干し柿 (2019)
2019 10 31 (art19-0184)
今年も、柿をつるしました。
昨年作った自家製干し柿を、今も、食べています。完成後冷凍しておけば、甘味が落ちることなく保存できますから、一年中食べることができます。これに気をよくして、今年も、家内と2人で、干し柿作りに精を出しました。
柿は “平核無”(ひらたねなし)と言う渋柿の品種です。このあたりで干し柿にされる渋柿はもっぱら “西条柿” です。ずんぐりした丸みのある縦長の柿です。また、木の上で柔らかくなるまで完熟させると、渋味が無くなりとろっとした果肉の甘さを楽しめます。凡夫の栽培している平核無柿は、名前の通り平たい、角ばった、種の無い渋柿です。もっぱら東北や北陸地方で栽培されている柿です(ちなみに、西条柿の栽培は中国地方です)。平核無柿は干し柿の他に、炭酸ガスやアルコールで渋抜きして食べられています。
畑に植わっている平種無柿の木は1本です。大きな木ではありませんが、昨年、沢山の実(約500個)をつけました (art18-0072)。それ故、周辺の人は、「昨年は生り年(表年)だったので沢山実がついたが、今年は不生り年(裏年)になるから、少ししか実を付けないだろう」と、言っていました。しかし、大方の予想に反して、今年も、昨年相応の数の実を付けました。
雨天が続き干し柿作りを延ばし延ばしにしてきましたが、ようやく、晴天が続きそうな空模様となってきましたので、家内と作業に取り掛かることができました。剪定鋏で軸枝を少し残して柿を切り取りました。収穫した柿をコンテナに入れて持ち帰り、昨年同様に干し柿を作りました。皮を剥いて紐にかけ、ちょっと熱湯につけた後、軒先につるします (art18-0072)。数日おきの3回の作業で、総数、512個の柿をつるしました。家の1階と2階の南側の軒先に、柿が整然とぶらさがりました。ちょっとした我が家の秋の風物です。
後は、お日様まかせです。このまま晴天が続くことを祈るばかりです。
【家内の寄稿】
家事家計講習会(友の会主催)
2019 10 28 (art19-0183)
11月は家事家計講習会の季節です。
婦人之友の家計簿は116年の歴史があります。費目ごとに我が家の予算をたてて記帳するのが特徴です。収入の枠の中で預貯金の目標を立て、一か月いくらで暮らすかという数字が出ると、必要なものは何か見えてきます。お金を我が家らしく有効に使うために家計簿をつけましょう。
秋の例大祭 (2019)
2019 10 24 (art19-0182)
20日に、宮本神社の例大祭が行われました。数日降り続いた雨もあがり、この日は、時折日差しが戻っていました。境内で神幸式を済ませた一向は、神輿(大人用と子供用の2基)を率いて、温泉地区と上浅津区を巡る旅にでます。途中、2か所の旅所で休息し、祭祀を執り行います。神主さんによる神事、地元の小学生有志による ”浦安の舞” の奉納、地元代表者による玉串の奉天などです。
昨年は、神輿の引手として参加したのですが、今年は、班長として、また、区の会計係りとして、参列することが予定されていました。しかし、祭の数日前に帯状疱疹に罹り (art19-0181) 、参加できなくなりました。穴をあける訳にはいきませんから、家内が代理として参列することになりました。凡夫は、自宅で待機し、神輿の通過を見届けることになりました。
2基の神輿が家の横を通過しました。2階から写真におさめました。大人が曳く神輿一行も子供が曳く神輿の集団も、熱気に乏しく淡々と通過しました。昨年は、巡行の中にいたせいでしょうか、結構な盛り上がりを感じたのですが。祭は外から観るものではなく、内に入って楽しむものなのでしょう。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」です。
一方、子供神輿を取り巻く子供の数が少ないこと、そして、沿道で神輿巡行を見守る人が少ないことは、ここが老人集落ですから致し方の無いことです。こんな集落でこの種の祭を維持すること自体、大変なことです。毎年行っているそうですから、神社総代の奮闘には敬服します。
ところで、家内は凡夫の代理として祭に参列しましたが、いくつか貴重な体験ができたようです。
旅所の一つの ”ふれあい広場” で、神事や "浦安の舞" の奉納と前後して、区の代表者による玉串奉天が執り行われます。地元の人が取り巻く中、家内も、会計係りの代理として、玉串を奉天したそうです。この種の機会はなかなかあるものではありませんから、貴重です。凡夫も、1月に開催された「どんと祭」で、同じような状況で、玉串を奉天しましたから、それが分かります (art19-097)。
もう一つ、神輿巡行には祝儀はつきものです。地元の人は、自宅近くの沿道に立ち、金一封や酒を献じます。神社副総代が受け取り、 ”誰の誰がし金一封/お酒云々” と記帳した後、軽トラックの荷台に積み込みます。この記帳は会計係りの担当です。家内は、軽トラの荷台に乗り込み、献酒用ラックに取り囲まれて、記帳を行っていたとのことです。中々できることではない、これまた、貴重な体験だったと思います。ところで、軽トラの荷台の乗り心地はどうだったのでしょうか。
家内にとっては長い一日になったようです。凡夫の代理役、ご苦労さんでした。
帯状疱疹
2019 10 21 (art19-0181)
帯状疱疹で、ダウンしています。
赤い発疹が顔の左半分の数か所(上唇の上、鼻の入り口、頬、もみあげ、下目蓋)に出て、水ぶくれ状になりジュクジュクしていましたが、いまでは、一部、黒変した瘡蓋になっています。腫れを伴い、かなり、“ひどい顔” になりました。一週間前に、目に違和感があり、下目蓋がはれてきました。“ものもらい” かな、と思い、市販の抗菌剤入りの目薬を差してみました。しかし、一向に良くならず、その内、顔に湿疹が出てきました。しばらく様子を見ていたのですが、症状が落ち着かず悪化して、“ひどい顔” になってしまいました。医者を訪ねました。
皮膚科医は、帯状疱疹と診断し、抗ウイルス内服薬と軟膏を処方してくれました。また、目への感染が気になっていたのですが、幸いなことに、眼科医の検査ではネガティブでした。帯状疱疹は、水痘・帯状疱疹ウイルス (VZV) によって発症する病気です。神経節中に潜伏していたウイルスが、普段はおとなしくしていますが、身体が弱った時に、活性化し増殖を開始し、悪さをします。治療しなくても治ると言われていますが、凡夫のように、症状がひどい場合は、治療が必要です。薬でウイルスの増殖を抑えることができれば、治癒までの期間が短縮されます。
この手のウイルスによる病気は、疲労が蓄積し免疫力が低下したときに発症すると言われています。しばらく、ゆっくりしようと考えています。このところ、Pythonのゲームの自学自習に没頭していましたので、身体が疲弊し悲鳴をあげたのでしょう。プログラミングが面白いこととは言え、やり過ぎは禁物のようです。もう、歳には勝てないのかなー、と、 “ぶざまな” 顔を眺めては、自省しています。
ステレオアンプ
2019 10 17 (art19-0180)
PCからの音楽を聴いています。ステレオアンプを介して外部スピーカーを鳴らしています。この度、ステレオアンプを新調しました。TEACのA-R630MKIIです。とても安物です。通販で購入しました。購入者から高い評価を受けている製品です。しかし、この手の評価には、“さくら” が混じっていますから、どこまで信用してよいものか計りかねます。しかしながら、実際につないで聴いてみますと、思いの外、“よい音” でした。凡夫の耳にはこれで十分です。
使っていたステレオアンプは、高専生の頃、アルバイトに精を出して、米子市内の電気店で購入したものです。最初のステレオアンプは、PIONEERのSX-65でした。これにPIONEERのプレイヤー PL-12をつないで、しばらく使っていました。プレイヤーを新調するときに、ステレオアンプも新調しました。ONKYOのA-817GTRです。これに、PIONEERのプレイヤー PL-30LIIをつないでいました。また、その頃は、カセットテープの時代で、カセットデッキとしてTEACのff-50もつないでいました。このデッキは、スイッチを押すと、動作に移る前にコンマ数秒の間があり、とても気に入っていた機種です。
大学入学のため福岡へ移動するとき、これらのオーディオ機器は、全て、この家に置いておきました。さすが、機器といえども、数十年の放置状態ではガタがきています。ステレオアンプのA-817GTRは左音の出力にノイズがはいり、SX-65は音全体がこもります。オーディオマニアではありませんが、さすが、凡夫でも聴くに堪えません。
縁側の椅子に座りこれを書いています。 新調したステレオアンプのお陰で、BBC Radio3からの心地よい音楽が溢れています。南向きの縁側には、今日も、日が差し込んでいます。
パーソナルコンピューター (パソコン、PC)
2019 10 14 (art19-0179)
自宅の門柱に「プログラミングであそびませんか」(art19-0177) との掲示を出して一週間になります。無反応です。予想していたことですから気落ちすることはありませんが、ちょっと、残念に思います。PC一つあれば、この田舎でも楽しくあそべますから(個人的感想)。興味がないのか、時間がないのか、PCを使わないのか。
凡夫はPCを当たり前のように使っています。随分、長い付き合いです。
大学院を出て町田の生命科学研究所で2年間のポスドクを務めた後、縁あって熊本の大学に就職しました。学術論文の執筆用に大枚をはたいてワードプロセッサを購入しました。機種は、シャープの書院だったと記憶しています。当時のワープロは、ディスプレイが小さく、二十数文字列を数行しか表示できませんでした。それでも、タイプライターを打つより、格段に効率的に文章が作成できました。
数年後、大学を辞めて家族(家内と娘と凡夫の3人)でアメリカに渡り、研究所 (NIH) のポスドクになりました。研究所ではIBMのコンピューターが使われていました。当時のコンピューターは、プロンプト以外何もない画面にコマンド(指令)を打ち込みタスク(処理作業)をやらせていました(キャラクターユーザーインターフェイス (CUI) 方式)。コマンドを覚え、それを正確に入力しなければなりません。とても面倒でした。そんななか、メニューから指令を選び、マウスでクリックするだけでタスクをやらせることができるコンピューター(グラフィカルユーザーインターフェイス (GUI) 方式)がアップル社から個人用PCとして発売されていました。マッキントッシュ (Macintosh) シリーズです。凡夫は、カラー表示が可能な低価格のMacintosh LCシリーズの LCIII を家庭用のPCとして購入しました。
数年後、家族(アメリカで生まれた息子が加わり4人)で帰国し、製薬会社の研究所に就職しました。最新式のPCを入所時の必要備品として伝えていましたので、研究所では、最初から高性能のPCを手元において仕事ができました。自宅では、アメリカから持ち帰ったアップル社のLCIIIをしばらく使っていました。しかし、研究所のPCがウインドウズのOSでしたので、自宅のPCも、アップルからウインドウズに変えました。横浜のコンピューター屋で、デル社の ”Studio XPS” を特別仕様にしたタワー型PCを購入しました。当時、驚異的な処理スピードに感激したことを覚えています。
数年後、仕事の都合(海外出張等)で、持ち運びの容易なノート型 PCも、デスクトップ PCと併せて使うようになりました。定年退職後の現在は、ノート型 PCの "Let`s note" を使用しています。画面が小さいので、机に向かって使うときは27インチのディスプレイに接続しています。
凡夫の家族にとってもPCは身近なものです。スマートフォンが流行する前から、PCを日常的に使っていました。凡夫の知り合いも当たり前のようにPCを使っています。しかし、ここでは、そうではなさそうです。多くの人がスマートフォンを持っていますが、PCを持たない、使えない人がほとんどのようです。大人も子供も。こんな土地柄で、プログラミング云々と言っても、しょうもないことのような気がします。とは言いながらも、今しばらく、門柱の掲示をそのままにしておくつもりです。
ヒメカメノコテントウ(ピーマン)
2019 10 10 (art19-0178)
ピーマンとパプリカの収穫は続いています (art19-0171)。パプリカは相変わらず、果皮が赤や黄色に変色することなく、いつまでも緑のままです。もうすこし気温が下がると変色するのでしょう。その兆候として、1,2個の果実が赤色と黄色に変色しました。食卓に、鮮やかな色を添えました。
ピーマンの葉に "ヒメカメノコテントウ" の幼虫を見つけました。背中に黄色の特徴的な斑模様があります。このテントウムシは肉食性でアブラムシを食べてくれますから放っておけばよいのでしょうが、取り除きました。葉や茎に付いている虫を排除してしまうのは、野菜作り人の習性なのでしょう。と言いましても、凡夫は、まだ、野菜栽培歴2年目です。成虫は、背中の模様が普通のテントウムシのように斑点があるもの(基本型)から、斑点がなく中央に筋が通っているもの(背すじ型)もいます。背すじ型のヒメカメノコテントウは、一見、小型のウリハムシとよく似ています。
テントウムシの成虫は、洋の東西を問わず、好感を持たれてきた虫です。小さな丸い形、鮮やかな色彩、大型の斑点模様故でしょう。虫の中で、テントウムシは別格のようです。しかし、テントウムシの幼虫は、そうはいきません。成虫のような特徴をもっていませんから。好感を持たれるどころか、むしろ、十把一絡げに、嫌われる虫の一つになっていることでしょう。
ピーマンの果実に、新顔?の小さな虫を見つけました。逃げ足が速く、カメラを向けている内に見失ってしまいました。カメムシかなと思っていましたが、写真に写った姿は、ピーマンの茎でよく見かけるホオズキカメムシではありません。Web頼りのにわか知識しかもたない凡夫には、名前が分かりません。いつか、再会することを祈るばかりです。その時は捕まえて、じっくり観察するつもりです。ホオズキカメムシは相変わらず、茎の一部に集まり、体を寄せ合っていました。
プログラミングで遊びませんか
2019 10 07 (art19-0177)
Pythonのタートル(亀)グラフィックスを楽しんでいます。簡単なゲームも作れるようになりました。ただし、少し複雑なゲームをつくる場合には、Pythonのゲーム用モジュール、その名も、Pygameを使おうと考えています。
最近よく耳にするようになったAIだけでなく、今日、コンピューターがあらゆる所で使用されています。コンピューターはプログラムという指令に従って動いている機械です。プログラムをつくることをプログラミングと言います。明日に生きる子供達は、コンピューターという機械が動くメカニズムそのものを理解できなくても、コンピューターに指令を出しているプログラムがどんなものかを知り、一度は、実際にプログラミングを体験しておく必要がありそうです。
来年 (2020年) から、プログラミング教育が小学校で必須化され、次の年 (2021年) からは、中学校でもプログラミング教育が実施されることが決まっています。既に、子供向けのプログラミング無料ソフトもいろいろ出ています(Scratch, プログル、プログラミン、CODE.org、 LightBot、Digital Puppet、Viscuit, 等)。興味のある子供は、これらのソフトを使って、いつでも、プログラミングを体験することができます。
凡夫が楽しんでいるタートル(亀)グラフィックスは、プログラミングを子供向けに紹介するのによく使われていると聞いていましたが、実際使ってみると、正にその通りです。キーボードで英単語を打ち込む必要があり、ちょっと、ハードルが高いのですが、プログラム言語を含めて、すこし本格的なプログラミングを体験できます。近所に、プログラミングに興味のある子供でもいたら、誘ってみようかと、「プログラミングであそびませんか」と書いた掲示板を門柱に張り付けました。今どきの子供達はいろいろ忙しいかな、と思いながらも。
猫の捕獲 ?
2019 10 03 (art19-0176)
先日、とある人の訪問を受けました。用件は、猫を捕まえたいので、畑の片隅に動物用捕獲機(アニマルトラップ)を設置させてもらえないかという頼み事でした。なぜ猫を捕獲するのかを理解できるような説明がなく、どう返事してよいものかわかりませんでしたので、こちらから、いくつか問いかけて理解することにしました。
悪さをする猫がいるので、駆除目的に捕獲するのかなと考え、それを質しましたが、どうもそうではないようです。それでは、かわいそうな野良猫をみかけたので、動物愛護の観点から捕獲して保護するのかと質しましたが、これまたそうでもなさそうです。他の目的、捕獲する理由を想起できませんでしたので、少し観点を変えて、捕獲の対象、猫のことをたずねました。返事は、凡夫の畑(民家と隣接している畑)の近くで、見かけた猫とのことでした。更に、いくつか言葉をやり取りして、1週間程前に、凡夫の畑の近くで、一度見かけた猫を捕まえようとしていることが判明しました。一度しか見ていないことが気になり、その猫は飼い主がいない猫ですかと問いますと、それは分からないとの返事です。ちょっと驚き、飼い猫だった場合、猫を連れていかれると、飼い主が困るとは思いませんかと訊きますと、これには返答がありません。捕獲した猫をどうするのかも気になり、尋ねてみますと、自分で飼ったり、里親を探すとの返事でした。
凡夫の理解を超えている話でしたので、畑の片隅に、動物用捕獲機を置くことはお断りしました。この結末は想定外だったようで、先方は、断られたことにたいへん驚いた顔をされ、腑に落ちない様子のまま歩いて帰られました。この様子をまの当たりにして、何かよくないことをやってしまったのでは、と動揺しました。
縁側の椅子に座って庭を眺めていると、時々、猫を見かけます。毛色や模様から複数の猫です。いずれの猫も悠然と庭に入って来て、草木や地面に鼻を近づけては匂いをかいだり、前足で地面を引っかいたりしています。しばらくすると、何処かへ消えてしまいます。
猫の捕獲罠の件を話題にしながら、家内と、世の中にはいろいろな人がいるものだなーと感慨一入です。そう言えば、との話になり、最近、庭や近所で猫をみかけなくなった、と、2人とも思っていたことが判明しました。
猫の写真が撮れませんでしたので、Pythonの亀で、猫顔を描いてみました。
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