこそこの臓器のこれこれの場所に、このような異変があるので、あなたは○○の病気であると診断します。ピンポイントで異変が検出できますから、その病変部だけが、治療の対象になります。一方、脈診では、ちょっと、腕の脈をとって、あなたの□□臓器は衰弱していますと診断しますから、その臓器が治療対象になります。ここに漢方が登場します。

自分が歳をとってわかったことがあります。体のあちこちにガタが出てきます。ガタを治すために病院にかかります。しかし、ガタは一つではありませんから、あちこちの病院にかかることになります。治したガタは、しばらくするとまた悪くなります。さらに、新たなガタがでてきます。週一であった病院通いが、週二になり、週三になり、いつの間にか、毎日病院通いをすることになります。こうなると、ピンポイントで診断し、ピンポイントで治療を行う現代医学の限界と言えそうです。
歳をとると心身がつかれやすくなります。どうも、ガタは、心身がつかれてくると出てくるようです。ガタを治すために病院へ行くのですが、むしろ、ガタが出てこないように、歳をとったら、心身(心と体)に活力をつけることが肝要のようです。さて、その方法とは?

ナスの終了

2022 12 5 (art22-0499)
今年のナスの栽培は終わりました。
11月に入ると気温が下がり、果実が大きくなるのに日数がかかるようになりました。さらに、果実の下部に薄茶色のシミが出てきたり、縦に亀裂が入るようになりました。11月末になると、果実の肥大はとまりました。ここまでかと、28日、茎に付いていた小さな果実を全て取って、株を処分しました。

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今年は、ナスの栽培方法をすこし変えました。例年、夏の収穫が終ると、根切りと更新剪定を行い、株を若返らせて、新たに実が生るようにしていました。しかし、今年は、そうした更新作業をせず、替わりに、着果数と生育のバランスをとることで、株を良好な状態で維持してきました。3つのナス品種(黒陽、千両2号、庄屋大長)とも、一度に多くの果実は収穫できませんが、少数の果実を、長い間コンスタントに収穫できました。普通サイズのナスが収穫できた最終日は、11月23日です。

家内と2人暮らしですから、数本のナスが長い間収穫できれば十分です。長い間収穫できれば、総数は上がります。黒陽、千両2号、庄屋大長の収穫総数は、それぞれ、32、41,28本ですから、悪い数字ではありません。いずれの品種とも、7, 8月に収穫した本数よりも、9-11月に収穫した本数の方が上回っています。

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今年の試行から、株に無理をさせず、長い間良好な生育状態を保つことで、コンスタントに少数のナスを生らせる栽培方法は、自家製ナスを長い間食べたい人向きであると言えそうです。加えて、株が元気であれば病害虫に強いようで、今年は農薬を一度も使いませんでした。これまた、自分で育てて、自分で食べるナスを栽培したい人に合った栽培方法です。

ダイコンの収穫

2022 12 1 (art22-0498)
ダイコンを収穫して食べています。
今年は、夏野菜(トマト)の栽培を早めに終了し、ダイコン用に畝を立て直しました。通常の播種期に種を撒くことができましたので、初期生育がよく、11月中旬には収穫できるぼど、大きく育ちました。

ダイコンの栽培は、手が掛かりません。
  1. 畝を立てて、ダイコンの種を3粒ずつ播いて、防虫ネットを張る。(9月9日、art22-0476

  2. 5、6番目の本葉が出てきたころ、間引いて1本立ちにする。同時に、株の周辺に化成肥料をまいて、土と混ぜて土寄せを行う。(9月25日)
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  3. ダイコンの葉が、防虫ネットに触れるようになったら、防虫ネットを取り外す。(10月13日)
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  4. 根部が肥大したら、収穫する。(11月末から)
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農薬は一切使いません、また、追肥は1回だけです。ダイコンは肥料のいらない野菜だと言いますが、本当にそうです。放っとけば育ちます。

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本「おどろでく」の『大字哀野』

2022 11 28 (art22-0497)
歯周炎による顎の腫れを自力で抑え込むため、この1週間、休養中との銘を打って、部屋でブラブラ過ごしました。と言っても、やっていたこと(木工作業場の改装作業)を中断しているだけのことです。気ままに、サッカー試合をTV観戦したり、音楽を聴いたり、本棚の本、あるいは、アマゾン通販で手に入れた中古本を読んだり、です。

読んだ本の一冊に、1994年7月に講談社から出版された室井光広の本「おどろでく」のなかの一編『大字哀野』があります。会津地方の郷里、大字哀野、の診療所に赴任してきたユダヤ系アメリカ人の父と中国人医師の家系の母をもつ医者、アイヤ氏、をめぐる物語です。母親がつけていた農事暦をたよりに、アイヤ氏が赴任してきた昭和48年から12年間ほどの往時を回想したもの。アイヤ氏のアイヤはニックネームで、喜怒哀楽の折々に大げさなしぐさで、アイヤ!と叫ぶところから付けられたもので、氏は見た目は全く西洋人です。

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米作、養鶏、葉タバコ栽培で暮らしをたてる一家族とアイヤ氏との関わりがアレコレ回想されます、赴任歓迎会に参加した高二の妹ユリは、後に、病院看護師の見習いとなり、アイヤ氏と結婚し子をもうけて、離婚するとか、祖母が土蔵の2階で首つり自殺をするとか、腎臓がんで父が死ぬとか。
そんななかで、同じ会津地方出身の野口英世の母シカの手紙が一部引用されています。Webで全文を調べました。シカの手紙の日付けは、1912(明治45)年1月23日。手紙を受け取った英世は、1915(大正4)年に15年ぶりに帰国し、母との再会を果たしたそうです。

おまイの。しせにわ。みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかたのかんのんさまに。 さまにねん。 よこもりを。 いたしました。
べん京なぼでも。 きりかない。
いぼし。 ほわこまりをりますか。おまいか。きたならば。もしわけかてきましよ。
はるになるト。 みなほかいドに。 いてしまいます。 わたしも。 こころぼそくありまする。ドかはやくきてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにもきかせません。それをきかせるトみなのまれて。しまいます。
はやくきてくたされ。 はやくきてくたされはやくきくたされ。 はやくきてくたされ。 いしよのたのみて。 ありまする。にしさむいてわ。 おかみ。ひかしさむいてわおかみ。 しております。 きたさむいてわおかみおります。みなみたむいてわおかんておりまする。
ついたちにわしをたちをしております。 ゐ少さまに。ついたちにわおかんてもろておりまする。なにわすれても。 これわすれません。
さしんおみるト。 いただいておりまする。 はやくきてくたされ。 いつくるトおせてくたされ。
これのへんちちまちてをりまする。 ねてもねむられません。

この感動的なシカの文体が物語のなかで、効果的に使われています。

土蔵の2階で首つり自殺をした祖母は、田畑デ身体ヲ動カセナクナッタ百姓ハ死ナネバナラナイとの「情」を頑なにもつ、凛々たる誇り高き百姓であったとあります。はやく死ぬことを願望していた祖母は、野口シカが毎年夜籠りした中田の観音様にも、詣でていたようで、「はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ」と連呼し、楽に死なせてくれるという観音様の功徳を心待ちにしていた。また、祖母は、自殺の一週間前、アイヤ氏の診断を受け、終わると両手を広げて頼んだ。
いっしょのたのみて。ありまする。にしさむいてわ。おかみ。ひかしさむいてわおかみ。しております。きたさむいてわおかみおります。みなみさむいてわおかんでおりまする。おせてくたされ。楽に死ねるクスリをまちておりまする。どうか楽に死ねるクスリを。
しかし、アイヤ氏は、祖母の願いを、奇妙なユダヤカバラの祈りのような奇態なゼスチャーを放出することで拒んだ。そのゼスチャーは、東西南北の四方に次々に向いて頭を地につけて身を投げ出す、氏があみだした祈祷法である。にしむいてわおかみ。ひがしむいてわおかみ。きたむいてわおかみ。みなみむいてはおかみ、である。

歯周炎の悪化

2022 11 24 (art22-0496)
下顎の右側、犬歯のあたり、が腫れてきました。腫れ部を触ると痛みがあります。この痛みは、気味の悪い痛みで、馴染めません。口をひらくと、顎の一部が腫れて強張っているため、口が歪みます。顎の腫れは先週の土曜日の朝からです。その数日前に、下右犬歯の歯茎に違和感がありましたから、歯周炎の悪化/再発でしょう。このところ、納屋2階の木工作業場の改装を行っていて、疲れ気味でした。

歯周炎には、辺縁性歯周炎と根尖性歯周炎があるそうです。どちらも、細菌の感染・増殖によっておこる炎症ですが、細菌の感染経路に違いがあり、辺縁性歯周炎は歯と歯茎の境目から、根尖性歯周炎は根管からです。一般に歯周病と呼ばれているものは、辺縁性歯周炎です。

根尖性歯周炎の症状は、疲れたときに歯ぐきが腫れる、歯ぐきからうみが出てくる、噛むと違和感・痛みが出る、だそうです。いずれも、凡夫の症状にあてはまりますから、凡夫の歯周炎は、根尖性のようです。
根尖性歯周炎の主な原因は「虫歯」だそうです。虫歯が重症化して歯髄にまで感染が及び、そこで繁殖した細菌が根尖まで漏れ出てしまうことで生じるとあります。しかし、凡夫の下右犬歯はむし歯ではありませんから、細菌の感染経路はどうなりましょうか。犬歯の歯周ポケットが相当深いので、歯周ポケットの細菌が根もとまで到達し、そこで繁殖したかもしれません。しかし、実際そんなことが起こるのでしょうか。

顎の腫れ、そしては、口の歪みは少しずつ治まっています。今回は、自然治癒力をみてみようと、抗菌薬(抗生物質)を服用していません。木工作業場の改装作業を中断し、気ままに、音楽を聴いたり本を読んだりして、体を休めています。

医院の歯科衛生士から、歯の磨き方の指導を再三受けました。時間をかけて丁寧に歯を磨くようにしています。しかし、どんなに丁寧に歯を磨いても、凡夫の歯周炎の原因菌を根絶することはできないだろうと思います。できることは、悪化しないようにすることです。
しかし、歳とともに、体力が低下し、疲れやすくなり免疫力も低下します。そうなると、体が細菌に対抗できなくなりますから、早晩、歯周炎が酷く悪化し、歯科医の本格的な治療を受けることになるでしょう。こまったものです

ところで、肩がこっているのですが、歯周炎と関係があるのでしょうか。

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本「この人の閾」の『夢のあと』

2022 11 21 (art22-0495)
保坂和志の『夢のあと』を読みました。これは、1995年に新潮社から出版された本「この人の閾」の中の一編です。

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話は、6月のとある日曜日に、知り合いの女の子と東京から鎌倉へ行って、ちょっと前に知り合いになった笹井さんを訪ねて、3人で、鎌倉を見て歩き回るだけの話です。かつて笹井さんが子供の頃に遊んでいた場所が、今どうなっているかを見てみようと。

鎌倉駅の西口のキオスクで待ち合わせた3人は、そこから由比ヶ浜銀座通りを南西へ下り、突きあたりの広い道路を西へ進み、六地蔵交差点で由比ヶ浜海岸へと続く細い道に入る。途中、かつて、笹井さんがメンコとコマ遊びに興じていた江ノ電の和田塚駅に立ち寄った後、海岸の手前の公園で一休みをする。かつて、ここは広い空き地で、笠井さんは草野球をやっていたところ。
由比ヶ浜を500メートルほど西へ歩き、坂ノ下あたりで、海岸道路に上がり、北上して長谷観音へ。山門手前の駐車場を奥に進み、長谷観音の裏庭のような場所を見学する。ここは、かつての笠井さんの遊び場、今は、日本庭園の造りかけの工事現場様で雑然としている。次に、すぐ近くの光則寺への坂を上る。門の手前は笠井さんが通っていた幼稚園があったところ。かつての園の遊び場は日本庭園の造りかけの工事現場のような見てくれ、そして、園舎は取崩し前の建物風。笠井さんに「おれの見て回るところが、次々となんにもなくなっている。もう、絶句しちゃうよね」と言わせる。

1993年6月から2013年11月までの20年間、横浜市栄区に住んでいました。栄区は鎌倉市に隣接していますから、鎌倉へは幾度となく行きました。多くは大船駅に出て電車で鎌倉へ行きましたが、時には、栄プールに出て、そこから歩いて山に入り天園ハイキングコースを辿って鎌倉へ行きました。ある年の大晦日の深夜、家族全員で、懐中電灯を手に、山を越えて鎌倉天満宮へ行ったこともあります。

この作品は具体的な地名・固有名詞で語られているので、土地鑑がある読者は、臨場感を覚え、3人が見て回っている姿をリアルな情景として脳裏に浮かべることでしょう。そして、日常の、どこにでもありそうな会話が聞えてきます。すこし、理屈っぽい感はあるものの、十分楽しめます。

しかし、かつてあったものが、なにもかもなくなっている今を見て、
「夢のあとみたいだ」という感想を言いたくなって声に出すと、「なんかさあ、『夢のあとみたい』とか言っちゃうと、それで、何か言ったような気になっちゃうけどさあ。でも、本当はそういうのって、何も言ってないのとおなじことじゃない」と笠井さんに言わせる。
ここには見てきたものをうまく言うことの難しさ、があります。言葉にするには、見てきたものに対して誠実であることが求められる。言葉一つでも、なかなか大変です。

晩秋のナスと柿

2022 11 17 (art22-0494)
今年は暖かいせいでしょうか、まだ、ナスが生長しています。果実も大きくなり、収穫して味わっています。”晩秋のナス”、なかなかよいものです。

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例年、11月に入ってから作った干し柿は、表面に粉がふいて白っぽくなりますが、今年は、まだ、粉吹きはみられません。これも、暖かいせいでしょうか。
我が家には、2台の大きな冷蔵庫があります。一台は台所に、もう一台は階段下の廊下にあります。これには、今年作った、袋詰めにされたドライプルーン、ビン詰にされたイチジクジャム、マーマレード、梅干しなどが収まっています。今年の干し柿もこの冷蔵庫に保存されます。季節に関係なくいつでも食べることができますから、”晩秋の干し柿”、なかなかよいものです、と言うと、語弊を招きますな。

2本の柿の木を育てています。一本は渋柿「平核無」です。6日に今年の収穫を終えました。たわわに実っていた柿の木は、今では、高所に1つの果実を付けているだけです。特に意味はないのですが、毎年、何となくそうしています。
もう一本の柿の木は「次郎」です。大型の甘柿で、果皮の赤さが際立っています。食べごろになると、先端に亀裂が入ります(果頂裂果)。果実は硬く、噛めば噛むほどに甘みが増します。収穫期が長く、今月末まで続きます。まだ、木には数十個の果実が付いていますから、今しばらくの間、味わうことができます。”晩秋の甘柿”、なかなかよいものです。

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塩水浴

2022 11 14 (art22-0493)
金魚を飼っています。横浜市に住んでいたときからですから、随分長くなります。定年退職後、横浜市から京都市へ移住し、4年後に京都市から鳥取県の湯梨浜町に転居しました。住所が変わる度に、金魚をバケツにいれて、いっしょに移動しました。湯梨浜町に移って、かれこれ5年たちます。今も、3匹の金魚が同居しています。

金魚は、時々、元気がなくなります。時期的に季節の変わり目に多いようです。水温の変化が関係しているだろうと思います。ときには、体表に白いつぶつぶが現れます。大きさは0.5-1.0mmほどです。最初は、尾びれや腹びれに、そして、胸びれから鰓に、放っておくと、唇にも現れます。これは、白点病で、寄生虫の一種、ウオノセンチュウの繁殖によるものです。同じ水槽の他の金魚に感染します。

白点病の症状が現れると、0.5%の食塩水をいれた水槽に移します。塩水浴です。2日ごとに塩水を交換します。一週間ほどの塩水浴で、白いつぶつぶが消失します。 塩水浴は、白点病だけでなく、動かなくなってじっとしている時や餌を食べなくなった時も、使います。塩水浴だけで不思議と回復します。何か異変があると、とりあえず、塩水浴です。

金魚の体液の塩分濃度は、0.6%です。水槽の水より塩分濃度が高いため、浸透圧の差が生じます。そのため、水槽の水が、体内へ入ってきます。体内へ入った水は、大量の尿として排出されます。そうすることで、体内の塩濃度は一定に保たれます(浸透圧調節機能)。弱った金魚には、この浸透圧調節が負担になりますから、水槽の塩分濃度を体液の濃度に近づけることで、負担を軽減してやります。これが、塩水浴(0.5%食塩水)です。また、水槽の塩濃度を高くすると、ウオノセンチュウの増殖が抑えられると言われています。

今まで、金魚の危機を塩水浴だけで回避してきたのですが、今回は、どうでしょうか。白点病に罹った金魚の目が白く濁りました。塩水浴で、ひれの病状は消失したのですが、目の白濁は残りました。塩水浴から普通の水に移して、何度か水を換えて様子を見ています。動きが良くなってきたので、目の白濁もなくなるとよいのですが・・・。

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